万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2515)―

●歌は、「我が園の李の花か庭に散るはだれのいまだ残りてあるかも」である。

茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森万葉歌碑(大伴家持) 20230927撮影

●歌碑は、茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾園之 李花可 庭尓落 波太礼能未 遣在可母

       (大伴家持 巻二〇 四一四〇)

 

≪書き下し≫我(わ)が園の李(すもも)の花か庭に散るはだれのいまだ残りてあるかも

 

(訳)我が園の李(すもも)の花なのであろうか、庭に散り敷いているのは。それとも、はだれのはらはら雪が残っているのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)詩語「桃李」に導かれて、前歌の「桃」に「李」を詠み継ぐ。紅と白との対比もある。(伊藤脚注)

(注)はだれ【斑】名詞:「斑雪(はだれゆき)」の略。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注の注)はだれゆき【斑雪】名詞:はらはらとまばらに降る雪。また、薄くまだらに降り積もった雪。「はだれ」「はだらゆき」とも。(学研)

 

題詞は、「天平勝寶二年三月一日之暮眺矚春苑桃李花作二首」<天平勝宝(てんぴやうしようほう)二年の三月の一日の暮(ゆうへ)に、春苑(しゆんゑん)の桃李(たうり)の花を眺矚(なが)めて作る二首>である。四一三九、四一四〇歌の二首である。四一三九歌は「春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子」である。いずれも、家持が目の前の実景を踏まえて詠んだ歌と言うより「漢詩的風景」を頭の中に描き詠んだものと思われる。

 

この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2409)」で紹介している。

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 「はだれ」を詠んだ歌をみてみよう。

 

■一七〇九歌■

題詞は、「獻弓削皇子歌一首」<弓削皇子に献る歌一首>である。

 

◆御食向 南淵山之 巖者 落波太列可 削遺有

       (柿本人麻呂歌集    巻九 一七〇九)

 

≪書き下し≫御食(みけ)向(むか)ふ南淵山(みなぶちやま)の巌(いはほ)には降りしはだれか消え残りたる

 

(訳)南淵山の山肌には、いつぞや降った薄ら雪が消え残っているのであろうか。(同上)

(注)みけむかふ【御食向かふ】分類枕詞:食膳(しよくぜん)に向かい合っている「䳑(あぢ)」「粟(あは)」「葱(き)(=ねぎ)」「蜷(みな)(=にな)」などの食物と同じ音を含むことから、「味原(あぢふ)」「淡路(あはぢ)」「城(き)の上(へ)」「南淵(みなぶち)」などの地名にかかる。(学研)

(注)はだれ 【斑】名詞:「斑雪(はだれゆき)」の略。(うっすらと積る状態)(学研)

 

左注は、「右柿本朝臣人麻呂之歌集所出」<右は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づるところなり>である

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1946)」で紹介している。

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■二三三七歌■

◆小竹葉尓 薄太礼零覆 消名羽鴨 将忘云者 益所念

       (作者未詳 巻十 二三三七)

 

≪書き下し≫笹(ささ)の葉にはだれ降り覆(おほ)ひ消(け)なばかも忘れむと言へばまして思ほゆ

 

(訳)笹の葉に薄雪が降り覆い、やがて消えてしまうように、私の命が消えでもすればあなたを忘れることもありましょう、などとあの子が言ったりするものだから、さらにいっそういとしく思われる。(同上)

(注)上二句は序。「消な」を起こす。「はだれ」はうっすらと置いた雪。(伊藤脚注)

(注の注)はだれ【斑】名詞:「斑雪(はだれゆき)」の略。(学研)

(注の注)はだれゆき【斑雪】名詞:はらはらとまばらに降る雪。また、薄くまだらに降り積もった雪。「はだれ」「はだらゆき」とも。(学研)

(注)消なばかも忘れむと言へば:私の命が消えでもすればあなたを忘れることもありましょう、とあの子が言うので。(伊藤脚注)

(注)まして【況して】副詞:①それにもまして。なおさら。②いうまでもなく。いわんや。(学研)ここでは①の意

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1817)」で紹介している。

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 上の三首は名詞の「はだれ」であるが、形容動詞の「はだれなり」、「ほどろなり」を詠んだ歌をみてみよう。

 

■一四二〇歌■

題詞は、「駿河釆女歌一首」<駿河釆女歌一首>である。

(注)駿河釆女:駿河出身の采女。(伊藤脚注)

 

◆沫雪香 薄太礼尓零登 見左右二 流倍散波 何物之花其毛

       (駿河采女 巻八 一四二〇)

 

≪書き下し≫沫雪(あわゆき)かはだれに降ると見るまでに流らへ散るは何(なに)の花ぞも

 

(訳)泡雪がはらはらと降ってくるかと見まごうばかりに、流れて散ってくるのは、何の花なのであろうか。(同上)

(注)はだれに:うっすらと積る状態。(伊藤脚注)

(注の注)はだれなり【斑なり】形容動詞:(雪が降るさまが)まばらだ。まだらだ。(雪や霜などのおりたさまが)薄い。「はだらなり」とも。(学研)

(注)花:梅の花であろう。梅・雪の歌は春と冬の双方に採られている。(伊藤脚注)

 

 

 

■二三一八歌■

◆夜乎寒三 朝戸乎開 出見者 庭毛薄太良尓 三雪落有  <一云 庭裳保杼呂尓 雪曽零而有>

       (作者未詳 巻八 二三一八)

 

≪書き下し≫夜(よ)を寒(さむ)み朝門(あさと)を開き出(い)で見れば庭もはだらに み雪降りたり <一には「庭もほどろに雪ぞ降りたる」といふ>

 

(訳)夜を通して寒かったので、朝、戸を開けて外に出て見ると、何と庭中うっすらと雪が降り積もっている。<何と庭中まだらに雪が降り積もっている>(同上)

(注)はだらなり【斑なり】形容動詞:(雪が降るさまが)まばらだ。まだらだ。(雪や霜などのおりたさまが)薄い。「はだれなり」とも。(学研)

(注)ほどろなり【斑なり】形容動詞:(雪などが)まだらだ。(学研)

 

 

 

■二三二三歌■

◆吾背子乎 且今ゝゝ 出見者 沫雪零有 庭毛保杼呂尓

       (作者未詳 巻十 二三二三)

 

≪書き下し≫我(わ)が背子(せこ)を今か今かと出(い)で見れば沫雪(あわゆき)降れり庭もほどろに 

 

(訳)あの方のお越しを今か今かと待ちかねて戸口に出て見ると、泡雪が降り積もっている。庭中うっすらと。

 

(注)ほどろなり【斑なり】形容動詞:(雪などが)まだらだ。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その221改)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫より)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」