万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その1351、1352、1353)―石川県津幡町 倶利伽羅公園(1)~(3)―万葉集 巻十七 四〇〇八、四〇〇九、四〇一〇

―その1351―

●歌は、「あをによし 奈良を来離れ 天離る 鄙にはあれど 我が背子を 見つつし居れば 思ひ遣る こともありしを・・・」である。

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石川県津幡町 倶利伽羅公園(1表)万葉歌碑(大伴池主)

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石川県津幡町 倶利伽羅公園(1裏)万葉歌碑(大伴池主)

●歌碑は、石川県津幡町 倶利伽羅公園(1)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「忽見入京述懐之作生別悲兮断腸万廻怨緒難禁聊奉所心一首幷二絶」<たちまちに京に入らむとして懐(おもひ)を述ぶる作を見るに、生別(せいべつ)は悲しぐ、断腸(だんちやう)万廻(よろづたび)にして、怨緒(えんしよ)禁(とど)めかたし。いささかに所心(しよしん)を奉る一首幷(あは)せて二絶>である。

(注)えんしよ【怨緒】〔名〕: かなしい思い。うらみの心。(weblio辞書 精選版 日本国語大辞典

 

◆安遠邇与之 奈良乎伎波奈礼 阿麻射可流 比奈尓波安礼登 和賀勢故乎 見都追志乎礼婆 於毛比夜流 許等母安利之乎 於保伎美乃 美許等可之古美 乎須久尓能 許等登理毛知弖 和可久佐能 安由比多豆久利 無良等理能 安佐太知伊奈婆 於久礼多流 阿礼也可奈之伎 多妣尓由久 伎美可母孤悲無 於毛布蘇良 夜須久安良祢婆 奈氣可久乎 等騰米毛可祢氐 見和多勢婆 宇能婆奈夜麻乃 保等登藝須 祢能未之奈可由 安佐疑理能 美太流々許己呂 許登尓伊泥弖 伊波婆由遊思美 刀奈美夜麻 多牟氣能可味尓 奴佐麻都里 安我許比能麻久 波之家夜之 吉美賀多太可乎 麻佐吉久毛 安里多母等保利 都奇多々婆 等伎毛可波佐受 奈泥之故我 波奈乃佐可里尓 阿比見之米等曽

      (大伴池主 巻十七 四〇〇八)

 

≪書き下し≫あをによし 奈良を来離(きはな)れ 天離(あまざか)る 鄙(ひな)にはあれど 我が背子(せこ)を 見つつし居(を)れば 思ひ遣(や)る こともありしを 大君(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み 食(を)す国の 事取り持ちて 若草の 足結(あゆ)ひ手作(たづく)り 群鳥(むらとり)の 朝立(あさだ)ち去(い)なば 後(おく)れたる 我(あ)れや悲しき 旅に行く 君かも恋ひむ 思ふそら 安くあらねば 嘆かくを 留(とど)めもかねて 見わたせば 卯(う)の花山の 霍公鳥 音(ね)のみし泣かゆ 朝霧(あさぎり)の 乱るる心 言(こと)に出でて 言はばゆゆしみ 礪波山(となみやま) 手向(たむ)けの神に 幣(ぬさ)奉(まつ)り 我(あ)が祈(こ)ひ禱(の)まく はしけやし 君が直香(ただか)を ま幸(さき)くも ありた廻(もとほ)り 月立たば 時もかはさず なでしこが 花の盛りに 相見(あひみ)しめとぞ

 

(訳)あをによし奈良の都をあとにして来て、遠く遥かなる鄙(ひな)の地にある身であるけれど、あなたの顔さえ見ていると、故郷恋しさの晴れることもあったのに。なのに、大君の仰せを謹んでお受けし、御国(みくに)の仕事を負い持って、足ごしらえをし手甲(てつこう)をつけて旅装(たびよそお)いに身を固め、群鳥(むらとり)の飛びたつようにあなたが朝早く出かけてしまったならば、あとに残された私はどんなにか悲しいことでしょう。旅路を行くあなたもどんなにか私を恋しがって下さることでしょう。思うだけでも不安でたまらいので、溜息(ためいき)が洩(も)れるのも抑えきれず、あたりを見わたすと、彼方卯の花におう山の方で鳴く時鳥、その時鳥のように声張りあげて泣けてくるばかりです。たゆとう朝霧のようにかき乱される心、この心を口に出して言うのは縁起がよくないので、国境の礪波(となみ)の山の峠の神に弊帛(ぬさ)を捧(ささ)げて、私はこうお祈りします。「いとしいあなたの紛れもないお姿、そのお姿に、何事もなく時がめぐりめぐって、月が変わったなら時も移さず、なでしこの花の盛りには逢わせて下さい。」と。

(注)おもひやる【思ひ遣る】他動詞:①気を晴らす。心を慰める。②はるかに思う。③想像する。推察する。④気にかける。気を配る。(学研)ここでは①の意

(注)わかくさの【若草の】分類枕詞:若草がみずみずしいところから、「妻」「夫(つま)」「妹(いも)」「新(にひ)」などにかかる。(学研)

(注の注)「若草の」は「足結ひ」の枕詞。懸り方未詳。(伊藤脚注)

(注)あゆひ【足結ひ】名詞:古代の男子の服飾の一つ。活動しやすいように、袴(はかま)をひざの下で結んだ紐(ひも)。鈴・玉などを付けて飾りとすることがある。「あよひ」とも。(学研)

(注)てづくり【手作り】名詞:①手製。自分の手で作ること。また、その物。②手織りの布。(学研)

(注の注)足結ひ手作り:足首を紐で結び、手の甲を覆って。旅装束をするさま。(伊藤脚注)

(注)嘆かくを:嘆く心を。「嘆かく」は「嘆く」のク語法。(伊藤脚注)

(注)「見わたせば 卯(う)の花山の 霍公鳥」は季節の景物を用いた序。「音のみ泣く」を起こす。(伊藤脚注)

(注)ね【音】のみ泣(な)く:(「ねを泣く」「ねに泣く」を強めた語) ひたすら泣く。泣きに泣く。また、(鳥などが)声をたてて鳴く。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)あさぎりの【朝霧の】分類枕詞:朝霧が深くたちこめることから「思ひまどふ」「乱る」「おほ(=おぼろなようす)」などにかかる。(学研)

(注)礪波山:富山・石川県の境の山。倶利伽羅峠のある地。この地まで家持を見送るつもりでの表現。(伊藤脚注)

(注)「君が直香(ただか)を ま幸(さき)くも ありた廻(もとほ)り 月たてば」:あなたの紛れもないお姿に、何の不幸もなく時がずっとめぐって、の意か。(伊藤脚注)

 

―その1352―

●歌は、「玉桙の道の神たち賄はせむ我が思ふ君をなつかしみせよ」である。

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石川県津幡町 倶利伽羅公園(2表)万葉歌碑(大伴池主)

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石川県津幡町 倶利伽羅公園(2裏)万葉歌碑(大伴池主)

●歌碑は、石川県津幡町 倶利伽羅公園(2)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆多麻保許乃 美知能可未多知 麻比波勢牟 安賀於毛布伎美乎 奈都可之美勢余

      (大伴池主 巻十七 四〇〇九)

 

≪書き下し≫玉桙(たまほこ)の道の神たち賄(まひ)はせむ我(あ)が思ふ君をなつかしみせよ

 

(訳)長い道のりの神さま方、お供えは充分に致します。私がこれほど案じている方なのですから、どうかこの方を影身(かげみ)離れず守って下さい。(同上)

(注)賄(まひ):お供え、謝礼(伊藤脚注)

(注)なつかしみ:(形容詞「なつかしい」の語幹に、「み」の付いたもの。→み)① …に心がひかれるので。…が好ましくて。…がゆかしさに。なつかしび。② 心ひかれるさまに。大切に。なつかしび。(weblio辞書 精選版 日本国語大辞典)ここでは②の意

 

 

―その1352―

●歌は、「うら恋し我が背の君はなでしこが花にもがもな朝な朝な見む」である。

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石川県津幡町 倶利伽羅公園(3表)万葉歌碑(大伴池主)

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石川県津幡町 倶利伽羅公園(3裏)万葉歌碑(大伴池主)

●歌碑は、石川県津幡町 倶利伽羅公園(3)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆宇良故非之 和賀勢能伎美波 奈泥之故我 波奈尓毛我母奈 安佐奈ゝゝ見牟

      (大伴池主 巻十七 四〇一〇)

 

≪書き下し≫うら恋(ごひ)し我が背(せ)の君はなでしこが花にもがもな朝(あさ)な朝(さ)な見む

 

(訳)ああお慕わしい、そのあなたはいっそなでしこででもあればよいのに。そしたら毎朝毎朝見られるだろうに。(同上)

(注)うらこひし【うら恋し】形容詞:何となく恋しい。心ひかれる。慕わしい。「うらごひし」とも。 ※「うら」は心の意。(学研)

(注)あさなあさな【朝な朝な】副詞:朝ごとに。毎朝毎朝。「あさなさな」とも。[反対語] 夜(よ)な夜な。(学研)

 

左注は、「右大伴宿祢池主報贈和歌 五月二日」<右は大伴宿禰池主が報(こた)へて贈りて和(こた)ふる歌 五月の二日>である。

 

四月三十日に、家持が池主に贈った歌(四〇〇六、四〇〇七歌)に和(こた)えたものである。

 

 四〇〇八~四〇一〇歌ならびに四〇〇六・四〇〇七歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1348表④)で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 倶利伽羅公園の3基の歌碑の側に「万葉集巻十七 砺波山手向けの神の歌」という説明案内板が設置されていた。

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万葉集巻十七 砺波山手向けの神の歌」説明案内板

 

 

■万葉公園(源平ライン)➡倶利伽羅公園

 時折、小雨のパラつく万葉公園(源平ライン)の歌碑巡りであったが、幸いにも熊に遭遇することなく無事終了。万葉公園を独占し大自然を背景に万葉時代へとタイムスリップできるのは楽しいことではあるが、「熊出没注意」の真新しい看板が公園独占時間を短くさせたのは否めない。

 万葉公園をあとにし、次の目的地倶利伽羅公園に向かう。約30分のドライブである。源平の戦いの場、倶利伽羅古戦場跡も車窓越しに見るにとどめる。

 駐車場に到着。ここも独占状態。風が木の葉を散らす音のみの世界である。

 ここでも雨は時折降ってくる。予報からすれば降っているうちには入らない。

 手作りの雨避けのカメラカバーの出番はない。

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倶利伽羅公園

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倶利伽羅公園園内マップ

 倶利伽羅公園については、「津幡町観光ガイド」(津幡町役場HP)に「石川県と富山県にまたがる歴史国道『北陸道』が走る倶利伽羅峠には、3基の万葉歌碑が建つ倶利伽羅公園があります。1981(昭和56)年7月6日に建立された3基の歌碑には、747(天正19)年5月2日に掾(じょう=三等官)の大伴池主(おおとものいけぬし)が越中守だった大伴家持(おおとものやかもち)に贈った長歌1首と短歌2首(万葉集巻17)がそれぞれ刻まれています。家持から贈られた別離の歌に答えて、後半の部分で『刀奈美夜麻(となみやま)多牟氣能可味个(たむけのかみに)奴佐麻都里(ぬさまつり)』と、池主は奈良の都に旅立つ家持の旅の無事を祈りながら、手向(たむけ)の神を詠んでいます。倶利伽羅峠は、源平合戦の頃まで礪波山(となみやま)と呼ばれていました。(後略)」と書かれている。

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倶利伽羅公園万葉歌碑

 ゆっくりと歌碑を巡り終える。

 次は、倶利伽羅峠を下り、石川県羽咋市のなぎさドライブウェイを走り能登千里浜レストハウス北の家持の歌碑を目指す。

 この時点では、凄まじい晩秋の北陸スコールに見舞われるとは予想だにしてはいなかったのであるが・・・。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 精選版 日本国語大辞典

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)