万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2280,2281)―

―その2280―

●歌は、「あしひきの山桜花一目だに君とし見てば我れ恋ひめやも」である。

石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)万葉歌碑(大伴家持)  
20230704撮影

●歌碑は、石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)にある。

 

 

 

―その2281―

●歌は、「山吹の茂み飛び潜くうぐひすの声を聞くらむ君は羨しも」である。 

石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)万葉歌碑(大伴家持)  
20230704撮影

●歌碑は、石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)にある。

 

 大伴家持が、天平十八年(746年)暮に、枉疾(わうしつ:よこしまな病気)に倒れ、累旬(数十日)痛み苦しんだが、二月二十日には何とか「『病に臥し』た『悲傷(かな)しび』の歌」を作り、二十九日にその有様を書簡にしたため二首(三九六五・三九六六歌)を添え大伴池主に贈った。それに対し池主は、家持に心からの励ましの書簡と歌を贈った。

こうしたやり取りは三月五日まで続いた。

 三九七〇、三九七一歌は、三月三日付けで家持が池主に贈った書簡に添えた三九六九から三九七二歌の内の二首である。

 

 

 三九六五・三九六六歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2277,2278)で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 前文ならびに三九六九から三九七二歌を通してみていこう。

 

題詞は、「更歌一首幷短歌」<さらに贈る歌一首幷せて短歌>である。

 

◆(書簡前文)含弘之徳垂恩蓬軆不貲之思報慰陋心 戴荷来眷無堪所喩也 但以稚時不渉遊藝之庭横翰之藻自乏乎彫蟲焉 幼年未逕山柿之門 裁歌之趣詞失乎聚林矣 爰辱以藤續錦之言更題将石間瓊之詠 固是俗愚懐癖不能黙已 仍捧數行式酬嗤咲其詞曰                  

 

≪書簡前文書き下し≫含弘(がんこう)の徳は、恩を蓬軆(ほうたい)に垂れ、不貲(ふし)の思は、慰を陋心(ろうしん)に報(こた)ふ。来眷 (らいけん)を戴荷(たいか)し、喩(たと)ふるに堪(あ)ふるものなし。但以(ただし)、稚(わか)き時に遊芸(いうげい)の庭に渉(わた)らずして、横翰(わうかん)の藻(そう)、おのづからに彫虫(てうちゆう)に乏(とも)し。幼き年に山柿(さんし)の門に逕(いた)らずして、裁歌(さいか)の趣(おもぶき)、詞を聚林(じゆりん)に失(うしな)ふ。ここに、藤をもちて錦に続(つ)ぐ言(こと)を辱(かたじけな)みし、さらに石をもちて瓊(たま)に間(まじ)ふる詠(うた)を題(しる)す。もとよりこれ俗愚(ぞくぐ)にして癖(くせ)を懐(むだ)き、黙(もだ)してやむ能(あた)はず。よりて数行を捧げ、もちて嗤咲(しせう)に酬(むく)いむ。その詞に曰はく、

 

(書簡全文略私訳)あなた様の万事を含む広大無辺な御徳は、ご恩を私のような身に注いでいただき、測り知れない御温情は、見識の狭い私の心にも響くようお応えいただきました。お目をかけていただいたことのありがたさは譬えようがありません。ただ、私は若い時には六芸を楽しむには至っておりませんので、筆から横溢するような文章はもとより、文章を操る上での技巧にも乏しい有様です。幼い時から山柿の道に至らず、言葉の選び方が粗雑なのです。藤を以ちて錦に續ぐというお言葉を頂戴しておきながら、さらに石を宝石に混じらせるような歌を作ります。もとより私は俗愚であるのに持前の癖で、黙っていることができないのです。そこで数行の歌作り、あなた様の書簡にお応えいたしますので大いにお笑いください。その歌というのは、

(注)含弘(がんこう)の徳:万事を含む広大無辺な御徳。(伊藤脚注)

(注)蓬体=蓬身(ほうしん):〘名〙 蓬(よもぎ)のような卑しい身。自分のことをへりくだっていう語。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)不貲(ふし)の恩:計り知れない御温情。(伊藤脚注)。

(注)陋:〘名〙 (形動) 場所が狭いこと。また、見識が狭いこと、あるいは卑しいこと。醜いこと。また、そのようなさまや人。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)へり下っていう言葉。

(注)来眷 (らいけん)を戴荷(たいか)し:目をかけていただき。「眷(けん)」は、顧みる。「戴荷(たいか)」は、重荷を負わされる。(伊藤脚注)。

(注)ゆうげい【遊芸】:遊び・楽しみのためにする芸事。歌舞音曲・茶の湯・生け花など。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)横翰(わうかん)の藻(そう):筆から横溢する文章。(伊藤脚注)

(注)彫虫>ちょうちゅうてんこく【彫虫篆刻】:詩文を作るのに、虫を彫り、篆字を刻みつけるように、細部まで技巧で飾りたてること。また、そのような技巧に走った内容のない文章。転じて、取るに足らないつまらない小細工。(goo辞書)

(注)山柿の門:和歌の道。「山柿」は和歌の規範。柿本人麻呂山部赤人山上憶良等を意識した用語か。(伊藤脚注)

(注)裁歌(さいか)の趣(おもぶき)、詞を聚林(じゆりん)に失(うしな)ふ:言葉の選び方が粗雑だ。「聚林」は叢(くさむら)や林のこと。文章の譬え。(伊藤脚注)

(注)以藤續錦:藤蔓で織った粗末な布を、豪華な錦の布に縫い継ぐ。(「日中古典詩歌における藤詠の変遷について」 田中幹子氏・鄭寅瓏氏稿 札幌大学総合論叢 第43号(2017 年3月))

(注)かたじけなし【忝し・辱し】形容詞:①恐れ多い。もったいない。②面目ない。恥ずかしい。③ありがたい。もったいない。▽身に余る恩恵を受けて感謝するようす。(学研)ここでは③の意

(注)石をもちて瓊(たま)に間(まじ)ふる:駄作を秀作に継ぐことの譬え。(伊藤脚注)

(注の注)けい【瓊】[音]ケイ(漢) [訓]たま:① たま。「瓊玉」② 玉のように美しい。(goo辞書)ここでは①の意

(注)懐癖:特別の癖で。(伊藤脚注)

(注)ししょう〔‐セウ〕【嗤笑】:[名](スル)あざけり笑うこと。嘲笑(ちょうしょう)。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 

◆於保吉民能 麻氣乃麻尓ゝゝ 之奈射加流 故之乎袁佐米尓 伊泥氐許之 麻須良和礼須良 余能奈可乃 都祢之奈家礼婆 宇知奈妣伎 登許尓己伊布之 伊多家苦乃 日異麻世婆 可奈之家口 許己尓思出 伊良奈家久 曽許尓念出 奈氣久蘇良 夜須家奈久尓 於母布蘇良 久流之伎母能乎 安之比紀能 夜麻伎敝奈里氏 多麻保許乃 美知能等保家婆 間使毛 遣縁毛奈美 於母保之吉 許等毛可欲波受 多麻伎波流 伊能知乎之家登 勢牟須辨能 多騰吉乎之良尓 隠居而 念奈氣加比 奈具佐牟流 許己呂波奈之尓 春花乃 佐家流左加里尓 於毛敷度知 多乎里可射佐受 波流乃野能 之氣美豆妣久ゝ 鸎 音太尓伎加受 乎登賣良我 春菜都麻須等 久礼奈為能 赤裳乃須蘇能 波流佐米尓 ゝ保比々豆知弖 加欲敷良牟 時盛乎 伊多豆良尓 須具之夜里都礼 思努波勢流 君之心乎 宇流波之美 此夜須我浪尓 伊母祢受尓 今日毛之賣良尓 孤悲都追曽乎流

       (大伴家持 巻十七 三九六九)

 

≪書き下し≫大君(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに しなざかる 越(こし)を治(おさ)めに 出(い)でて来(こ)し ますら我れすら 世間(よのなか)の 常しなければ うち靡き 床(とこ)に臥(こ)い伏(ふ)し 痛けくの 日に異(け)に増せば 悲しけく ここに思ひ出(で) いらなけく そこに思ひ出(で) 嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを あしひきの 山きへなりて 玉桙(たまほこ)の 道の遠けば 間使(まつかひ)も 遣(や)るよしもなみ 思ほしき 言(こと)も通(かよ)はず たまきはる 命(いのち)惜(を)しけど せむすべの たどきを知らに 隠(こも)り居(ゐ)て 思ひ嘆かひ 慰(なぐさ)むる 心はなしに 春花(はるはな)の 咲ける盛りに 思ふどち 手折(たを)りかざさず 春の野の 茂(しげ)み飛び潜(く)く うぐひすの 声だに聞かず 娘女(をとめ)らが 春菜(はるな)摘(つ)ますと 紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)の裾(すそ)の 春雨(はるさめ)に にほひひづちて 通(かよ)ふらむ 時の盛りを いたづらに 過ぐし遣(や)りつれ 偲はせる 君が心を うるはしみ この夜(よ)すがらに 寐(ゐ)も寝ずに 今日(けふ)もしめらに 恋ひつつぞ居(を)る。

 

(訳)大君の仰せのままに、幾重にも山坂を重ね隔てた越(こし)の国を治めにやって来た、一かどの官人であるはずの私、その私としたことが、人の世は無常なものだから、ぐったりと病の床に横たわる身となって、苦しみが日に日につのるばかりなので、悲しいことをあれこれ思い出し、つらいことをいろいろ思い出しては、嘆く空しさは休まることとてなく、思う空しさは苦しいことばかりなのに、重なる山々に隔てられて都への道が遠いものだから、こまごまと使いをやる手だてもなくて、言いたいことも伝えられないまま・・・、さりとて命は惜しいけれども、どうしたらよいのか手がかりもわからず、家(うち)に引き籠(こも)って思い悩んでは溜息(ためいき)つき、気晴らしになることは何にもないままに、春の花がまっ盛りだというのに、気心合った友と手折ってかざすこともなく、春の野の茂みを飛びくぐって鳴く鶯の声さえ聞くこともなく、娘子たちが春菜を摘まれるとて、紅の赤裳の裾が春雨に濡(ぬ)れてひときわ照り映(は)えながら往き来している、春たけなわの時、こんな佳き季節をただ空しくやり過ごしてしまって・・・。こうして心をかけて下さるあなたのお気持ちがありがたく、この夜も世通し眠りもせず、明けた今日も日がな一日、お逢いしたいと思いつづけています。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)しなざかる 分類枕詞:地名「越(こし)(=北陸地方)」にかかる。語義・かかる理由未詳。(学研)

(注の注)しなざかる:階段状に坂が重なって遠い意、家持の造語か。(伊藤脚注)

(注)痛けく、悲しけく、いらなけく:痛し、悲し、いらなしの「ク語法」(伊藤脚注)

(注の注)ク語法:活用語の語尾に「く(らく)」が付いて、全体が名詞化される語法。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)そら【空】名詞:気持ち。心地。▽多く打消の語を伴い、不安・空虚な心の状態を表す。(学研)

(注)山きへなりて:山が隔てとなって遠い道のりでもないのに。「き」は不明。(伊藤脚注)

(注)たどき【方便】名詞:「たづき」に同じ。 ※上代語。(学研)>たづき【方便】名詞:①手段。手がかり。方法。②ようす。状態。見当。 ⇒参考 古くは「たどき」ともいった。中世には「たつき」と清音にもなった。(学研)

(注)おもふどち【思ふどち】名詞:気の合う者同士。仲間。(学研)

(注)ひづつ【漬つ】自動詞:ぬれる。泥でよごれる。(学研) にほひひづちて>濡れて色が一層映えるさま。

(注)うるはしみ:ありがたく思い。(伊藤脚注)

(注)よすがら【夜すがら】名詞副詞:夜じゅう。夜通し。 ※「すがら」は接尾語。[反対語] 日(ひ)すがら。(学研)

(注)しみらに【繁みらに】副詞:ひまなく連続して。一日中。「しめらに」とも。 ⇒参考「夜はすがらに」に対して、常に「昼はしみらに」の形で使う。(学研)

 

 

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◆安之比奇能 夜麻佐久良婆奈 比等目太尓 伎美等之見氐婆 安礼古悲米夜母

       (大伴家持 巻十七 三九七〇)

 

≪書き下し≫あしひきの山桜花(やまさくらばな)一目だに君とし見てば我(あ)れ恋ひめやも

 

(訳)山々に咲きにおう桜の花、その花をを一目だけでもあなたと一緒に見られたなら、私がこんなに恋い焦がれることなどありましょうか。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)三九六七歌に対する答え。(伊藤脚注)

 

 

◆夜麻扶枳能 之氣美登眦久ゝ 鸎能 許恵乎聞良牟 伎美波登母之毛

       (大伴家持 巻十七 三九七一)

 

≪書き下し≫山吹の茂み飛(と)び潜(く)くうぐひすの声を聞くらむ君は羨(とも)しも

 

(訳)山吹の茂みを飛びくぐって鳴く鴬(うぐいす)の、その声を聞いておられるあなたは、何と羨(うらや)ましいことか。(同上)

(注)三九六八歌に対する答え。(伊藤脚注)

 

 

 三九六七、三九六八歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2279)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

◆伊泥多ゝ武 知加良乎奈美等 許母里為弖 伎弥尓故布流尓 許己呂度母奈思

       (大伴家持 巻十七 三九七二)

 

≪書き下し≫出で立たむ力をなみと隠(こも)り居(ゐ)て君に恋ふるに心どもなし

 

(訳)外に立ち出る力もないと引き籠ってばかりいて、あなたに恋い焦がれていると、まるっきり心の張りがなくなってしまいます。(同上)

(注)一連の冒頭歌三九六五を意識しつつ行を共にできぬ嘆きを恋歌仕立てにして全体を結んでいる。(伊藤脚注)

 

左注は「三月三日大伴宿祢家持」<三月の三日、大伴宿禰家持>である。

 

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 二月の二十日の三九六二歌の題詞に、「たちまちに枉疾(わうしつ)に沈み、ほとほとに泉路(せんろ)に臨む・・・」とある。「枉疾」の「枉」には、道理をゆがめる等の意味があるから、思いもかけない煩わしい病にかかり、「泉路」(黄泉へのみち。死出の旅路。<goo辞書>)をさまようほどの不安感にさいなまれていることがわかる。

 万葉時代の、しなざかる越中で病に倒れた家持の心中がうかがい知れるのである。

 

 万葉集巻五の「梅花の歌三二首」の八二九歌<薬師張子福子(くすしちやうじのふくじ)>、八三五歌<薬師高氏義道通(くすしかうじのよしみち)>に「薬師」が見える。

この「薬師」が、薬を取り扱い、病気の治療をする医師のことである。

 彼らは、大宰府の医師で正八位上相当の官人である。二人とも張氏、高氏という渡来人かその家系と思われ、その技術は大陸より持ち込まれたものである。このような薬師たちは、、中国の本草学を中心にした医療を行う者たちであったという。

 

 落ち着きをみせ、コロナ禍は終息に向かったとは言う。薬、医療技術、医療体制体制等は、万葉時代とは比べ物にはならないが、病に対する恐怖、不安感等はさほど大きく変わってはいない。

 家持、池主の書簡・歌のやり取りを通して、そういった局面に立たされたことを考えると、結局は、「人」とはに尽きると考えさせられるのである。

 万葉集の奥深さが垣間見られるのである。

 

 

 

 本日、平城宮跡に、万葉集にも詠われている「おもひぐさ(ナンバンキセル)」の花を求めて行ってきました。

 少し早かったかもしれません。来週ごろが見ごろかも。



 

 

 

 

 

(参考文献)

萬葉集 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「goo辞書」