万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

ザ・モーニングセット190121(万葉の小径シリーズーその16たちばな)

●今朝のサンドイッチは、レタスと焼豚を中味に、ブラン入りの食パンと普通の食パンで挟んだ。庭では、蝋梅がぼちぼち花を咲かせており、いい香りを放っている。

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1月21日のモーニングセット

 デザートは、伊予柑4切れを十字型に並べ中央に2色のぶどうの切り合わせを置いた。周辺には、バナナの輪切りを置き同様に切り合わせを飾り付けた。ヨーグルトとフルーツがミックスされた味はさわやかであり、朝の活力の源である。

 伊予柑を剥くと、柑橘系の独特の香りが部屋中に広がる。天然の芳香剤である。

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1月21日のデザート

 

 万葉の小径シリーズの歌碑の紹介は「たちばな」である。

 

 

●万葉の小径シリーズ-その16 たちばな コミカン 

 

橘(たちばな)は 実さへ花さへ その葉さへ 

 枝(え)に霜降れど いや(き) 常葉(とこは)の樹

                       (聖武天皇 巻六 一〇〇九)

 

橘者 實左倍花左倍 其葉左倍 枝尓霜雖降 益常葉之樹

 

橘は実もすばらしく。花もすばらしい。その葉までもすばらしく、枝に霜のおりる寒い時でもいつも緑鮮やかで、本当に素晴らしい木だよ、

 

 「今日、タチバナといえばヤブコウジ科の常緑低木であるカラタチバナを指すが、万葉のタチバナは、コミカンを初めとするみかん科の常緑高木のことである。コミカンは、ホンミカンともキシュウミカンとも呼ばれ、五月下旬に芳香をただよわす白い花を咲かせ、その実は食用になる。同じくみかん科のタチバナは、食用とはならないので、実も花も葉も素晴らしいという歌の意には、コミカンがもっとも適している。それは、垂仁天皇の病が急な時、田道間守(たじまもり)が常世の国から持ち帰った「時じくの香の木の実」(いつも芳しい木の実)であるから、たぢまもりの名に因んで、タチバナというと言われている

 橘は万葉集に約七〇回も歌われ、特に橘の花が歌われる時は、花橘と表現される、ホトトギスがこの花橘の繁みで鳴きとよもす※ので、しばしば両者が組み合わされている。一般に万葉人は、視覚や聴覚あるいは触覚に較べて、嗅覚が一番劣っていると言われ、芳香を放つ梅の花でさえ、わずかに一首に梅が香が詠まれているに過ぎないのに、花橘が「橘のにほへる香」「橘の下吹く風の香ぐはしき」と二度も香が詠まれるのは、その匂いを強烈に感じたからである。」

                        (万葉の小径 たちばなの歌碑)

 ※なきとよもす:鳴き響もす 鳴き声をあたりにひびかせる

 

 題詞は、「冬十一月左大辨葛城王等賜姓橘氏之時 御製歌一首」である。

 左注には、「右冬十一月九日 従三位葛城王従四位上為王(さゐのおおきみ)等 辞皇族之高名賜外家之橘姓已(すでに)訖(おはりぬ) 於時太上天皇ゝ后共在于皇后宮以為肆宴(とよのあかり)而即御賀橘之歌幵賜御酒祢等也 或云 此歌一首太上天皇御歌 但天皇ゝ后御歌各有一首者其歌遣落末得探求焉 今檢案内 八年十一月九日葛城王等願橘宿祢之姓上表 以一七日依表乞賜橘宿祢」とある。

 意味は、「右の歌は、冬11月9日、従三位葛城王橘諸兄)、従四位上佐為王(橘佐為)等、皇族の高名ある地位を辞して、外家之橘の姓を賜わる。このとき、太上天皇(たいじょうてんのう: 元正天皇)、皇后が共に皇后宮においでになり、宴を催されて橘を祝う歌をお作りになり、併(あわ)せて橘宿祢(たちばなのすくね)らに御酒を賜わる。また、この歌は太上天皇の歌とも云われている。但し、聖武天皇と皇后の歌がそれぞれ一首あったとのこと。その歌は無くなっており、探し求めることができない。今、調べてみると、天平八年十一月九日に葛城王(かつらぎのおおきみ)たちが橘宿祢(たちばなのすくね)の姓を申請し、一七日に橘宿祢を賜わったとある。」

 聖武天皇葛城王らに、橘姓を賜った際に、植物の「橘」にあやかって褒め讃えた歌である。(左記にあるように、この歌は太上天皇の歌とも云われているが、歌碑にあるとおり聖武天皇としている)

 

   

(参考文献)

★万葉の小径 たちばなの歌碑

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)