■すもも■
●歌は、「我が園の李の花か庭に散るはだれのいまだ残りてあるかも」である。
●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。
●歌をみていこう。
◆吾園之 李花可 庭尓落 波太礼能未 遣在可母
(大伴家持 巻二〇 四一四〇)
≪書き下し≫我(わ)が園の李(すもも)の花か庭に散るはだれのいまだ残りてあるかも
(訳)我が園の李(すもも)の花なのであろうか、庭に散り敷いているのは。それとも、はだれのはらはら雪が残っているのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)詩語「桃李」に導かれて、前歌の「桃」に「李」を詠み継ぐ。紅と白との対比もある。(伊藤脚注)
(注)はだれ【斑】名詞:「斑雪(はだれゆき)」の略。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注の注)はだれゆき【斑雪】名詞:はらはらとまばらに降る雪。また、薄くまだらに降り積もった雪。「はだれ」「はだらゆき」とも。(学研)
題詞は、「天平勝寶二年三月一日之暮眺矚春苑桃李花作二首」<天平勝宝(てんぴやうしようほう)二年の三月の一日の暮(ゆうへ)に、春苑(しゆんゑん)の桃李(たうり)の花を眺矚(なが)めて作る二首>である。四一三九、四一四〇歌の二首である。四一三九歌は「春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子」である。いずれも、家持が目の前の実景を踏まえて詠んだ歌と言うより「漢詩的風景」を頭の中に描き詠んだものと思われる。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その497)」で紹介している。
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「すもも(須毛毛・李)」について、廣野 卓著「食の万葉集 古代の食生活を科学する」(中公新書)に次のように書かれている。
「・・・春正月に、桃李、実(みの)れり。(推古二十四年) この例のように、『書紀』には、推古(二件)、舒明、天武の各時代に、いずれも季節はずれに花が咲き実がなったことを特記している。桃李と併記されるのは、この二種が混植されていたことを推測させる。この歌の場合も前出のモモの歌の題詞にあるように、モモとおなじ花園に植えられている。万葉びとがモモとおなじく賞味したことは明らかである。ただ、花は同時期にモモがあり、果実もモモのように大きくなく酸味も強いため、主にモモが注目され、歌題になることも多かったのだろう。完熟前のスモモは酸味が強いのでスモモ(、、、)とよばれるが、糖質をはじめとする栄養成分はモモと大差がない。完熟すれば酸味はあまり感じなくなり甘くなる。」
四一四〇歌に詠われている「はだれ」を詠った歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1010)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「食の万葉集 古代の食生活を科学する」 廣野 卓 著 (中公新書)
★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」