万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1229、1230、1231)―加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森(27,28,28)―万葉集 巻八 一五〇〇、巻七 一三五二、巻八 七五九

―その1229―

●歌は、「夏の野の茂みに咲ける姫百合の知らえぬ恋はくるしきものぞ」である。

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加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森(27)万葉陶板歌碑(大伴坂上郎女



●歌碑は、加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森(27)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆夏野之 繁見丹開有 姫由理乃 不所知戀者 苦物曽

          (大伴坂上郎女 巻八 一五〇〇)

 

≪書き下し≫夏の野の茂(しげ)みに咲ける姫(ひめ)百合(ゆり)の知らえぬ恋は苦しきものぞ

 

(訳)夏の野の草むらにひっそりと咲いている姫百合、それが人に気づかれないように、あの人に知ってもらえない恋は、苦しいものです。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 題詞は、「大伴坂上郎女歌一首」<大伴坂上郎女が歌一首>である。

 

 「夏の野の茂(しげ)みに咲ける姫(ひめ)百合(ゆり)の」の美しい上三句の序があって初めて、作者大伴坂上郎女の相手に知られずに悩む一人の女性としての可憐な姿を浮かび上がらせるのである。

ヒメユリを詠んだ歌は、この一首のみである。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その598)」で紹介している。

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 万葉集には「ひめゆり」を含め「ゆり」を詠んだ歌は十一首収録されている。これらの歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1072)」で紹介している。

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 大伴坂上郎女の人となりについては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1059)」で紹介している。

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―その1230―

●歌は、「我が心ゆたにたゆたに浮蒪辺にも沖にも寄りかつましじ」である。

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加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森(28)万葉陶板歌碑(作者未詳)

●歌碑は、加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森(28)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾情 湯谷絶谷 浮蒪 邊毛奥毛 依勝益士

         (作者未詳 巻七 一三五二)

 

≪書き下し≫我(あ)が心ゆたにたゆたに浮蒪(うきぬなは)辺にも沖(おき)にも寄りかつましじ

 

(訳)私の心は、ゆったりしたり揺動したりで、池の面(も)に浮かんでいる蒪菜(じゅんさい)だ。岸の方にも沖の方にも寄りつけそうもない。(同上)

(注)ゆたに>ゆたなり 【寛なり】形容動詞ナリ活用:ゆったりとしている。(webliok古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)たゆたふ【揺蕩ふ・猶予ふ】①定まる所なく揺れ動く。②ためらう。(学研)

(注)寄りかつましじ:寄り付けそうにもあるまい

 

 この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1112)」で紹介している。

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 蒪(ぬなは)を詠った歌はこの一首のみである。自らの恋の行方の定まらない中途半端な状態を嘆いた歌であり、自然の観察を通してジュンサイに恋心を重ねている。

 

「蒪(ぬなは)」に関しては「蓴羹鱸膾(じゅんこうろかい)」という四文字熟語がある。goo辞書 三省堂 新明解四字熟語辞典によると、「故郷を懐かしく思い慕う情のこと。▽「蓴羹」は蓴菜じゅんさいの吸い物。「羹」はあつもの・吸い物。「鱸膾」は鱸すずきのなますの意。 出典『晋書(しんじょ)』(中略)中国晋(しん)の張翰(ちょうかん)が、故郷の料理である蓴菜の吸い物と鱸のなますのおいしさにひかれるあまり、官を辞して帰郷した故事から。」と書かれている。

 

廣野 卓氏は、その著「食の万葉集 古代の食生活を科学する」(中公新書)の中で、「ヌナワは根縄や奴縄とも書かれる。池に自生するスイレン科の水草で、いわゆる蒪菜(じゅんさい)である。新芽や若葉は粘膜につつまれており、水中に生育するのを採集する。吸いものの具として浮かべるが、ぬるりとしたのどごしの食感はたとえようもない。平安時代には漬け菜にもしているので、万葉時代にも吸いものや漬けものに調理されていたのだろう。(中略)成分の九八パーセントは水分だが、日本料理のアクセントとして欠くことのできない食材である。」と書かれている。

 

 

―その1231―

●歌は、「いかならむ時にか妹を葎生の汚なきやどに入れいませてむ」である。

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加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森(29)万葉陶板歌碑(大伴田村大嬢)



●歌碑は、加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森(29)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 七五六から七五九歌の題詞は、「大伴田村家之大嬢贈妹坂上大嬢歌四首」<大伴の田村家(たむらのいへ)の大嬢(おおいらつめ)、妹(いもひと)坂上大嬢に贈る歌四首>である。

 

◆何 時尓加妹乎 牟具良布能 穢屋戸尓 入将座

         (大伴田村大嬢 巻八 七五九)

 

≪書き下し≫いかならむ時にか妹を葎生(むぐらふ)の汚(きた)なきやどに入りいませてむ

 

(訳)いったいいつになったら、あなたをこのむぐらの茂るむさ苦しい家にお迎えできますでしょうか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)むぐらふ【葎生】名詞:「むぐら」の生い茂っている所。(学研)

(注の注)むぐら【葎】名詞:山野や道ばたに繁茂するつる草の総称。やえむぐら・かなむぐらなど。 ⇒参考 「浅茅(あさぢ)」「蓬(よもぎ)」とともに、荒れ果てた家や粗末な家の描写に用いられることが多い。(学研)

 

左注は、「右田村大嬢坂上大嬢並是右大辨大伴宿奈麻呂卿之女也 卿居田村里号曰田村大嬢 但妹坂上大嬢者母居坂上里 仍曰坂上大嬢 于時姉妹諮問以歌贈答」<右、田村大嬢、坂上大嬢は、ともにこれ右大弁(うだいべん)大伴宿奈麻呂卿(おほとものすくなまろのまへつきみ)が女(むすめ)なり。 卿、田村の里に居(を)れば、号(まづ)けて田村大嬢といふ。ただし妹(いもひと)坂上大嬢は、母、坂上の里に居る。よりて坂上大嬢といふ。時に姉妹、諮問(とぶら)ふに歌をもちて贈答す>である。

(注)田村の里:佐保の西、法華寺付近という。

(注)坂上の里:田村の里を北西に遡った歌姫越えあたりか。

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法華寺、歌姫町、歌姫街道(グーグルマップより作成)


この歌群の歌、ならびに同じような題詞の歌、一四四九歌、一五〇六歌、一六二二・一六二三歌、一六六二歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1013)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「食の万葉集 古代の食生活を科学する」 廣野 卓 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「goo辞書 三省堂 新明解四字熟語辞典」

★「グーグルマップ]

 

※20230208加古郡稲美町に訂正