万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その290)―東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(31)―巻五 九〇二

●歌は、「水沫なす微き命も拷縛の千尋にもがとねがひくらしつ」である。

 

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万葉の森船岡山万葉歌碑(31)(山上憶良

●歌碑は、東近江市糠塚町 万葉の森船岡山(31)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆水沫奈須 微命母 栲縄能 千尋尓母何等 慕久良志都

              (山上憶良 巻五 九〇二)

 

≪書き下し≫水沫(みなわ)なす微(もろ)き命(いのち)も栲(たく)縄(なは)の千尋(ちひろ)にもがと願ひ暮(くら)しつ

 

(訳)水の泡にも似たもろくはかない命ではあるものの、楮(こうぞ)の縄(つな)のように千尋の長さほどもあってほしいと願いながら、今日もまた一日を送り過ごしていまった。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)たくなは【栲縄】:楮(こうぞ)などの繊維で作った縄。(weblio辞書 三省堂大辞林

(注)ひろ【尋】名詞:両手を左右に伸ばし広げた長さ(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典) 今でも、釣りに行った時など、「浮子下二ヒロ半などと使うが、万葉時代からだと思うと感慨深いものがある。

 

「たく(栲)(コウゾ)」は、クワ科の落葉低木。万葉集では、この「たく」の皮からとった白い繊維で作った「栲縄(たくなは)」で「長い」を導く言葉として多く使われている。なお、「栲」は「楮」の古名である。

 

題詞は、「老身重病經年辛苦及思兒等歌七首 長一首短六首」<老身に病を重ね、経年辛苦(けいねんしんく)し、児等(こら)を思ふに及(いた)る歌七首 長一首 短六首>である。

 

巻五は、漢文の手紙、漢文の序、漢詩と共に歌があるという特色をもっている。この歌群も、漢文から漢詩文へと受け継がれてきた苦悩を「倭歌」(八九七~九〇三歌)で言い表している。漢文、漢詩文はここでは省略するが、歌はすべてみてみよう。

 

◆霊剋 内限者<謂瞻浮州人壽一百二十年也> 平氣久 安久母阿良牟遠 事母無 裳無母阿良牟遠 世間能 宇計久都良計久 伊等能伎提 痛伎瘡尓波 鹹塩遠 潅知布何其等久 益ゝ母 重馬荷尓 表荷打等 伊布許等能其等 老尓弖阿留 我身上尓 病遠等 加弖阿礼婆 晝波母 歎加比久良志 夜波母 息豆伎阿可志 年長久 夜美志渡礼婆 月累 憂吟比 許等ゝゝ波 斯奈ゝ等思騰 五月蝿奈周 佐和久兒等遠 宇都弖ゝ波 死波不知 見乍阿礼婆 心波母延農 可尓久尓 思和豆良比 祢能尾志奈可由

 

≪書き下し≫たまきはる うちの限りは<(瞻浮州(せんふしゅう)の人の尋は一百二十年なりといふ> 平(たひ)らけく 安くもあらむを 事もなく 喪(も)なくもあらむを 世の中の 厭(う)けく辛(つら)けく いとのきて 痛き瘡(きず)には 辛塩(からしほ)を 注(そそ)くちふがごとく ますますも 重き馬(うま)荷(に)に 表(うは)荷(に)打つと いふことのごと 老(お)いにてある 我(あ)が身の上(うへ)に 病(やまひ)をと 加へてあれば 昼はも 嘆かひ暮らし 夜(よる)はも 息(いき)づき明(あ)かし 年長く 病(や)みしわたれば 月重ね 憂(う)へさまよひ ことことは 死ななと思へど 五月蝿(さはえ)なす 騒(さわ)く子どもを 打棄(うつ)てては 死には知らず 見つつあれば 心は燃(も)えぬ かにかくに 思ひ煩(わづら)ひ 音(ね)のみし泣かゆ

 

(訳)この世に生きてある限りは<仏典には人間界に住む人の寿命は百二十年だという>、無事であり平穏でありたいのに、障碍(しょうがい)もなく不幸もなく過ごしたいのに、この世の中の憂欝で辛いことは、格別に痛い傷に辛塩(からしお)をふりかけるという諺のように、また、ひどく重い馬荷に上荷をどさりと重ね載せるという諺のように、老いさらばえて息づくこの私の身の上に病魔まで背負わされている有様なので、昼は昼で嘆き暮らし、夜は夜で溜息(ためいき)ついて明かし、年久しく思い続けてきたので、幾月も愚痴ったりうめいたりして、いっそのこと死んでしまいたいと思うけれども、真夏の蠅(はえ)のように騒ぎ回る子供たち、そいつをほったらかして死ぬことはとてもできず、じっと子供たちを見つめていると、逆に生への熱い思いが燃え立ってくる。こうして、あれやこれやと思い悩んで、泣けて泣けてしょうがない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)たまきはる【魂きはる】分類枕詞:語義・かかる理由未詳。「内(うち)」や「内」と同音の地名「宇智(うち)」、また、「命(いのち)」「幾世(いくよ)」などにかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典

(注)ことことは:同じ事なら

 

続いて反歌をみてみよう。

 

◆奈具佐牟留 心波奈之尓 雲隠 鳴徃鳥乃 祢能尾志奈可由  

              (山上憶良 巻五 八九八)

 

≪書き下し≫慰(なぐさ)むる心はなしに雲隠(くもがく)り鳴き行(ゆ)く鳥の音(ね)のみし泣かゆ

 

(訳)気の紛れることはいっこうになくて、雲の彼方(かなた)に遠く隠れて鳴いて行く鳥のように、泣けて泣けてしかたがない。(同上)

 

◆周弊母奈久 苦志久阿礼婆 出波之利 伊奈々等思騰 許良尓作夜利奴

               (山上憶良 巻五 八九九)

 

≪書き下し≫すべもなく苦しくあれば出(い)で走り去(い)ななと思へどこらに障(さや)りぬ

 

(訳)なすすべもなく苦しくてたまらないので、この世を逃げ出してどこかへ行ってしまいたいと思うけれども、騒ぎ回るこのめんこいやつらに妨げられてしまう。(同上)

 

 

◆富人能 家能子等能 伎留身奈美 久多志須都良牟 絁綿良波母

               (山上憶良 巻五 九〇〇)

 

≪書き下し≫富人(とみひと)の家の子どもの着る身なみ腐(くた)し捨つらむ絹綿(きぬわた)らはも

 

(訳)物持ちの家の子どもが着余して、持ち腐れにしては捨てている、その絹の綿の着物は、ああ(同上)

 

 

◆麁妙能 布衣遠陀尓 伎世難尓 可久夜歎敢 世牟周弊遠奈美

               (山上憶良 巻五 九〇一)

 

≪書き下し≫荒栲(あらたへ)の布衣(ぬのきぬ)をだに着せかてにかくや嘆かむ為(せ)むすべを無み

 

(訳)粗末な布の着物すら着せるに着せられなくて、このように嘆かねばならぬのか。どうしてよいか手のほどこしようがないままに。(同上)

(注)あらたへ【荒妙・荒栲・粗栲】名詞:織り目の粗い粗末な織物。[反対語] 和栲(にきたへ)。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

◆倭父手纒 數母不在 身尓波在等 千年尓母可等 意母保由留加母  <去神龜二年作之 但以故更載於茲>

 

≪書き下し≫しつたまき数にもあらぬ身にはあれど千年(ちとせ)にもがと思ほゆるかも

  <去にし神亀二年に作る。ただし類をもちての故に、さらにここに載す>

 

(訳)物の数でもない俗世の命ではあるけれども、千年でも長生きできたらなあ、と思われてならない。(同上)

(注)しづたまき【倭文手纏】分類枕詞:「倭文(しづ)」で作った腕輪の意味で、粗末なものとされたところから「数にもあらぬ」「賤(いや)しき」にかかる。※上代は「しつたまき」

 

左注は、「天平五年六月丙申朔三日戊戌作」<天平五年の六月丙申(ひのえさる)の朔(つきたち)にして三日戊戌(つちのえいぬ)に作る>である。

 

 以上の歌をみると、じつにやるせないというか、苦悩をここまで歌い上げるのかと思ってしまうが、中西 進氏の「万葉の心」(毎日新聞社)の一文を借りてくると、「苛酷なリアリズムは、語られれば語られるほど、われわれを感動させずににはいないだろう。これは憶良の文学的『永遠』の志向であったといえる。」とある。

さらに、「『万葉集』のふくみ持つ美はさまざまで、その多様性のゆえに輝いてもいるが、結局は、彼らの真実の詠嘆だということにおいて、『万葉集』は人間の普遍性に参加してくる。われわれがこの歌集の中につねに自己を見つめ得るというのは、真実の普遍性によるのである。美しき真実の中二、永遠性をかいまみる思いが、『万葉集』の基本の感動であるにちがいない。」と書かれている。

 歌そのもののある意味表情的な感覚に捉えられてしまうが、もう一歩客観的に見る視点を養わないと万葉集万葉集たる所以に迫れない思いに駆られた。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社

★「weblio辞書 三省堂大辞林

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」