万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

秋といえば「萩」か「尾花」か<万葉歌碑を訪ねて(その1305ー2)>

「その1305-1」に続いて尾花の魅力に迫ります。

 

◆人皆者 芽子乎秋云 縦吾等者 乎花之末乎 秋跡者将言

 

≪書き下し≫人皆は萩(はぎ)を秋と言ふよし我(わ)れは尾花(をばな)が末(うれ)を秋とは言はむ

 

(訳)世の人びとは皆萩の花こそが秋の印だという。なに、かまうものか、われらは尾花の穂先を秋の風情だと言おう。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)我れ:上の「人皆」(世間の人皆)に対して、この場に集うわれわれはの意。原文も「吾等」とある。(伊藤脚注)

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水辺のススキ(尾花) 新宿御苑HPより引用させていただきました。

 桃山時代以降は、秋といえば「菊」となっているが、「万葉集」では、「萩」は約一四〇首詠まれ、二位は「梅」で約一二〇首である。いかに万葉びとは、秋の萩を愛したかである。

この歌は、「尾花」のなよなよしい華麗さに秋の風情を感じ、心奪われる人の考えを主張した面白い歌である。

 

 

◆暮立之 雨落毎<一云 打零者> 春日野之 尾花之上乃 白霧所念

       (作者未詳 巻十 二一六九)

 

≪書き下し≫夕立(ゆふだち)の雨降るごとに <一には「うち降れば」といふ>春日野(かすがの)の尾花(をばな)が上(うへ)の白露思ほゆ

 

(訳)夕立の雨が降るたびに<さっと降ると>、春日野の尾花の上に輝く白露が思われてならない。

 

 

◆吾屋戸之 麻花押靡 置露尓 手觸吾妹兒 落巻毛将見

       (作者未詳 巻十 二一七二)

 

≪書き下し≫我(わ)がやどの尾花(をばな)押しなべ置く露に手触(てふ)れ我妹子(わぎもこ)散らまくも見む

 

(訳)我が家の庭先の尾花を押し伏せて置いているこの露に、手を触れてごらん、お前さん。露のこぼれ落ちる風情も見たいから。(同上)

(注)まく :だろうこと。…(し)ようとすること。 ※派生語。 ⇒語法 活用語の未然形に付く。 ⇒なりたち 推量の助動詞「む」の古い未然形「ま」+接尾語「く」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

◆道邊之 乎花我下之 思草 今更尓 何物可将念

      (作者未詳 巻十 二二七〇)

 

≪書き下し≫道の辺(へ)の尾花(をばな)が下(した)の思(おも)ひ草(ぐさ)今さらさらに何をか思はむ

 

(訳)道のほとりに茂る尾花の下蔭の思い草、その草のように、今さらうちしおれて何を一人思いわずらったりするものか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)上三句は序。下二句の譬喩。

(注)思ひ草:一年生寄生植物。ススキ、チガヤ、サトウキビなどに寄生し、その根元にひっそりと花を咲かせる。

 

 この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1151)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 可憐なススキ(尾花)の根元にひっそりとたたずむ可憐な「思ひ草」、最高の取り合わせである。

 

 

◆左小壮鹿之 入野乃為酢寸 初尾花 何時加 妹之手将枕

      (作者未詳 巻十 二二七七)

 

≪書き下し≫さを鹿(しか)の入野(いりの)のすすき初尾花(はつをばな)いづれの時か妹(いも)が手まかむ

 

(訳)雄鹿が分け入るという入野(いりの)のすすきの初尾花、その花のようにういういしい子、いったいいつになったら、あの子の手を枕にすることができるのであろうか。(同上)

(注)さをしかの【小牡鹿の】分類枕詞:雄鹿(おじか)が分け入る野の意から地名「入野(いりの)」にかかる。(学研)

(注)はつをばな【初尾花】:〔名〕 秋になって初めて穂の出た薄(すすき)。《季・秋》(weblio辞書 精選版 日本国語大辞典

(注の注)はつをばな:初々しい女の譬え。(伊藤脚注)

 

 

 

◆蜒野之 尾花苅副 秋芽子之 花乎葺核 君之借廬

       (作者未詳 巻十 二二九二)

 

≪書き下し≫秋津野(あきづの)の尾花(をばな)刈り添へ秋萩(あきはぎ)の花を葺(ふ)かさね君が仮廬(かちいほ)に

 

(訳)秋津野の尾花に刈り添えて、秋萩の花をお葺き遊ばせ。あばたの仮のお住まいに。(同上)

(注)秋津野:奈良県吉野町宮滝付近の野か。(伊藤脚注)

(注)葺かす:「葺く」の尊敬語。(伊藤脚注)

 

 

 

◆天地等 登毛尓母我毛等 於毛比都ゝ 安里家牟毛能乎 波之家也思 伊敝乎波奈礼弖 奈美能宇倍由 奈豆佐比伎尓弖 安良多麻能 月日毛伎倍奴 可里我祢母 都藝弖伎奈氣婆 多良知祢能 波ゝ母都末良母 安佐都由尓 毛能須蘇比都知 由布疑里尓 己呂毛弖奴礼弖 左伎久之毛 安流良牟其登久 伊▼見都追 麻都良牟母能乎 世間能 比登乃奈氣伎波 安比於毛波奴 君尓安礼也母 安伎波疑能 知良敝流野邊乃 波都乎花 可里保尓布<伎>弖 久毛婆奈礼 等保伎久尓敝能 都由之毛能 佐武伎山邊尓 夜杼里世流良牟

      (葛井連子老 巻十五 三六九一)

    ▼は「亻(にんべん)」+「弖」 「伊▼見都追」=「出で見つつ」

 

≪書き下し≫天地(あめつち)と ともにもがもと 思ひつつ ありけむものを はしけやし 家を離(はな)れて 波の上(うへ)ゆ なづさひ来(き)にて あらたまの 月日(つきひ)も来経(きへ)ぬ 雁(かり)がねも 継(つ)ぎて来鳴けば たらちねの 母も妻らも 朝露に 裳(も)の裾(すそ)ひづち 夕霧に 衣手(ころもで)濡(ぬ)れて 幸(さき)くしも あるらむごとく 出(い)で見つつ 待つらむものを 世間(よのなか)の 人の嘆きは 相思(あひおも)はぬ 君にあれやも 秋萩(あきはぎ)の 散らへる野辺(のへ)の 初尾花(はつをばな) 仮廬(かりほ)に葺(ふ)きて 雲離(くもばな)れ 遠き国辺(くにへ)の 露霜(つゆしも)の 寒き山辺(やまへ)に 宿りせるらむ

 

(訳)天地とともに長く久しく生きていられたらと思いつづけていたであろうに、ああ、いたわしいこと、懐かしい家を離れて、波の上を漂いながらやっとここまで来たが、月日もずいぶん経ってしまった上に、雁も次々来て鳴くようになったので、家の母もいとしい妻も、朝露に裳の裾をよごし、夕霧に衣の袖(そで)を濡らしながら、君が恙(つつが)なくあるかのように、門に出ては見やりながらしきりに待っているであろうに、この世の中の人の嘆きなど、何とも思わない君なのか、そんなはずはあるまいに、どうして、秋萩の散りしきる野辺の初尾花、そんな初尾花なんかを仮廬に葺(ふ)いて、雲居はるかに離れた遠い国辺の、冷え冷えと露置くこんなさびしい山辺に、旅寝などしているのか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)なづさふ 自動詞:①水にもまれている。水に浮かび漂っている。②なれ親しむ。慕いなつく。(学研)ここでは①の意

 

左注は、「右三首葛井連子老作挽歌」<右の三首は、葛井連子老(ふぢゐのむらじこおゆ)が作る挽歌(ばんか)>である。

 

 

◆暮立之 雨打零者 春日野之 草花之末乃 白露於母保遊

       (小鯛王 巻十六 三八一九)

 

≪書き下し≫夕立(ゆふだち)の雨うち降れば春日野の尾花(をばな)が末(うれ)の白露思ほゆ

 

(訳)夕立の篠(しの)つく雨が降ると、いつも、あの春日野の尾花の先に置く白露が思われる。(同上)

(注)白露:春日の遊行婦女などの譬えか。(伊藤脚注)

 

 

 

 四二九五から四二九七歌の題詞は、「天平勝寶五年八月十二日二三大夫等各提壷酒 登高圓野聊述所心作歌三首」<天平勝宝五年の八月の十二日に、二三(ふたりみたり)の大夫等(まへつきみたち)、おのもおのも壷酒(こしゅ)を提(と)りて高円(たかまと)の野(の)に登り、いささかに所心(おもひ)を述べて作る歌三首>である。

 

◆多可麻刀能 乎婆奈布伎故酒 秋風尓 比毛等伎安氣奈 多太奈良受等母

      (大伴池主 巻二十 四二九五)

 

≪書き下し≫高円の尾花(をばな)吹き越す秋風に紐(ひも)解き開(あ)けな直(ただ)ならずとも

 

(訳)高円の野のすすきの穂を靡かせて吹きわたる秋風、その秋風に、さあ着物の紐を解き放ってくつろごうではありませんか。いい人にじかに逢(あ)うのではなくても。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)直ならずとも:直接恋人にあうのではなくても。(伊藤脚注)

 

左注は、「右一首左京少進大伴宿祢池主」<右の一首は左京少進(さきやうのせうしん)大伴宿禰池主

(注)左京少進:左京職の三等官。正七位上相当。七月頃、越前から帰任していたらしい。この宴は池主歓迎を兼ねているのか。(伊藤脚注)

 池主の他は、中臣清麻呂大伴家持である。

 

 

最後に家持の歌をみてみよう。

 

題詞は、「七夕歌八首」<七夕(しちせき)の歌八首>である。

 

◆波都乎婆奈 ゝゝ尓見牟登之 安麻乃可波 弊奈里尓家良之 年緒奈我久

       (大伴家持 巻二十 四三〇八)

 

≪書き下し≫初尾花(はつをばな)花に見むとし天の川(あまのがは)へなりにけらし年の緒(を)長く

 

(訳)咲いてすぐほおけてしまう初尾花、その花のようにほんのちょっと逢うだけの定めなのだと、天の川なんかが二人の隔てになっているらしい。年月長くずっと。(同上)

(注)初尾花:「花」の枕詞的用法。(伊藤脚注)

(注)へなる【隔る】自動詞:隔たっている。離れている。(学研)

 

四三〇六から四三一三歌の歌群の左注は、「右大伴宿祢家持獨仰天海作之」<右は、大伴宿禰家持、独り天漢(あまのがは)を仰(あふ)ぎて作る>である。

 

 

 「尾花」と「露」を詠んだ歌が多いが、尾花に露を置いた写真は検索してもイメージに合うようなしっくりくるものがない、機会をみて挑戦したいものである。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 精選版 日本国語大辞典

★「新宿御苑HP」

 

※20221031 三八一九歌追記