万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2282)―

●歌は、「あしひきの山きへなりて遠けども心し行けば夢に見えけり」である。

石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)万葉歌碑(大伴家持) 
20230704撮影

●歌碑は、石川県羽咋郡宝達志水町臼が峰往来(石仏峠)にある。

 

●歌をみていこう。

 

 三九七八から三九八二歌の題詞は、「述戀緒歌一首 幷短歌」<恋緒(れんしょ)を述ぶる歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)恋緒:恋心。ここでは、都の妻大嬢への思い。(伊藤脚注)

 

 順を追ってみてみよう。

 

◆妹毛吾毛 許己呂波於夜自 多具敝礼登 伊夜奈都可之久 相見婆 登許波都波奈尓 情具之 眼具之毛奈之尓 波思家夜之 安我於久豆麻 大王能 美許登加之古美 阿之比奇能 夜麻古要奴由伎 安麻射加流 比奈乎左米尓等 別来之 曽乃日乃伎波美 荒璞能 登之由吉我敝利 春花乃 宇都呂布麻泥尓 相見祢婆 伊多母須敝奈美 之伎多倍能 蘇泥可敝之都追 宿夜於知受 伊米尓波見礼登 宇都追尓之 多太尓安良祢婆 孤悲之家口 知敝尓都母里奴 近在者 加敝利尓太仁母 宇知由吉氐 妹我多麻久良 佐之加倍氐 祢天蒙許万思乎 多麻保己乃 路波之騰保久 關左閇尓 敝奈里氐安礼許曽 与思恵夜之 餘志播安良武曽 霍公鳥 来鳴牟都奇尓 伊都之加母 波夜久奈里那牟 宇乃花能 尓保敝流山乎 余曽能未母 布里佐氣見都追 淡海路尓 伊由伎能里多知 青丹吉 奈良乃吾家尓 奴要鳥能 宇良奈氣之都追 思多戀尓 於毛比宇良夫礼 可度尓多知 由布氣刀比都追 吾乎麻都等 奈須良牟妹乎 安比氐早見牟

       (大伴家持 巻十七 三九七八)

 

 

≪書き下し≫妹(いも)も我(あ)れも 心は同(おや)じ たぐへれど いやなつかしく 相見(あひみ)れば 常初花(とこはつはな)に 心ぐし めぐしもなしに はしけやし 我(あ)が奥妻(おくづま) 大君(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み あしひきの 山越え野(ぬ)行き 天離(あまざか)る 鄙(ひな)治(をさ)めにと 別れ来(こ)し その日の極(きは)み あらたまの 年行き返(がへ)り 春花(はるはな)の うつろふまでに 相見ねば いたもすべなみ 敷栲(しきたへ)の 袖(そで)返しつつ 寝(ぬ)る夜(よ)おちず 夢(いめ)には見れど うつつにし 直(ただ)にあらねば 恋(こひ)しけく 千重(ちへ)に積(つ)もりぬ 近くあらば 帰りにだにも うち行きて 妹(いも)が手枕(たまくら) さし交(か)へて 寝ても来(こ)ましを 玉桙(たまほこ)の 道はし遠く 関(せき)さへに へなりてあれこそ よしゑやし よしはあらむぞ ほととぎす 来鳴かむ月に いつしかも 早くなりなむ 卯(う)の花の にほへる山を よそのみも 振(ふ)り放(さ)け見つつ 近江道(あふみぢ)に い行き乗り立ち あをによし 奈良の我家(わぎへ)に ぬえ鳥(どり)の うら泣けしつつ 下恋(したごひ)に 思ひうらぶれ 門(かど)に立ち 夕占(ゆふけ)問ひつつ 我を待つと 寝(な)すらむ妹(いも)を 逢(あ)ひてはや見む

 

(訳)あの子も私も、思う心は同じこと。寄り添っていても、ますます心引かれるばかりだし、顔を合わせていると、常初花のようにいつも初々(ういうい)しくて、心の憂さ、見る目のいたいたしもなくていられるのに、ああいとしい、心の底からたいせつに思える我が妻よ。大君の仰せを謹んでお承(う)けして、はるばると山を越え野を辿(たど)りして、都離れた鄙の地を治めにと別れたその日から、年も改まって、春の花も散り失せる頃までも顔を見ることができないものだから、どうにもやるせなくて、せめてものことに夜着(よぎ)の袖を押し返しては寝るその夜ごと夜ごとに夢に姿は見えるけれど、覚めている時にじかに逢うわけではないものだから、恋しさは千重(ちえ)に百重(ももえ)に積もるばかり。近くにさえおれば、日帰りにでも馬で一走り行って、かわいい手枕をさし交わして寝ても来ようものを、都への道はいかにも遠い上に、関所までが遮っていてはどうにもならなくて・・・。ええ、それならそれで、手だてはほかにあるはず。時鳥が訪れて鳴くあの月に何とか早くなってくれないものか。近江道に足を踏み入れ、あの懐かしい奈良の我が家で、心細く鳴くぬえ鳥のように人知れず泣き続けては、胸の思いにうちしがれて、門口(かどぐち)に立ち出でては夕辻占(ゆうつじうら)で占ってみたりして、私の帰りを待ち焦がれて独り寝を重ねておいでのあの子、あああの子の手をしっかと取って、一刻も早く逢(あ)って顔を見たいものだ。(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

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感想(1件)

(注)おやじ【同じ】形容詞:同(おな)じ。 ※「同じ」の古形。上代には「おなじ」と並んで両方用いられた。体言を修飾するときも終止形と同じ形の「おやじ」が用いられる。(学研)

(注)たぐふ【類ふ・比ふ】自動詞①一緒になる。寄り添う。連れ添う。②似合う。釣り合う。(学研)

(注)とこはつはな【常初花】:いつも初めて咲いたように美しい花。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)こころぐし【心ぐし】形容詞ク:心が晴れない。せつなく苦しい。(学研)

(注)めぐし【愛し・愍し】形容詞:①いたわしい。かわいそうだ。②切ないほどかわいい。いとおしい。 ※上代語。(学研)

(注)おくづま【奥妻】:心の奥深く大切に思う妻。心から愛する妻。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)きはみ【極み】名詞:(時間や空間の)極まるところ。極限。果て。(学研)

(注)ゆきかへる【行き返る】自動詞:①往復する。②(年月や季節が)移行する。改まる。※古くは「ゆきがへる」。(学研)ここでは②の意

(注)そでかへす【袖返す】他動詞:①袖を裏返しにする。こうして寝ると恋人が夢に現れるという俗信があった。②袖をひるがえす。(学研)ここでは①の意

(注)関さへに:関所まで隔てているのでどうにもならなくて・・・。(伊藤脚注)

(注)よしはあらむぞ:手だてはあるのだ。税帳使として帰る予定があった。(伊藤脚注)

(注の注)よし 【由】名詞:①理由。いわれ。わけ。②口実。言い訳。③手段。方法。手だて。④事情。いきさつ。⑤趣旨。⑥縁。ゆかり。⑦情趣。風情。⑧そぶり。ふり。(学研)ここでは③の意

(注)いゆく【い行く】自動詞:行く。進む。 ※「い」は接頭語。上代語。(学研)

(注)のりたつ【乗り立つ】自動詞:(馬や船などに)乗って出発する。(学研)

(注)ぬえどりの【鵼鳥の】分類枕詞:鵼鳥の鳴き声が悲しそうに聞こえるところから、「うらなく(=忍び泣く)」「のどよふ(=か細い声を出す)」「片恋ひ」にかかる。(学研)

(注)したごひ【下恋ひ】名詞:心の中でひそかに恋い慕うこと。(学研)

(注)うらぶる自動詞:わびしく思う。悲しみに沈む。しょんぼりする。 ※「うら」は心の意。(学研)

(注)なす【寝す】自動詞:おやすみになる。▽「寝(ぬ)」の尊敬語。 ※動詞「寝(ぬ)」に尊敬の助動詞「す」が付いたものの変化した語。上代語。(学研)

高岡市伏木一宮 高岡市万葉歴史館入口家持・大嬢ブロンズ像と歌碑 
20201105撮影



 

 続いて短歌をみてみよう。

 

◆安良多麻乃 登之可敝流麻泥 安比見祢婆 許己呂毛之努尓 於母保由流香聞

       (大伴家持 巻十七 三九七九)

 

≪書き下し≫あらたまの年返(かへ)るまで相見(あひみ)ねば心もしのに思ほゆるかも

 

(訳)年が改まってしまうまで顔を見ることができないものだから、あの子のことが心もうちしおれるばかり思われてならない。(同上)

(注)としかへる【年返る・歳返る】分類連語:年が改まる。新年になる。[季語] 春。 ⇒参考:強めて「年立ち返る」とも。(学研)

(注)しのに 副詞:①しっとりとなびいて。しおれて。②しんみりと。しみじみと。③しげく。しきりに。(学研)ここでは③の意

 

 

 

◆奴婆多麻乃 伊米尓波母等奈 安比見礼騰 多太尓安良祢婆 孤悲夜麻受家里

       (大伴家持 巻十七 三九八〇)

 

≪書き下し≫ぬばたまの夢(いめ)にはもとな相見れど直(ただ)にあらねば恋ひやまずけり

 

(訳)夜の夢ではむやみやたらと姿を見てはいるけれど、じかに逢うわけでないから、苦しい思いはいっこうに止むことがない。(同上)

(注)もとな 副詞:わけもなく。むやみに。しきりに。 ※上代語。(学研)

 

 

 

◆安之比奇能 夜麻伎敝奈里氐 等保家騰母 許己呂之遊氣婆 伊米尓美要家里

       (大伴家持 巻十七 三九八一)

 

≪書き下し≫あしひきの山きへなりて遠けども心し行けば夢(いめ)に見えけり

 

(訳)重なる山々が隔てとなって遠く離れてはいるけれど、心が通い合っているので、夢に姿を見せてくれた。(同上)

(注)山きへなりて:山が隔てとなって。「き」は不明。(伊藤脚注)

(注の注)へなる【隔る】自動詞:隔たっている。離れている。(学研)

(注)夢に見えけり:あなたが夢に見えた。前歌の上三句を承ける。(伊藤脚注)

 

 

 

◆春花能 宇都路布麻泥尓 相見祢婆 月日餘美都追 伊母麻都良牟曽

       (大伴家持 巻十七 三九八二)

 

≪書き下し≫春花(はるはな)のうつろふまでに相見ねば月日数(よ)みつつ妹(いも)待つらむぞ

 

(訳)春の花が散り失せるまで顔を見ることができないものだから、月日を指折り数えながら、あの子は私の帰りを待っていることであろう。(同上)

(注)相見ねば月日数みつつ妹待つらむぞ:自らの心情を詠む三九七九を承け、妻の姿を思いやる歌で結ぶ。(伊藤脚注)

 

 

左注は、「右三月廿日夜裏忽兮起戀情作 大伴宿祢家持」<右は、三月の二十日の夜の裏(うち)に、たちまちに恋情(れんじょう)を起して作る。大伴宿禰家持>である。

(注)右五首は都で妻に見せることを意識しての詠であろう。(伊藤脚注)

(注)二十日:「二十五日」とする写本もある。この頃、税帳使になることが決まって、俄かに恋情を覚えたものか。(伊藤脚注)

(注)たちまち(に)【忽ち(に)】副詞:①またたく間(に)。すぐさま。たちどころ(に)。②突然(に)。にわか(に)。③現(に)。実際(に)。 ※古くは「に」を伴って用いることが多い。(学研)ここでは②の意

 

 

 

二月の二十日の三九六二歌の題詞に、「たちまちに枉疾(わうしつ)に沈み、ほとほとに泉路(せんろ)に臨む・・・」とある。「枉疾」の「枉」には、道理をゆがめる等の意味があるから、思いもかけない煩わしい病にかかり、「泉路」(黄泉へのみち。死出の旅路。<goo辞書>)をさまようほどの不安感にさいなまれていた。しかも「累旬」とあることから、天平十八年の暮頃から病に臥していたと思われる。二月二十日以降三月五日まで続いた池主との書簡や歌のやり取りからかなり滅入っていたことは明らかである。三月二十日の左注にあるように、このころ税帳使に決まり妻のいる都に出張できるとなれば、「たちまちに恋情を起す」のは無理からぬことである。地獄から天国、妻に早く逢いたい一心からの歌である。

 小生も長い間東京単身赴任の経験があったが、似たような心境に立ち至ったことがあるので、言葉が浮つこうが許せるのである。もっとも、こういう歌を見せるといったサプライズは出来なかったが。

 

 

 

 今日も、平城宮跡に「おもひぐさ」(ナンバンキセル)を見に行ってきました。万葉の世界の扉かも。



 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉