●歌は、「妹が見し楝の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくに」である。
●歌碑は、太宰府市吉松 太宰府歴史スポーツ公園(4)にある。
●歌をみていこう。
この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その489)」で紹介している。ここでは、巻五の巻頭歌である旅人の七九三歌から、憶良の漢文による「前文」、漢文に対する日本文による「日本挽歌」(七九四歌)ならびに反歌四首をすべて紹介している。
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◆伊毛何美斯 阿布知乃波那波 知利奴倍斯 和何那久那美多 伊摩陁飛那久尓
(山上憶良 巻五 七九八)
≪書き下し≫妹(いも)が見し楝(あふち)の花は散りぬべし我(わ)が泣く涙(なみた)いまだ干(ひ)なくに
(訳)妻が好んで見た楝(おうち)の花は、いくら奈良でももう散ってしまうにちがいない。。妻を悲しんで泣く私の涙はまだ乾きもしないのに。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
ブログ拙稿(その489)でも紹介しているが、万葉集巻五は特異な巻といわれる。大伴旅人と山上憶良に関わる歌が中心となっている。しかも、年次は神亀五年(728年)から天平五年(733年)という短い期間に集約されている。また、大宰府を場とするものが多く、漢文の手紙、漢文の序、漢詩とともに歌があるという他の巻にない特徴を持っているのである。
巻五は、歌は一字一音の仮名で書かれている。前述したように、漢文の手紙、漢文の序、漢詩とともに歌があるので、「仮名書記」をしたと考えられるのである。
あふち(現代かな遣いは「おうち」、漢名は「楝」)を詠んだ歌は、万葉集では、四首収録されている。他の三首をみてみよう。
◆吾妹子尓 相市乃花波 落不過 今咲有如 有与奴香聞
(作者未詳 巻十 一九七三)
≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)に楝(あふち)の花は散り過ぎず今咲けるごとありこせぬかも
(訳)いとしい子に逢うという名の楝(おうち)の花は、散り失せずに、今咲いているままにあり続けてくれないものか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)わぎもこに【吾妹子に】[枕]吾妹子に会う意から、「あふ」と同音を含む「逢坂山」「近江(あふみ)」「楝(あふち)の花」「淡路(あはぢ)」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
◆珠尓奴久 安布知乎宅尓 宇恵多良婆 夜麻霍公鳥 可礼受許武可聞
(大伴書持 巻十七 三九一〇)
≪書き下し≫玉に貫(ぬ)く楝(あふち)を家に植ゑたらば山ほととぎす離(か)れず来(こ)むかも
(訳)薬玉(くすだま)として糸に貫く楝、その楝を我が家の庭に植えたならば、山に棲む時鳥がしげしげとやって来て鳴いてくれることだろうか。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その718)」で紹介している。次の家持の歌は、この弟の書持(ふみもち)の歌に和したものである。こちらも718で紹介している。
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◆保登等藝須 奈尓乃情曽 多知花乃 多麻奴久月之 来鳴登餘牟流
(大伴家持 巻十七 三九一三)
≪書き下し≫ほととぎす楝(あふち)の枝に行きて居(ゐ)ば花は散らむな玉と見るまで
(訳)時鳥、この時鳥が、仰せの楝お枝に飛んで行って留まったなら、花は、さぞかしほろほろと散りこぼれることだろう。こぼれ落ちる玉のように。(同上)
当時、家持は、内舎人(うどねり)として久邇(くに)京に住んでいた。書持は、奈良の佐保の大伴氏の邸から兄家持に歌を贈っている。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」