万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2310)―

●歌は、「若ければ道行き知らじ賄はせむ黄泉の使負ひて通らせ」である。

富山県氷見市葛葉 臼が峰山頂公園地蔵園地万葉歌碑(山上憶良) 20230704撮影

●歌碑は、富山県氷見市葛葉 臼が峰山頂公園地蔵園地にある。

 

●歌をみていこう。

 

 九〇四~九〇六歌の題詞は、「戀男子名古日歌三首 長一首短二首」<男子(をのこ)名は古日(ふるひ)に恋ふる歌三首 長一首短二首>である。

(注)署名はないが、憶良帰京後の作らしい。ただし後人追補の歌。(伊藤脚注)

(注)古日:憶良の知人の子で一人子らしい。(伊藤脚注)

 

◆世人之 貴慕 七種之 寶毛我波 何為 和我中能 産礼出有 白玉之 吾子古日者 明星之 開朝者 敷多倍乃 登許能邊佐良受 立礼杼毛 居礼杼毛 登母尓戯礼 夕星乃 由布弊尓奈礼婆 伊射祢余登 手乎多豆佐波里 父母毛 表者奈佐我利 三枝之 中尓乎祢牟登 愛久 志我可多良倍婆 何時可毛 比等ゝ奈理伊弖天 安志家口毛 与家久母見武登 大船乃 於毛比多能無尓 於毛波奴尓 横風乃尓 尓布敷可尓 覆来礼婆 世武須便乃 多杼伎乎之良尓 志路多倍乃 多須吉乎可氣 麻蘇鏡 弖尓登利毛知弖 天神 阿布藝許比乃美 地祇 布之弖額拜 可加良受毛 可賀利毛 神乃末尓麻尓等 立阿射里 我例乞能米登 須臾毛 余家久波奈之尓 漸ゝ 可多知都久保里 朝ゝ 伊布許等夜美 霊剋 伊乃知多延奴礼 立乎杼利 足須里佐家婢 伏仰 武祢宇知奈氣吉 手尓持流 安我古登婆之都 世間之道

       (山上憶良 巻五 九〇四)

 

≪書き下し≫世の人の 貴(たふと)び願ふ 七種(ななくさ)の 宝も 我(わ)れは何せむ 我(わ)が中(なか)の 生(うま)れ出(い)でたる 白玉(しらたま)の 我(あ)が子古日(ふるひ)は 明星(あかぼし)の 明くる朝(あした)は 敷栲の 床(とこ)の辺(へ)去らず 立てれども 居(を)れども ともに戯(たはぶ)れ 夕星(ゆふつづ)の 夕(ゆふへ)になれば いざ寝(ね)よと 手をたづさはり 父母(ちちはは)も うへはなさかりり さきくさの 中にを寝むと 愛(うつく)しく しが語らへば いつしかも 人と成(な)り出(い)でて 悪(あ)しけくも 良けくも見むと 大船(おおぶね)の 思ひ頼むに 思はぬに 横しま風のに にふふかに 覆(おほ)ひ来れば 為(な)むすべの たどきを知らに 白栲(しろたへ)の たすきを懸(か)け まそ鏡 手に取り持ちて 天(あま)つ神 仰ぎ祈(こ)ひ禱(の)み 国つ神 伏して額(ぬか)つき かからずも かかりも 神のまにまにと 立ちあざり 我れ祈(こ)ひ禱 (の)めど しましくも 良(よ)けくはなしに やくやくに かたちくつほり 朝(あさ)な朝(さ)な 言ふことやみ たまきはる 命(いのち)絶えぬれ 立ち躍(をど)り 足(あし)すり叫び 伏し仰ぎ 胸打ち嘆き 手に持てる 我が子飛ばしつ 世の中の道

 

(訳)世間の人が貴び願う七種の宝、そんなものも私にとっては何になろうぞ。われわれ夫婦の間の、願いに願ってようやくうまれてきてくれた白玉のような幼な子古日は、明星の輝く朝になると、寝床のあたりを離れず、立つにつけ座るにつけ、まつわりついてはしゃぎ回り、夕星の出る夕方になると、「さあ寝よう」と手に縋(すが)りつき、「父さんも母さんもそばを離れないでね。ぼく、まん中に寝る」と、かわいらしくもそいつが言うので、早く一人前になってほしい、良きにつけ悪しきにつけそのさまを見たいと楽しみにしていたのに、思いがけず、横ざまのつれない突風がいきなり吹きかかって来たものだから、どうしてよいのか手だてもかわらず、白い襷(たすき)を懸け、鏡を手に持ちかざして、仰いで天の神に祈り、伏して地の神を拝み、治して下さるのも、せめてこのままで生かして下さるのも、神様の思(おぼ)し召(め)しのままですと、ただうろうろと取り乱しながら、ひたすらお祈りしたけれども、ほんの片時も持ち直すことはなく、だんだんと顔かたちがぐったりし、日ごとに物も言わなくなり、とうとう息が絶えてしまったので、思わず跳(と)びあがり、地団駄(じだんだ)踏んで泣き叫び、伏して仰ぎつ、胸を叩(たた)いて嘆きくどいた、だが、そのかいもなく、この手に握りしめていた我が幼な子を飛ばしてしまった。ああ、これが世の中を生きていくということなのか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)七種の宝>しちほう【七宝】: 仏教で、7種の宝。無量寿経では金・銀・瑠璃(るり)・玻璃(はり)・硨磲(しゃこ)・珊瑚(さんご)・瑪瑙(めのう)。法華経では金・銀・瑪瑙・瑠璃・硨磲・真珠・玫瑰(まいかい)。七種(ななくさ)の宝。七珍。しっぽう。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)しらたま【白玉・白珠】名詞:白色の美しい玉。また、真珠。愛人や愛児をたとえていうこともある。(学研)

(注)あかほしの【明星の】分類枕詞:「明星」が明け方に出ることから「明く」に、また、それと同音の「飽く」にかかる。(学研)

(注)ゆふつづの【長庚の・夕星の】分類枕詞:「ゆふつづ」が、夕方、西の空に見えることから「夕べ」にかかる。また、「ゆふつづ」が時期によって、明けの明星として東に見え、宵の明星として西の空に見えるところから「か行きかく行き」にかかる。(学研)

(注)うへはなさかり:そばを離れないで、の意か。(伊藤脚注)

(注)さきくさの【三枝の】分類枕詞:「三枝(さきくさ)」は枝などが三つに分かれるところから「三(み)つ」、また「中(なか)」にかかる。「さきくさの三つ葉」(学研)

(注)し【其】代名詞〔常に格助詞「が」を伴って「しが」の形で用いて〕:①それ。▽中称の指示代名詞。②おまえ。なんじ。▽対称の人称代名詞。③おのれ。自分。▽反照代名詞(=実体そのものをさす代名詞)。(学研)ここでは②の意

(注)横しま風:子に取りついた病魔をいう。(伊藤脚注)

(注)にふふかに;俄かに、の意か。(伊藤脚注)

(注)たづき【方便】名詞:①手段。手がかり。方法。②ようす。状態。見当。 ⇒参考 古くは「たどき」ともいった。中世には「たつき」と清音にもなった。(学研)

(注)あざる【戯る・狂る】自動詞:取り乱して動き回る。(学研)

(注)しましく【暫しく】副詞:少しの間。 ※上代語。(学研)

(注)やくやく【漸漸】[副]:《「ようやく」の古形》だんだん。しだいに。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)かたちつくほり:「かたち」は顔かたち。「つくほり」はしぼんで勢いがなくなる意か。(伊藤脚注)

(注)立ち躍(をど)り 足(あし)すり叫び 伏し仰ぎ 胸打ち嘆き:悲憤することで亡き子を揺さぶり起そうとする表現。(伊藤脚注)

(注)胸打ち嘆き:胸打ちくだいて嘆いたそのかいもなく。(伊藤脚注)

(注)手に持てる 我が子飛ばしつ:掌中の者を突然吹き飛ばすように死なせた悲しさ。上の「横しま風」と響き合う。(伊藤脚注)

 

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 反歌もみてみよう。

 

◆和可家礼婆 道行之良士 末比波世武 之多敝乃使 於比弖登保良世

       (山上憶良 巻五 九〇四)

 

≪書き下し≫若ければ道行(ゆ)き知らじ賄(まひ)はせむ黄泉(したへ)の使(つかひ)負ひて通らせ

 

(訳)まだ年端(としは)もゆかないので、どう行ったらよいのかわかりますまい。贈り物は何でも致しましょう。黄泉(よみ)の使いよ、どうか背負って行ってやって下さい。(同上)

(注)賄(まひ):便宜を乞うて予め贈る礼物。(伊藤脚注)

(注)したへ【下方】名詞:死後に行く世界。あの世。黄泉(よみ)の国。 ※死後の世界は地下にあるという考えから。(学研)

 

 

◆布施於吉弖 吾波許比能武 阿射無加受 多太尓率去弖 阿麻治思良之米

       (山上憶良 巻五 九〇六)

 

≪書き下し≫布施(うせ)置きて我(あ)れは祈(こ)ひ禱(の)むあざむかず直(ただ)に率行(ゐゆ)きて天道(あまぢ)知らしめ

 

(訳)布施を捧げて私はひたすらお願い申し上げます。あらぬ方(かた)に誘わずにまっすぐに連れて行って、天への道を教えてやって下さい。(同上)

(注)布施:三宝に施与する金品。歌に少ない字音語の一つ。(伊藤脚注)

(注)前歌の「黄泉」(下方)と言い、ここで「天道」(上方)と言ったのは、亡き子がいずれにいっても不備ないようにはからったもの。(伊藤脚注)

(注の注)あまぢ【天路・天道】名詞:①天上への道。②天上にある道。(学研)

 

左注は、「右一首作者未詳 但以裁歌之體似於山上之操載此次焉」<右の一首は、作者未詳。 ただし、裁歌(さいか)の体(たい)、山上(やまのうえの)の操(さう)に似たるをもちて、この次(つぎて)に載(の)す。

(注)「右の一首」は、九〇六歌をさす。以下、追補者が入手した、憶良作と伝える九〇四~九〇六の最後の一首だけに、憶良の詠とはしない異伝があったことによる注。(伊藤脚注) 

(注)裁歌(さいか)の体(たい)、山上(やまのうえの)の操(さう)に似たるをもちて、この次(つぎて)に載(の)す:作風が憶良の趣に似ているので資料の順序のまま載せた、の意。(伊藤脚注)

 

 九〇四~九〇六歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1224)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

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 九〇四歌について、辰巳正明氏は、その著「山上憶良」(笠間書院)のなかで、「この歌で憶良は、子への愛というのは、子への慈しみと、死の悲しみという二つの中にあることを示したのではないか。愛とは、愛するとは、必ずしも喜びのみにあるのではない。愛する者の別離は、それ故に悲しみも深い。愛とはこの両極の中にある。憶良は、つねに二つの対立する項目を選択して作品を創作する。ここでは、愛と死という対立である。それはこの世に生きる人間が背負う、愛別離苦の姿であり、その苦しみに対しては、激しく嘆き悲しむことしかできないのだという。それが、憶良のいたりついた心境であったといえる。」と書かれている。

 九〇五歌について、同氏は、「まだ古日は幼いので、死者が行くべき道は知らないのだという。それで幣、すなわち賄賂(わいろ)をあげるから、地下から迎えにくる者よ、背負って連れて行ってくれと頼む・・・」さらに九〇六歌について、「お布施をするから欺(だま)さずに子どもを天へと連れて行って欲しいと願う・・・」と書かれ、地下からの迎えの者と地下からの使者にそれぞれ賄賂を贈り、よしなに取り扱ってやってほしいと、「なにかしらユーモラスではあるが、親としての真剣な思いが描かれている。」と書かれている。

 

 三三七歌の「憶良らは今はまからむ子泣くらむそれその母も我を待つらむそ」や、「敢えて私懐を布(の)ぶる歌三首(八八〇~八八二歌)のようなユーモラスというか茶目っ気たっぷりの歌を詠っている。「貧窮問答歌」、「沈痾自哀文」、「俗道仮即離歌」、「日本挽歌」などとの落差が憶良の懐の超深さを物語っており、それがまた憶良の魅力につながっているのである。

 

 八八〇~八八二歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その902)で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

★「山上憶良」 辰巳正明 著 (笠間書院

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉