万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その36改)―率川神社―万葉集 巻七 一一一二

●歌は、「はね蘰今する妹をうら若みいざ率川の音の清けさ」である。

 

●歌碑は、奈良市本子守町の率川神社境内にある。

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率川神社境内万葉歌碑(作者未詳)

●歌をみていこう。

 

◆波祢蘰今為妹乎浦若三去来率去河之音之清左

      (作者未詳 巻七 一一一二)

 

≪書き下し≫はねかづら今する妹(いも)をうら若みいざ率川(いざかは)の音のさやけさ

 

(訳)はねかずらを今着けたばかりの子の初々(ういうい)しさに、さあおいでと誘ってみたい、そのいざという名の率川(いざがわ)の川音の、何とまあすがすがしいことか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫よ)

(注)はねかづら:髪飾りの鬘。若い女がつける。「いざ」まで序。「率川」を起す。(伊藤脚注)

(注)うらわかし【うら若し】形容詞:①木の枝先が若くてみずみずしい。②若くて、ういういしい。 ⇒参考:①の用例の「うら若み」は、形容詞の語幹に接尾語「み」が付いて、原因・理由を表す用法。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

(注)いざ 感動詞:①さあ。▽人を誘うときに発する語。②どれ。さあ。▽行動を起こすときに発する語。 ⇒注意:「いさ」は別語。(学研)

(注)率川:春日山を発して佐保川に注ぐ川。(伊藤脚注)

 

 率川(いさがわ)神社は、五九三年に大三輪君白堤(おおみわのきみしらつつみ)が勅命によりお祀りした奈良市最古の神社。御祭神の媛蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)は、初代神武天皇(じんむてんのう)の皇后で、全国の神社の中でも珍しい皇后を主祭神とした神社である。

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率川神社

 三棟の本殿左側には父神の狭井大神(さいのおおかみ)、右側には母神の玉櫛姫命(たまくしひめのみこと)、中央に子供の媛蹈韛五十鈴姫命をお祀りしている。古くより子供の守り神として知られている。「子守神社」とも呼ばれることが神社の所在地「本子守町」の由来となっている。

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率川神社本殿

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率川神社拝殿

 三枝祭(さいくさのまつり)の起源は、文武天皇大宝元年(701年)制定の「大宝令」には既に国家の祭祀として規定されていた。大神神社で行われる鎮花祭と共に疫病を鎮めることを祈る由緒あるお祭りといわれている。

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大神神社碑と二の鳥居

 昔、御祭神姫蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)が三輪山の麓、狭井川のほとりに住いされ、その附近には笹ゆりの花が美しく咲き誇っていたと伝えられている。このことから、後世にご祭神に酒罇に笹ゆりの花を飾っておまつりする様になったと言い伝えられている。(「大和国一宮 大神神社摂社 率川神社」HPより)

 「三枝祭り」は、別名「ゆりまつり」ともいわれる。

 大神神社の宝物殿に向かって左側に「ささゆり園」への入り口がある。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉ゆかりの地を訪ねて~歌碑めぐり~」(奈良市HP)

★「大和国一宮 大神神社摂社 率川神社」(率川神社HP)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

 

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