万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2524)―

●歌は、「水沫なす微き命も拷縛の千尋にもがと願ひ暮しつ」である。

茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森万葉歌碑(山上憶良) 20230927撮影

●歌碑は、茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

 

 ◆水沫奈須 微命母 栲縄能 千尋尓母何等 慕久良志都

       (山上憶良 巻五 九〇二)

 

≪書き下し≫水沫(みなわ)なす微(もろ)き命も栲縄(たくなは)の千尋ちひろ)にもがと願ひ暮らしつ

 

(訳)水の泡にも似たもろくはかない命ではあるものの、楮(こうぞ)の綱のように千尋ちひろ)の長さほどもあってほしいと願いながら、今日もまた一日を送り過ごしてしまった。(伊藤博著「万葉集 一」(角川ソフィア文庫)より)

(注)みなわ【水泡/水沫】:《「みなあわ」の音変化。「な」は「の」の意の格助詞》水のあわ。はかないことのたとえにもいう。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)微き命:漢語「微命」の翻読語。(伊藤脚注)

(注)たくなは【栲縄】名詞:こうぞの皮をより合わせて作った白い縄。漁業に用いる。※後世「たぐなは」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注) たくなはの【栲縄の】枕 :栲縄が長いところから、「長し」「千尋(ちひろ)」にかかる。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)ちひろ千尋】名詞:千尋(せんひろ)。また、長さ・遠さ・深さが甚だしいことにいう。「ちいろ」とも。 ※「ひろ」は長さや深さの単位。(学研)

 

 八九七から九〇三歌までの歌群の題詞は、「老身重病經年辛苦及思兒等歌七首  長一首短六首」<老身に病を重ね、経年辛苦し、児等を思ふに及(いた)る歌七首 長一首短六首>である。

 

 この歌については、歌群とともに拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その44改)」で紹介している。

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 「たくなはの【栲縄の】」と詠っている歌をみてみよう。

■二一七歌■

題詞は、「吉備津采女死時、柿本朝臣人麿作歌一首 幷短歌」<吉備津采女(きびつのうねめ)が死にし時に、柿本朝臣人麿が作る歌一首幷(あは)せて短歌>である。

(注)吉備津采女:吉備の国(岡山県)の津の郡出身の采女。(伊藤脚注)

 

◆秋山 下部留妹 奈用竹乃 騰遠依子等者 何方尓 念居可 栲紲之 長命乎 露己曽婆 朝尓置而 夕者 消等言 霧己曽婆 夕立而 明者 失等言 梓弓 音聞吾母 髪髴見之 事悔敷乎 布栲乃 手枕纏而 釼刀 身二副寐價牟 若草 其嬬子者 不怜弥可 念而寐良武 悔弥可 念戀良武 時不在 過去子等我 朝露乃如也 夕霧乃如也

      (柿本人麻呂 巻二 二一七)

 

≪書き下し≫秋山の したへる妹(いも) なよ竹の とをよる子らは いかさまに 思ひ居(を)れか 栲縄(たくなは)の 長き命(いのち)を 露こそは 朝(あした)に置きて 夕(ゆうへ)は 消(き)ゆといへ 霧こそば 夕に立ちて 朝は 失(う)すといへ 梓弓(あづさゆみ) 音(おと)聞く我(わ)れも おほに見し こと悔(くや)しきを 敷栲(しきたへ)の 手枕(たまくら)まきて 剣太刀(つるぎたち) 身に添(そ)へ寝(ね)けむ 若草の その夫(つま)の子は 寂(さぶ)しみか 思ひて寝(ぬ)らむ 悔(くや)しみか 思ひ恋ふらむ 時にあらず 過ぎにし子らが 朝露(あさつゆ)のごと 夕霧(ゆふぎり)のごと

 

(訳)秋山のように美しく照り映えるおとめ、なよ竹のようにたよやかなあの子は、どのように思ってか、栲縄(たくなわ)のように長かるべき命であるのに、露なら朝(あさ)置いて夕(ゆうべ)には消えるというが、霧なら夕に立って朝にはなくなるというが、そんな露や霧でもないのにはかなく世を去ったという、その噂を聞く私でさえも、おとめを生前ぼんやりと見過ごしていたことが残念でたまらないのに・・・。まして、敷栲(しきたへ)の手枕を交わし身に添えて寝たであろうその夫だった人は、どんなに寂しく思って一人寝をかこっていることであろうか。どんなに心残りに思って恋い焦がれていることであろうか。思いもかけない時に逝(い)ってしまったおとめの、何とまあ、朝霧のようにも夕霧のようにもあることか。(同上)

(注)あきやまの【秋山の】分類枕詞:秋の山が美しく紅葉することから「したふ(=赤く色づく)」「色なつかし」にかかる。(学研)

(注)したふ 自動詞:木の葉が赤く色づく。紅葉する。(学研)

(注)なよたけの【弱竹の】分類枕詞:①細いしなやかな若竹がたわみやすいところから、「とをよる(=しんなりとたわみ寄る)」にかかる。②しなやかな竹の節(よ)(=ふし)の意で、「よ」と同音の「夜」「世」などにかかる。 ※「なよだけの」「なゆたけの」とも。(学研)ここでは①の意

(注)とをよる【撓寄る】自動詞:しなやかにたわむ。(学研)

(注)たくなはの【栲縄の】分類枕詞:「栲縄(たくなは)」は長いところから、「長し」「千尋ちひろ)」にかかる。(学研)

(注の注)たくなは【栲縄】名詞:こうぞの皮をより合わせて作った白い縄。漁業に用いる。※後世「たぐなは」とも。(学研)

(注)あづさゆみ【梓弓】分類枕詞:①弓を引き、矢を射るときの動作・状態から「ひく」「はる」「い」「いる」にかかる。②射ると音が出るところから「音」にかかる。③弓の部分の名から「すゑ」「つる」にかかる。(学研)ここでは②の意

(注)音聞く我れも:はかなくも世を去ったという、その噂を聞く私でさえも。(伊藤脚注)

(注)おほなり【凡なり】形容動詞:①いい加減だ。おろそかだ。②ひととおりだ。平凡だ。 ※「おぼなり」とも。上代語。(学研)

(注)夫(つま)の子:主人公の夫。采女は臣下との結婚を禁じられていた。(伊藤脚注)

(注)時にあらず過ぎにし子:その時でもないのに思いがけなく逝ってしまった子。自殺したことが暗示されている。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1556)」で紹介している。

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■七〇四歌■

七〇三、七〇四歌の題詞は、「巫部麻蘇娘子歌二首」<巫部麻蘇娘子(かわなぎべのまそをとめ)が歌二首>である。

(注)巫部麻蘇娘子:伝未詳。

 

栲縄之 永命乎 欲苦波 不絶而人乎 欲見社

      (巫部麻蘇娘子 巻四 七〇四)

 

≪書き下し≫栲縄(たくなは)の長き命を欲(ほ)りしくは絶えずて人を見まく欲(ほ)りこそ

 

(訳)栲縄(たくなは)のような長い命、その命を望んできたのは、いつもいつも絶え間なくあの方のお顔を見たい一心からなのです。(同上)

(注)みまく【見まく】分類連語:見るだろうこと。見ること。 ※上代語。 ⇒なりたち:動詞「みる」の未然形+推量の助動詞「む」の古い未然形「ま」+接尾語「く」(学研)

(注)ほる【欲る】他動詞:願い望む。欲する。ほしいと思う。 ⇒語法:ほとんど連用形の形で用いられる。(学研)

 

 

 

 その44改で、憶良が「奈良の都に召喚されたのは天平4年で、73歳の時であった。生活は大変だったようである。と書いている。

 しかし、今から思えば、憶良の年齢と子供を考えると疑問に思える。

 犬養 孝氏は「万葉の人びと」(新潮文庫)のなかで。「・・・憶良という人の文芸は、現実的なものが多いようだけれども。決して現実だけのリアルさだけを詠んだのとは違う。この人にも豊かな創作意識、他の人にも優るとも劣らない創作意識があったといえる・・・山上憶良さ人の気持になり代わって作る歌が、ずいぶんある・・・」と書いておられる。

 辰巳正明氏は「山上憶良」(笠間書院)のなかで、九〇一歌(荒栲の布衣をだに着せかてにかくや嘆かむ術をなみ)について、楮や藤などの蔓の皮から取った繊維の服は下層階級の人たちの着る服であったが「憶良は、それすらも愛する子どもに着せられないのだ、と嘆くのである。しかし、憶良は従五位下ではあるといっても、当時の貴族階級の一員であり、国守までもつとめている。それが下層階級の者の着る服すらも着せられずに、このようにして嘆くのだというのは、いかにも不自然であろう。そのことから考えると、この歌は憶良の体験をうたっているものではないという結論になる。それでは、この歌は何を目的とした歌であるのだろうか。・・・この世に生きる者にとっての、辛苦のきわまりという問題提起にある。・・・貧しく尊厳もなく生きることの意味とは何かを、この作品を通して問いかけているのだといえる。これは憶良を離れて、生の苦はつねに因果として、人の身に現れるのであり、それに対しては、ただ声を上げて泣くしかないのだというのが答えである。」と書いておられる。

 九〇二歌ならびに九〇三歌(しつたまき数にもあらぬ身にはあれど千年にもがと思ほゆるかも)は、一転、現実の己の「老身に病を重ね」つつも生への熱い思いがたぎっている苦悩を詠っているのであろう。

 生への熱い思いをたぎらせる現実の己を冷静に客観的にみつめる憶良がそこにいるのである。

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「山上憶良」 辰巳正明 著 (笠間書院

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典