万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その289)―東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(30)―

 

●歌は、「瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆいづくより来りしものぞまなかひにもとなかかりて安寐し寝さぬ」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(30)(山上憶良

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(30)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯提斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曽 麻奈迦比尓 母等奈可可利提 夜周伊斯奈佐農

               (山上憶良 巻五 八〇二)

 

≪書き下し≫瓜(うり)食(は)めば 子ども思ほゆ 栗(くり)食めば まして偲(しの)はゆいづくより 来(きた)りしものぞ まなかひに もとなかかりて 安(やす)寐 (い)し寝(な)さぬ

 

(訳)瓜を食べると子どもが思われる。栗を食べるとそれにも増して偲(しの)ばれる。こんなにかわいい子どもというものは、いったい、どういう宿縁でどこから我が子として生まれてきたものであろうか。そのそいつが、やたらに眼前にちらついて安眠をさせてくれない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)まなかひ【眼間・目交】名詞:目と目の間。目の辺り。目の前。※「ま」は目の意、「な」は「つ」の意の古い格助詞、「かひ」は交差するところの意。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)もとな 副詞:わけもなく。むやみに。しきりに。※上代語。(同上)

(注)やすい【安寝・安眠】名詞:安らかに眠ること。安眠(あんみん)。※「い」は眠りの意。

 

 題詞は、「思子等歌一首并序」<子等(こら)を思う歌一首併せて序>である。

 序は、「釋迦如来金口正説 等思衆生如羅睺羅 又説 愛無過子 至極大聖尚有愛子之心 況乎世間蒼生誰不愛子乎>である。

 

≪序の書き下し≫釋迦如来(しゃかにょらい)、金口(こんく)に正(ただ)に説きたまわく、「等(ひと)しく衆生(しゅうじゃう)を思うこと羅睺羅(らごら)のごとし」と。また、説きたまはく「愛は子に過ぎたることなし」と。至極(しごく)の大聖(たいせい)すらに、なほ子を愛したまふ心あり。いはむや、世間(せけん)の蒼生(さうせい)、誰れか子を愛せずあらめや。」

 

(序の訳)釈尊が御口ずから説かれるには、「等しく衆生を思うことは、我が子羅睺羅(らごら)を思うのと同じだ」と。しかしまた、もう一方で説かれるには、「愛執(あいしゅう)は子に勝るものはない」と。このような大聖人でさえも、なおかつ、このように子への愛着に執(とら)われる心をお持ちである。ましてや、俗世の凡人たるもの、誰が子を愛さないでいられようか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)こんく【金口】:① 仏語。釈迦 (しゃか) の口を尊んでいう語。転じて、釈迦の説法。きんく。きんこう。② 非常に尊い言葉。金科玉条。(goo辞書)

(注)しごく【至極】:① 極限・極致に達していること。この上ないこと。また、そのさま。② きわめて道理にかなっていること。また、そのさま。至当。③ 他人の意見などをもっともだと思って、それに従うこと。納得。(同上)

(注)そうせい【蒼生】:多くの人々。人民。あおひとぐさ。蒼氓 (そうぼう) 。(同上)

 

 

 巻五は、上記の「序」のように、漢文の手紙、漢文の序や漢詩とともに歌があるという他の巻とは違う特色を持っている。さらには、大伴旅人山上憶良の二人に関わる作品が中心となっている。また、歌も、一字一音の仮名書きとなっている。漢詩や漢文との並列において歌を際立たせる配慮があったのだろう。巻ごとに独特の編集の意味合いが発せられている点も万葉集万葉集たる所以であろう。

 

反歌もみてみよう。

 

◆銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母

               (山上憶良 巻五 八〇三)

 

≪書き下し≫銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何(なに)せむにまされる宝子にしかめやも 

 

(訳)銀も金も玉も、どうして、何よりもすぐれた宝である子に及ぼうか。及びはしないのだ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 万葉集には、恋の歌は数多いが、このように子供に対する熱愛の歌は珍しいのである。憶良の現実主義的な歌といわれているが、世の中の子供を持つ親の気持ちを、自分の心をもとに、代弁しているところに、憶良独特の感性が発揮されていると見るべきなのだろう。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 (東京大学出版会

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「goo辞書」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」