●歌は、「水沫(みなわ)なす微(もろ)き命も栲縄(たくなわ)の千尋(ちひろ)にもがと願ひ暮しつ」である。
●歌碑は、奈良市北御門町五劫院境内にある。
●歌をみていこう。
◆水沫奈須 微命母 栲縄能 千尋尓母何等 慕久良志都
(山上憶良 巻五 九〇二)
≪書き下し≫水沫(みなわ)なす微(もろ)き命も栲縄(たくなは)の千尋(ちひろ)にもがと願ひ暮らしつ
(訳)水の泡にも似たもろくはかない命ではあるものの、楮(こうぞ)の綱のように千尋(ちひろ)の長さほどもあってほしいと願いながら、今日もまた一日を送り過ごしてしまった。(伊藤博著「万葉集 一」(角川ソフィア文庫)より)
(注)みなわ【水泡】:水の泡。はかないものをたとえていう。
(注)たくなわ【栲縄】:楮(こうぞ)などの繊維で作った縄。
(注)ちひろ【千尋】:両手を左右に広げた長さ。非常な深さ・長さにいう語。
この歌は、題詞、「老身重病經年辛苦及思兒等歌七首 長一首短六首」(老身に病を重ね、経年辛苦し、児等を思ふに及(いた)る歌七首 長一首短六首)とある短歌六首のうちの一つである。
長歌からみていくことにする。
◆霊剋(たまきはる) 内限者(うちのかぎりは) {謂瞻浮州人等一百二十年也(瞻浮州のひとの寿は一百二十年なりといふ)} 平氣久(たひらけく) 安久母阿良牟遠(やすくもあらむを) 事母無(こともなく) 裳無母阿良牟遠(もなくもあらむを) 世間能(よのなかの) 宇計久都良計久(うけくつらけく) 伊等能伎提(いとのきて) 痛伎瘡尓波(いたききずには) 鹹塩遠(からしほを) 潅知布何其等久(そそくちふがごとく) 益々母(ますますも) 重馬荷尓(おもきうまにに) 表荷打等(うはにうつと) 伊布許等能其等(いふことのごと) 老尓弖阿留(おいにてある) 我身上尓(わがみのうえに) 病遠等(やまひをと) 加弖阿礼婆(くわへてあれば) 晝波母(ひるはも) 歎加比久良志(なげかひくらし) 夜波母(よるはも) 息豆伎阿可志(いきづきあかし) 年長久(としながく) 夜美志渡礼婆(やみしわたれば) 月累(つきかさね) 憂吟比(うれへさまよひ) 許等々々波(ことことは) 斯奈々等思騰(しななとおもへど) 五月蝿奈周(さばへなす) 佐和久兒等遠 (さわくこどもを)宇都弖々波(うつてては) 死波不知(しにはしらず) 見乍阿礼婆(みつつあれば) 心波母延農(こころはもえぬ) 可尓久尓(かにかくに) 思和豆良比(おもひわづらひ) 祢能尾志奈可由(ねのみしなかゆ)
(山上憶良 巻五 八九七)
(訳)この世に生きてある限りは<仏典には人間界に住む人の寿命は百二十年だという>。無事であり平穏でありたいのに、障碍もなく不幸なく過ごしたいのに、この世の中で憂鬱で辛いことは、格別に痛い傷に辛塩をふりかけるという諺のように、また、ひどく重い馬荷に上荷をどさりと重ね載せるという諺のように、老いさらばえて息づくこの私の身の上に病魔まで背負わされている有様なので、昼は昼で嘆き暮らし、夜は夜で溜息ついて明かし、年久しく患い続けてきたので、幾月も愚痴ったりうめいたりして、いっそのこと死んでしまいたいと思うけれども、真夏の蠅のように騒ぎ回る子供たち、そいつをほったらかして死ぬことはとてもできず、じっと子供たちを見つめていると、逆に生への熱い思いが燃え立ってくる。こうして、あれやこれやと思い悩んで、泣けて泣けてしようがない。(伊藤 博著「万葉集 二 角川ソフィア文庫より」
(注)たまきはる:枕詞。「内(うち)」や「内」と同音の地名「宇智(うち)」、また、「命(いのち)」「幾世(いくよ)」などにかかる。
◆奈具佐牟留(なぐさむる) 心波奈之尓(ここはなしに) 雲隠(くもがくり) 鳴往鳥乃(なきゆくとりの) 祢能尾志奈可由(ねのみしなかゆ)
〈山上憶良 看護 八九八〉
(訳)気の紛れることはいっこうになくて、雲の彼方に遠く隠れて行く鳥のように、泣けて泣けて仕方がない。(同)
◆周弊母奈久(すべもなく) 苦志久阿礼婆(くるしくあれば) 出波之利(いではしり) 伊奈々等思騰(いななとおもへど) 許良尓作夜利奴(こらにさやりぬ)
(山上憶良 巻五 八九九)
(訳)なすすべもなく苦しくてたまらないので、この世を逃げ出してどこかに行ってしまいたいと思うけれども、騒ぎ回るこのめんこいやつらに妨げられてしまう。(同)
◆富人能(とみひとの) 家能子等能(いへのこどもの) 伎留身奈美(きるみなみ) 久多志須都良牟(くたしすつらめ) 絁綿良波母(きぬわたらはも)
(山上憶良 巻五 九〇〇)
(訳)物持ちの家の子どもが着余して、持ち腐れにしては、捨てている、その絹の綿の着物は、ああ。(同)
◆麁妙能(あらたへの) 布衣遠陀尓(ぬのきぬをだに) 伎世難尓(きせかてに) 可久夜歎敢(かくやなげかむ) 世牟周弊遠奈美(せむすべをなみ)
(山上憶良 巻五 九〇一)
(訳)粗末な布の着物すら着せるに着せられなくて、このように嘆かねばならぬのか。どうしてよいか手のほどこしようもないままに。(同)
◆水沫奈須 微命母 栲縄能 千尋尓母何等 慕久良志都 <歌碑の歌>
(山上憶良 巻五 九〇二)
◆倭父手纒(しつたまき) 數母不在(かずにもあらぬ) 身尓波在等(みにはあれど) 千年尓母可等(ちとせにもがと) 意母保由留加母(おもほゆるかも)
(山上憶良 巻五 九〇三)
(訳)物の数でもない俗世の命ではあるけれども、千年でも長生きできたらなあ、と思われてならない。(同)
新元号「令和」が選定された天平二年の大宰府の「梅花の宴」にも、山上憶良(筑前守)は参加しており歌を詠んでいる。そして、奈良の都に召喚されたのは天平四年、七三歳の時である。天平五年(七三三年)に亡くなったとある。
●自民党若手が、「74歳まで現役、社会保障の見直し」を提言して一石を投じている。
万葉の時代、山上憶良は、新元号「令和」の元となった「梅花の宴」に、筑前守として参加し歌を詠んでいる。71歳の時である。奈良の都に召喚されたのは天平4年で、73歳の時であった。生活は大変だったようである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「Weblio古語辞書」
★「万葉ゆかりの地を訪ねて~歌碑めぐり~」(奈良市HP)
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