万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その64改)―奈良県桜井市桧原井寺池畔―万葉集 巻一 十三

●歌は、「香具山は畝傍を惜しと耳成と相争ひき神代よりかくにあるらし古もしかにあれこそうつせみも妻を争ふらしき」である。

 

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奈良県桜井市井寺池畔万葉歌碑(天智天皇

●歌碑は、奈良県桜井市桧原井寺池畔、上池と下池を仕切る堤を渡り切ったあたりの左手にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相諍競伎 神代従 如此尓有良之 古昔母 然尓有許曽 虚蝉毛 嬬乎 相格良思吉

        (中大兄皇子 巻一 十三)

 

≪書き下し≫香具山(かぐやま)は 畝傍(うねび)を惜(を)しと 耳成(みみなし)と 相争(あいあらそ)ひき 神代(かみよ)より かくにあるらし 古(いにしえ)も しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき

 

(訳)香具山は、畝傍をば失うには惜しい山だと、耳成山と争った。神代からこんな風であるらしい。いにしえもそんなふうであったからこそ、今の世の人も妻を取りあって争うのであるらしい。(伊藤 博著「萬葉集 一」角川ソフィア文庫より)

 

「雲根火雄男志等」を「畝傍を愛(を)し」と読むか「畝傍雄々し」と読むかの議論があり、一般には「を愛(を)し」と読まれることが多いが、伊藤博氏のように「畝傍(うねび)を惜(を)し」と読む説もある。

  

 どの山が男で、どの山が女かについても諸説がある。堀内民一著「大和万葉―その歌の風土」(創元社)に詳しいので列挙してみる。

【仙覚説】香具山は女山。最初、香具山は耳梨の男山に心寄せていたが、畝火の男らしい姿に惹かれるようになった。「相あらそひき」は、耳梨山をおろそかにして、畝火山にひかれようとする香具山と、それを阻止して元通り自分に靡かせようとする耳梨山との争いだとする。

【契沖説】男山、女山の分け方は仙覚と同じだが、初句を「香具山をば」と解釈し、女山の香具山を得ようと、「畝火のををしき」と耳梨山とが争ったことになる。そして、畝火山の雄々しさが、この場合はかえって、荒々しさとして、山山から嫌悪される理由になる。反歌では、香具山と耳梨山が逢ったことになる。

【木下幸文説】畝火山を女山とする説。「雄男志」は、「を愛(を)し」の意の仮名とする解釈。武田祐吉斎藤茂吉博士同説。

折口信夫説】女山の香具山と耳梨山とが、の畝火山を争ったとみる。女同士の夫(つま)争いである。沢潟久博士も同説。

【下河辺長流説】人間界の女を三つの男山同士が争ったとする。土屋文明氏はこの説をとっている。

 

 題詞は、「中大兄近江宮御宇天皇三山歌」<中大兄(なかのおほえ)近江宮に天の下しらしめす天皇の三山の歌>である。

そして、反歌二首(十四、十五歌)がある。

 

反歌もみていこう。

 

◆高山与 耳梨山与 相之時 立見尓来之 伊奈美國波良

      (中大兄皇子 巻一 十四)

 

≪書き下し≫香具山と耳成山と闘(あ)ひし時立ちて見に来(こ)し印南国原(いなみくにはら)

 

(訳)香具山と耳成山とが妻争いをした時、阿菩大神(あぼのおおみかみ)がみこしをあげて見にやって来たという地だ、この印南国原は。

 

◆渡津海乃 豊旗雲尓 伊理比紗之 今夜乃月夜 清明己曽

      (中大兄皇子 巻一 十五)

 

≪書き下し≫海神(わたつみ)の豊旗雲(とよはたくも)に入日(いりひ)さし今夜(こよい)の月夜(つくよ)さやけくありこそ

 

(訳)海神(わたつみ)のたなびかしたまう豊旗雲(とよはたくも)に、今しも入日(いりひ)がさしている。おお、今宵の月世界は、まさしくさわやかであるぞ。

(注)わたつみ【海神】名詞:①海の神。②海。海原。 ⇒参考:「海(わた)つ霊(み)」の意。「つ」は「の」の意の上代の格助詞。後に「わだつみ」とも。(学研)ここでは②の意

(注)とよはたくも【豊旗雲】:旗のようにたなびく美しい雲。

(注)入日さし:彼方に入り隠れる日が最後の光を強くさし放っている。現在の情景を述べる中止法。(伊藤脚注)

(注の注)【中止法】:日本語の表現法の一。「昼働き、夜学ぶ」の「働き」や、「冬暖かく、夏涼しい」の「暖かく」などのように述語となっている用言を連用形によっていったん切り、あとへ続ける方法。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)こそ 終助詞:《接続》動詞の連用形に付く。〔他に対する願望〕…てほしい。…てくれ。 ※上代語。助動詞「こす」の命令形とする説もある。(学研)

(注の注)ここの「こそ」は断定の終助詞。(伊藤脚注)

 

 左注は、「右一首歌今案不似反歌也 但舊本以此歌載於反歌 故今猶載此次亦紀日 天豊財重日足姫天皇先四年乙巳立天皇為皇太子」<右の一首の歌は、今案(かむが)ふるに反歌に似ず。ただし、旧本、この歌をもちて反歌に載(の)す。この故(ゆゑ)に、今もなほこの次(つぎて)に載す。また、紀には「天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)の四年乙巳(きのとみ)に、天皇を立てて皇太子(ひつぎのみこ)となす」といふ>である。

(注)右の一首:通過する地をほめる前二首(十三、十四歌)に対し、航行の安全のために月明を予祝した歌。額田王斉明天皇に代わって中大兄の前二首に和したものか。(伊藤脚注)

(注)旧本:巻一の原本。(伊藤脚注)

(注)天豊財重日足姫天皇斉明天皇の名 

(注)先の四年:皇極天皇の四年(645年)

(注の注)皇極天皇(第35代:在位642~645年)は重祚して斉明天皇(第37代在位655~661年)

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大和万葉―そのうたの風土」 堀内民一 著 (創元社

★「万葉の大和路」 犬養 孝/文・入江泰吉/写真 (旺文社文庫

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「万葉歌碑めぐり」(桜井市HP)

 

※20220828朝食関連記事削除、一部改訂