万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その629,630,631)―高砂市曽根 曽根天満宮―万葉集 巻三 二五二、巻六 九三九、巻三 二五三

―その629―

●歌は、「荒栲の藤江の浦に鱸釣る海人とか見らむ旅行く我れを」である。

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高砂市曽根 曽根天満宮万葉歌碑(柿本人麻呂)<写真左端>


 

●歌碑は、高砂市曽根 曽根天満宮にある。

 

●歌をみていこう。

 この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その561)」で紹介している。

 

◆荒栲 藤江之浦尓 鈴寸釣 泉郎跡香将見 旅去吾乎

    一本云 白栲乃 藤江能浦尓 伊射利為流 

               (柿本人麻呂 巻三 二五二)

 

≪書き下し≫荒栲(あらたへ)の葛江(ふぢえ)の浦に鱸(すずき)釣る海人(あま)とか見らむ旅行く我(わ)れを

    一本には「白栲(しろたえ)の藤江の浦に漁(いざ)りする」といふ。

 

(訳)荒栲(あらたえ)の藤、その藤江(ふじえ)の浦で鱸を釣る漁師と人は見るであろうか。公の命によって船旅をしているこの私であるのに。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)あらたへの【荒妙の・荒栲の】( 枕詞 ):「藤原」「藤井」「藤江」など「藤」のつく地名にかかる。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)藤江明石市西部

 

 巻十五の標題「遣新羅使人等悲別贈答及海路慟情陳思幷當所誦之古歌」<遣新羅使人等(けんしらぎしじんら)、別れを悲(かな)しびて贈答(ぞうたふ)し、また海路(かいろ)にして情(こころ)を慟(いた)みして思ひを陳(の)べ、幷(あは)せて所に当りて誦(うた)ふ古歌>の、題詞「當所誦之古歌」には、この歌が遣新羅使達の航海上で、その地の現状に合わせてアレンジして詠われている。

この二五二歌は三六〇七歌では次のように詠われている。

 

◆之路多倍能 藤江能宇良尓 伊射里須流 安麻等也見良武 多妣由久和礼乎

         (<本歌:柿本人麻呂 巻三 二五二> 巻十五 三六〇七)

 

≪書き下し≫白栲(しろたへ)の藤江(ふぢえ)の浦に漁(いざ)りする海人(あま)とや見らむ旅行く我(あ)れを

 

(訳)白栲(しろたえ)に藤というではないが、藤江の浦で漁をする海人だ人は見ていることだろうか、都を離れてはるばる船旅を続けて行くわれらであるのに。(同上)

(注)しろたえの【白妙の】[枕]:① 衣・布に関する「衣」「袖 (そで) 」「袂 (たもと) 」「たすき」「紐 (ひも) 」「領布 (ひれ) 」などにかかる。② 白い色の意から、「雲」「雪」「波」「浜のまさご」などにかかる。③ 栲 (たえ) の材料となる藤、また白栲で作る木綿 (ゆう) と同音の「ふぢ」「ゆふ(木綿・夕)」にかかる。(goo辞書)

(注)藤江明石市西部

 

 左注は、「柿本朝臣人麻呂歌曰 安良多倍乃 又曰 須受吉都流 安麻登香見良武」<柿本朝臣人麻呂が歌には「荒栲(あらたへ)の」といふ。 また「鱸(すずき)釣る海人(あま)とか見らむ」といふ。>である。

 

「荒栲(あらたへ)の」を「白栲(しろたへ)の」、「鱸(すずき)釣る海人(あま)」を「漁(いざ)りする海人(あま)」としている。

 

二五二歌は、題詞、「柿本朝臣人麻呂が羇旅の歌八首」の一首であり、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その561)」で全歌を紹介している。

 三六〇七歌は、同「當所誦之古歌」の一首である。ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その620)」で全歌を紹介している。

 

 

―その630―

●歌は、「沖つ波辺波静けみ漁りすと藤江の浦に舟ぞ騒ける」である。

 

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高砂市曽根 曽根天満宮万葉歌碑(山部赤人)<写真中央>

●歌碑は、高砂市曽根 曽根天満宮にある。

 

●歌をみていこう。

この歌はブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その628)」 で紹介している。

 

◆奥浪 邊波安美 射去為登 藤江乃浦尓 船曽動流

              (山部赤人 巻六 九三九)

 

≪書き下し≫沖つ波辺(へなみ)波静けみ漁(いざ)りすと藤江(ふじえ)の浦に舟ぞ騒(さわ)ける

 

(訳)沖の波も、岸辺の波も静かなので、魚を捕ろうとして、藤江の浦に舟が賑わい騒いでいる。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 

―その631―

●歌は、「稲日野も行き過ぎかてに思へれば心恋しき加古の島見ゆ」である。

 

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高砂市曽根 曽根天満宮万葉歌碑(柿本人麻呂)<写真右端>

●歌碑は、高砂市曽根 曽根天満宮にある。

 

●歌をみていこう。

この歌はブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その561)」 で紹介している。

 

◆稲日野毛 去過勝尓 思有者 心戀敷 可古能嶋所見  一云湖見

               (柿本人麻呂 巻三 二五三)

 

≪書き下し≫稲日野(いなびの)も行き過ぎかてに思へれば心恋(こころこひ)しき加古(かこ)の島そ見ゆ  一には「水門(みと)見ゆ」といふ

 

(訳)印南野(えなみの)も素通りしがてに思っていたところ、行く手に心ひかれる加古の島が見える。(同上 二)

(注)稲日野 分類地名:「印南野(いなみの)」に同じ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)明石から加古川にかけての平野

(注)かてに 分類連語:…できなくて。…しかねて。 ➡なりたち可能等の意の補助動詞「かつ」の未然形+打消の助動詞「ず」の上代の連用形(学研)

(注)加古の島:加古川河口の島

 

  万葉歌碑を尋ねることは、現地ゆかりの歌にふれることができる最高の出会いである。現地特有の、歌に関連した何かが時間軸を縮小して語りかけて来るそのような思いにかられる。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「goo辞書」