―その591―
●歌は、「瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆいづくより・・・」である。
●歌碑は、西宮市西田町西田公園万葉植物苑(25)にある。
●歌をみていこう。
この歌について、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その477)」で紹介している。巻五の特徴である、漢文の序等も詳しく解説している。
◆宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯堤葱斯農波由 伊豆久欲利
枳多利斯物能曽 麻奈迦比尓 母等奈可利堤 夜周伊斯奈佐農
(山上憶良 巻五 八〇二)
≪書き下し≫瓜食(うりはめ)めば 子ども思ほゆ 栗(くり)食めば まして偲(しの)はゆ いづくより 来(きた)りしものぞ まなかひに もとなかかりて 安寐(やすい)し寝(な)さぬ
(訳)瓜を食べると子どもが思われる。栗を食べるとそれにも増して偲(しの)ばれる。こんなにかわいい子どもというものは、いったい、どういう宿縁でどこ我が子として生まれて来たものなのであろうか。そのそいつが、やたら眼前にちらついて安眠をさせてくれない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)まなかひ【眼間・目交】名詞:目と目の間。目の辺り。目の前。 ※「ま」は目の意、「な」は「つ」の意の古い格助詞、「かひ」は交差するところの意。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)もとな 副詞:わけもなく。むやみに。しきりに。 ※上代語。(学研)
(注)やすい【安寝・安眠】名詞:安らかに眠ること。安眠(あんみん)。 ※「い」は眠りの意(学研)
この歌が収録されている万葉集巻五は次のような点で他の巻とは違う特異性を持っている。
- 大伴旅人と山上憶良の歌が中心となっている。
- 神亀五年(728年)から天平五年(733年)という短期間に集約されている。
- 大宰府を場とする歌が多い。
- 漢文の手紙、同序、漢詩とともに歌が収録されている。
- 歌については「一字一音の仮名」表記となっている。
上記の①~③でもって、「筑紫歌壇」というとらえ方もある。また、④があるが故、⑤という「漢」に対する歌における「倭」という位置づけが必要となったと考えられる。いずれにしても、かかる特異な巻が万葉集に収録されていることも或る意味万葉集の万葉集たる所以といえよう。
―その592―
●歌は、「印南野の赤ら柏は時はあれど君を我が思ふ時はさねなし」である。
●歌碑は、西宮市西田町西田公園万葉植物苑(26)にある。
●歌をみていこう。
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その481)」で紹介している。
◆伊奈美野之 安可良我之波ゝ 等伎波安礼騰 伎美乎安我毛布 登伎波佐祢奈之
(安宿王 巻二〇 四三〇一)
≪書き下し≫印南野(いなみの)の赤ら柏(がしは)は時はあれど君を我(あ)が思(も)ふ時はさねなし
(訳)印南野の赤ら柏は、赤らむ季節が定まっておりますが、大君を思う私の気持ちには、いついつと定まった時など、まったくありません。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)印南野 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の兵庫県加古川市から明石市付近。「否(いな)」と掛け詞(ことば)にしたり、「否」を引き出すため、序詞(じよことば)的な使い方をすることもある。稲日野(いなびの)。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)さね 副詞:①〔下に打消の語を伴って〕決して。②間違いなく。必ず。(学研)
「かしは」は、古来祭祀の時に、その葉が用いられていた。万葉集には三首が収録されている。あから柏の他に、秋柏と朝柏とがある。
播磨国守であった安宿王は、平城京における宴席の場で宮中の祭祀にも使われた「かしは」を「稲見野のあから柏」と見立て、天皇をたたえているのである。
この歌の題詞は、「七日天皇太上天皇皇太后在於東常宮南大殿肆宴歌一首」<七日に、天皇(すめらみこと)、太上天皇(おほきすめらみこと)、皇太后(おほきさき)、東(ひむがし)の常宮(つねのみや)の南の大殿に在(いま)して肆宴(とよのあかり)したまふ歌一首>とある。
(注)東常宮:天皇が日常生活を送る御殿、東院ともいう。
(注)とよのあかり【豊の明かり】名詞:①酒を飲んで顔が赤らむこと。②宴会。特に、宮中の宴会。③「とよのあかりのせちゑ」に同じ。 ※「とよ」は接頭語。「あかり」は顔が赤らむの意。(学研) ここでは②の意
左注は、「右一首播磨國守安宿王奏 古今未詳」<右の一首は、播磨(はりま)の国(くに)の守(かみ)安宿王(あすかべのおほきみ)奏(まを)す。 古今未詳>とある。
安宿王については、「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」に次のように書かれている。
「奈良時代、長屋王の子。母は藤原不比等(ふひと)の娘。長屋王の変の際は母の縁で罪をまぬかれ、玄蕃頭(げんばのかみ)、治部卿、播磨守(はりまのかみ)、讃岐(さぬきの)守などを歴任した。天平勝宝(てんぴょうしょうほう)9年(757)橘(たちばなの)奈良麻呂の陰謀(橘奈良麻呂の変)にくわわり、佐渡に流される。のちゆるされ、宝亀(ほうき)4年高階真人(たかしなのまひと)の氏姓をさずかる。「万葉集」巻20に歌がおさめられている。」
―その593―
●歌は、「栲領巾の鷺坂山の白つつじ我れににほはに妹に示さむ」である。
●歌碑は、西宮市西田町西田公園万葉植物苑(27)にある。
●歌をみていこう。
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その219)」他で紹介している。
◆細比礼乃 鷺坂山 白管自 吾尓尼保波尼 妹尓示
(作者未詳 巻九 一六九四)
≪書き下し≫栲領巾の鷺坂山の白つつじ我(わ)れににほはに妹(いも)に示(しめ)さむ
(訳)栲領巾のように白い鳥、鷺の名の鷺坂山の白つつじの花よ、お前の汚れのない色を私に染め付けておくれ。帰ってあの子に見せてやろう。(同上)
(注)たくひれの【栲領巾の】分類枕詞:「たくひれ」の色が白いことから、「白(しら)」「鷺(さぎ)」に、また、首に掛けるところから、「懸(か)く」にかかる。(学研)
(注)にほふ【匂ふ】自動詞:①美しく咲いている。美しく映える。②美しく染まる。(草木などの色に)染まる。③快く香る。香が漂う。④美しさがあふれている。美しさが輝いている。⑤恩を受ける。おかげをこうむる。(学研)ここでは②の意
題詞は、「鷺坂作歌一首」<鷺坂にして作る歌一首>である。
「たくひれの」で始まる歌は万葉集では三首収録されている。歌碑の歌の他の二首をみてみよう。
◆栲領布乃 懸巻欲寸 妹名乎 此勢能山尓 懸者奈何将有 一云可倍波伊香尓安良牟
(丹比真人笠麻呂 巻三 二八五)
≪書き下し≫栲領布(たくひれ)の懸(か)けまく欲(ほ)しき妹(いも)が名をこの背の山に懸けばいかにあらむ妹一には「替へばいかにあらむ」といふ
(訳)栲領布(たくひれ)を肩に懸けるというではないが、口に懸けて呼んでみたい“妹”という名、その名をこの背の山につけて、“妹”の山と呼んでみたらどうであろうか。<この背の山と取替えてみたらそうであろうか>(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
もう一首をみてみよう。
◆栲領布巾乃 白濱浪乃 不肯縁 荒振妹尓 戀乍曽居 一云 戀流己呂可母
(作者未詳 巻十一 二八二二)
≪書き下し≫栲領巾(たくひれ)の白浜(しらはま)波(なみ)の寄りもあへず荒ぶる妹に恋ひつつそ居(い)る 一には「恋ふるころかも」といふ
(訳)栲領巾(たくひれ)の白というではないが、その白浜にうち寄せる波のようには、そばに近寄れもしないほどつっけんどんなあなたに、焦がれつづけています。<恋い焦がれているこのごろです>(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)あらぶ【荒ぶ】:①荒々しくする。あばれる。②情が薄くなる。疎遠になる。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集をどう読むか―歌の「発見」と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」