●歌は、「我がやどにもみつかへるて見るごとに妹を懸けつつ恋ひぬ日はなし」である。
●歌碑(プレート)は、茨城県石岡市小幡 ライオンズ広場万葉の森にある。
●歌をみていこう。
題詞は、「大伴田村大嬢与妹坂上大嬢歌二首」<大伴田村大嬢 妹(いもひと)坂上大嬢に与ふる歌二首>である。
(注)いもうと【妹】名詞:①姉。妹。▽年齢の上下に関係なく、男性からその姉妹を呼ぶ語。[反対語] 兄人(せうと)。②兄妹になぞらえて、男性から親しい女性をさして呼ぶ語。③年下の女のきょうだい。妹。[反対語] 姉。 ※「いもひと」の変化した語。「いもと」とも。(学研)
(注)同じ題詞が一四四九・一五〇六・一六六二に見える。(伊藤脚注)
◆吾屋戸尓 黄變蝦手 毎見 妹乎懸管 不戀日者無
(大伴田村大嬢 巻八 一六二三)
≪書き下し≫我がやどにもみつかへるて見るごとに妹を懸(か)けつつ恋ひぬ日はなし
(訳)私の家の庭で色づいているかえでを見るたびに、あなたを心にかけて、恋しく思わない日はありません。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)もみつ【紅葉つ・黄葉つ】自動詞:「もみづ」に同じ。※上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)かへで【楓】名詞:①木の名。紅葉が美しく、一般に、「もみぢ」といえばかえでのそれをさす。②葉がかえるの手に似ることから、小児や女子などの小さくかわいい手のたとえ。 ※「かへるで」の変化した語。
(注)大伴田村大嬢 (おほとものたむらのおほいらつめ):大伴宿奈麻呂(すくなまろ)の娘。大伴坂上大嬢(さかのうえのおほいらつめ)は異母妹
この歌については、題詞の注にあった他にも同じような題詞が集中にあるが、その歌すべてとともに、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1013)」で紹介している。
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題詞ではないが、七五六~七五九歌の歌群の左注もみてみよう。
七五六~七五九歌の歌群の題詞は、「大伴田村家之大嬢與妹坂上大嬢歌四首」<大伴(おほとも)の田村家(たむらのいへ)の大嬢(おほいらつめ)、妹(いもひと)坂上大嬢に与ふる歌四首>
そして、左注は、「右田村大嬢坂上大嬢並是右大辨大伴宿奈麻呂卿之女也 卿居田村里号曰田村大嬢 但妹坂上大嬢者母居坂上里 仍曰坂上大嬢 于時姉妹諮問以歌贈答」<右、田村大嬢、坂上大嬢は、ともにこれ右大弁(うだいべん)大伴宿奈麻呂卿(おほとものすくなまろのまへつきみ)が女(むすめ)なり。 卿、田村の里に居(を)れば、号(まづ)けて田村大嬢といふ。ただし妹(いもひと)坂上大嬢は、母、坂上の里に居る。よりて坂上大嬢といふ。時に姉妹、諮問(とぶら)ふに歌をもちて贈答す>である。
(注)田村の里:佐保の西、法華寺付近という。(伊藤脚注)
(注)坂上の里:田村の里を北西に遡った歌姫越えあたりか。(伊藤脚注)
田村の里と坂上の里のおよその場所をグーグルマップで示したのが次の図である。
大伴坂上郎女に関する左注については、題詞、「大伴郎女和歌四首」<大伴郎女が和(こた)ふる歌四首>(五二五から五二八歌)の左注に、「右郎女者佐保大納言卿之女也 初嫁一品穂積皇子 被寵無儔而皇子薨之後時 藤原麻呂大夫娉之郎女焉 郎女家於坂上里 仍族氏号日坂上郎女也」<右、郎女は佐保大納言卿(さほのだいなごんのまへつきみ)が女(むすめ)なり。初(は)じめ一品(いっぽん)穂積皇子(ほづみのみこ)に嫁(とつ)ぎ、寵(うつくしび)を被(かがふ)ること儔(たぐひ)なし。しかして皇子の薨(こう)ぜし後に、藤原麻呂大夫(ふぢはらのまろのまへつきみ)、郎女を娉(つまど)ふ。郎女、坂上(さかうへ)の里(さと)に家居(いへい)す。よりて族氏(やから)号(なづ)けて坂上郎女といふ。>とある。
(注)佐保大納言卿:大伴安麻呂(伊藤脚注)
(注)一品:皇子皇女の官位四品中の筆頭(伊藤脚注)
(注)坂上の里:佐保西方の歌姫越に近い地らしい。(伊藤脚注)
この歌群の歌(五二五から五二八歌)ならびに左注については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その6改)」で紹介している。
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これにより、大伴坂上郎女や坂上大嬢、田村大嬢の家系や生活圏までが明らかになる。万葉集でこのように左注で表記することも驚きである。歴史書でないがゆえに彼女らのことが詳しく書かれているのである。
実に興味深いことである。
歌だけでなく、かかる事柄まで記されていることに改めて驚かされる。また、万葉集というのが残っていたことが奇跡といわざるをえない。
万葉集には頭が下がることだらけである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」