―その2248―
●歌は、「春の野にすみれ摘みにと来しわれぞ 野をなつかしみ一夜寝にける」である。
●歌碑(プレート)は、名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道にある。
●歌をみていこう。
題詞は、「山部宿祢赤人歌四首」<山部宿禰赤人が歌四首>である。
(注)春の野遊びでの宴歌。初め二首は春への賞讃で男性の立場、後二首は春への嘆息で女性の立場。(伊藤脚注)
◆春野尓 須美礼採尓等 來師吾曽 野乎奈都可之美 一夜宿二来
(山部赤人 巻八 一四二四)
≪書き下し≫春の野にすみれ摘(つ)みにと来(こ)しわれぞ 野をなつかしみ一夜寝(ね)にける
(訳)春の野に、すみれを摘もうとやってきた私は、その野の美しさに心引かれて、つい一夜を明かしてしまった。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)なつかし【懐かし】形容詞:①心が引かれる。親しみが持てる。好ましい。なじみやすい。②思い出に心引かれる。昔が思い出されて慕わしい。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典) ここでは①の意
一四二五から一四二七歌もみてみよう。
◆足比奇乃 山櫻花 日並而 如是開有者 甚戀目夜裳
(山部赤人 巻八 一四二五)
≪書き下し≫あしひきの山桜花(やまさくらばな)日(ひ)並(なら)べてかく咲きたらばいたく恋ひめやも
(訳)山桜の花、この花が、幾日もずっとこのように咲いているのなら、こうもひどく心引かれることなどあろうか。(同上)
(注)前歌の「野」「夜」を承けて「山」「日」という。(伊藤脚注)
(注)いたく【甚く】副詞:はなはだしく。ひどく。(学研)
◆吾勢子尓 令見常念之 梅花 其十方不所見 雪乃零有者
(山部赤人 巻八 一四二六)
≪書き下し≫我が背子(せこ)に見せむと思ひし梅の花それとも見えず雪の降れれば
(訳)あの方にお見せしようと思っていた梅の花、どれがそれとも見分けがつかない。雪が枝に降り積もっているので。(同上)
(注)梅の花:前歌の「山桜花」に応じる。(伊藤脚注)
◆従明日者 春菜将採跡 標之野尓 昨日毛今日毛 雪波布利管
(山部赤人 巻八 一四二七)
≪書き下し≫明日(あす)よりは春菜(はるな)摘むむと標(し)めし野に昨日(きのふ)も今日(けふ)も雪は降りつつ
(訳)明日から春の若菜を摘もうと標縄(しめなわ)を張りめぐらしておいた野に、昨日も今日も雪は降りつづいていて・・・・・・。(同上)
(注)春菜摘むむと標めし野に:一四二四歌の上二句「春の野にすみれ摘みにと」に応じる。(伊藤脚注)
(注)しむ【占む・標む】他動詞:①自分の領地であることを示す目印をする。②占有する。敷地とする。③身に備える。(学研)ここでは①の意
一四二四歌の歌碑。山部神社の万葉歌碑は、明治十二年に建てられたという。
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この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その417)」で紹介している。
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―その2249―
●歌は、「妹なろが付かふ川津のささら荻葦と人言語りよらしも」である。
●歌碑(プレート)は、名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道にある。
●歌をみていこう。
◆伊毛奈呂我 都可布河泊豆乃 佐左良乎疑 安志等比登其等 加多理与良斯毛
(作者未詳 巻十四 三四四六)
<書き下し>妹(いも)なろが付(つ)かふ川津(かはず)のささら荻(をぎ)葦(あし)と人言(ひとごと)語(かた)りよらしも
(訳)あの子がいつも居ついている川の渡し場に茂る、気持ちのよいささら荻、そんなすばらしいささら荻(共寝の床)なのに、世間の連中は、それは葦・・・悪い草だと調子に乗って話し合っているんだよな。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)妹なろが付かふ川津:あの子がいつも居ついている渡し場。ナロは親愛の接尾語。(伊藤脚注)
(注)かはづ【川津・河津】名詞:川の渡し場。舟着き場。(学研)
(注)ささら【細ら】接頭語:〔名詞に付いて〕細かい。小さい。「さざら」とも。「ささら形(がた)」「ささら波」(学研)
(注の注)ささら荻:小さくて細めの荻。共寝の床を匂わす。(伊藤脚注)
(注)葦と:あれは葦だと。「葦」に「悪し」を懸ける。(伊藤脚注)
(注)ひとごと【人言】名詞:他人の言う言葉。世間のうわさ。(学研)
(注)語りよらし:「語り宜し」で、調子よく噂している、の意か。(伊藤脚注)
「妹(いも)なろが付(つ)かふ川津(かはず)のささら荻(をぎ)」と「葦(あし)と人言(ひとごと)語(かた)りよらしも」と民謡的な掛け合いのリズムが心地よく響く。
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改めて「東歌」を考えてみよう。
「コトバンク 山川出版社『山川 日本史小辞典 改訂新版』」に次のように的確に書かれているので引用させていただきます。
「『万葉集』巻14に収録される238首(うち8首が或本歌)の歌をおおう標題。勘国歌(国名判明歌)95首と未勘国歌(国名不明歌)143首からなり,それぞれ相聞(そうもん)・譬喩(ひゆ)歌などに分類されるが,うち相聞歌が8割以上を占める。すべて作者未詳。労働・土俗・性愛の表現に特徴があり,東国方言的要素(ただし音韻上の現象に偏る)を含む。また全歌が短歌形式に整えられていること,序詞(じょことば)をもつ歌や地名を含む歌が他に比べ多いこと,表記は1字1音を原則とするが整理者の統一の痕跡が著しいこと,中央の歌と用語や発想の共通性がみられることなどが指摘されている。東歌の特性を民謡性にみるか非民謡的性格を重視するかが,研究史上の争点となっている。」
神野志隆光氏は、その著「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」(東京大学出版会)のなかで、「・・・民謡ないし民謡性において見るか、創作歌ととらえるか、東歌の在地性や特異さをどう実態的に把握するかの違いです。しかし、『万葉集』における巻十四の意味を見ることは、そうした実態を問題とすることではありません。『万葉集』にとって大事なのは、東国の在地性を帯びた歌があるということです。その歌が民謡か創作歌かは問題ではありません。要は、東国にも定型の短歌が浸透しているのを示すということです。それは中央の歌とは異なる形であらわれて東国性を示しますが、東歌によって、東国までも中央と同じ定型短歌におおわれて、ひとつの歌の世界をつくるものとして確認されることとなります。そうした歌の世界をあらしめるものとして東歌の本質を見るべきです。それが『万葉集』における巻十四なのです。」と書かれている。
また、「一字一音書紀」についても、「方言要素を有し、在地性をつよく負うというよそおい―そのためにの一字一音書紀―が必須であったと納得されます。」と書かれている。
―その2250―
●歌は、「家なれば笱に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」である。
●歌碑(プレート)は、名古屋市千種区東山元町 東山動植物園万葉の散歩道にある。
●歌をみていこう。
一四一ならびに一四二歌の題詞は、「有間皇子自傷結松枝歌二首」<有間皇子(ありまのみこ)、自みづか)ら傷(いた)みて松が枝(え)を結ぶ歌二首>である。
◆家有者 笱尓盛飯乎 草枕 旅尓之有者 椎之葉盛
(有間皇子 巻二 一四二)
≪書き下し≫家なれば笱(け)に盛(も)る飯(いひ)を草枕旅(たび)にしあれば椎(しひ)の葉に盛る
(訳)家にいる時にはいつも立派な器物(うつわもの)に盛ってお供えをする飯(いい)なのに、その飯を、今旅の身である私は椎(しい)の葉に盛って神祭りをする。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
一四二歌だけでは、有間皇子の悲劇性は伝わらない。一四一歌があり、そして皇子の悲劇が予備知識としてあって初めてこの歌の悲劇性が発揮される。
「天と赤兄と知る。吾全(もは)ら解(し)らず」がすべてを物語り、同情歌も万葉集には収録されているのである。
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この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その747)」で和歌山県海南市藤白の有間皇子の墓とともに紹介している。有間皇子神社については同「同(その746)」で紹介している。
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同情歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その478)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「コトバンク 山川出版社『山川 日本史小辞典 改訂新版』」