万葉歌碑巡りは、地味で孤独な闘いである。しかしその中で出逢う人との暖かいふれあい、それがあるから続けていけるのかも知れない。
―その1626―
●歌は、「橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどいや常葉の木」である。
●歌碑は、福山市春日町 広島大学附属福山中・高等学校校庭(1)にある。
●歌をみていこう。
◆橘者 實左倍花左倍 其葉左倍 枝尓霜雖降 益常葉之樹
(聖武天皇 巻六 一〇〇九)
≪書き下し≫橘は実さへ花さへその葉さへ枝(え)に霜降れどいや常葉(とこは)の樹
(訳)橘は、実までも花までもその葉までも枝に霜が置いても、永遠に常緑の木だよ。(あなたの一族は永久(とわ)に栄えるでしょう。(「万葉植物物語」 広島大学附属福山中・高等学校/編著 <中国新聞社発行>より)
(注)いや 感動詞:①やあ。いやはや。▽驚いたときや、嘆息したときに発する語。②やあ。▽気がついて思い出したときに発する語。③よう。あいや。▽人に呼びかけるときに発する語。④やあ。それ。▽はやしたてる掛け声。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
題詞は、「冬十一月左大辨葛城王等賜姓橘氏之時御製歌一首」<冬の十一月に、左大弁(さだいべん)葛城王等(かづらきのおほきみたち)、姓橘の氏(たちばなのうぢ)を賜はる時の御製歌一首>である。
「たちばな」については、「タチバナは日本国内に自生する唯一のかんきつ類です。・・・タチバナは、ハギ、ウメ、マツについで第四位の数の歌が万葉集に詠まれています。(後略)」と書かれている。(「万葉植物物語」 広島大学附属福山中・高等学校/編著 <中国新聞社発行>より)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その480)」で紹介している。
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―その1627―
●歌は、「我妹子が見し鞆の浦のむろの木は常世にあれど見し人ぞなき」である。
●歌碑は、福山市春日町 広島大学附属福山中・高等学校校庭(2)にある。
●歌をみていこう。
題詞は、「天平二年庚午冬十二月大宰帥大伴卿向京上道之時作歌五首」<天平二年庚午(かのえうま)の冬の十二月に、大宰帥(だざいのそち)大伴卿(おほとものまへつきみ)、京に向ひて道に上る時に作る歌五首>
◆吾妹子之 見師鞆浦之 天木香樹者 常世有跡 見之人曽奈吉
(大伴旅人 巻三 四四六)
≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)が見し鞆(とも)の浦のむろの木は常世(とこよ)にあれど見し人ぞなき
(訳)いとしいあの子が行きに目にした鞆の浦のむろの木は、今もそのまま変わらずにあるが、これを見た人はもはやここにはいない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)むろのき【室の木・杜松】分類連語:木の名。杜松(ねず)の古い呼び名。海岸に多く生える。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その895)」で紹介している。
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―その1628―
●歌は、「あしひきの山の際照らす桜花この春雨に散りゆかむかも」である。
●歌碑は、福山市春日町 広島大学附属福山中・高等学校校庭(3)にある。
●歌をみていこう。
◆足日木之 山間照 櫻花 是春雨尓 散去鴨
(作者未詳 巻十 一八六四)
≪書き下し≫あしひきの山の際(ま)照らす桜花(さくらばな)この春雨(はるさめ)に散りゆかむかも
(訳)山あいを明るく照らして咲いている桜の花、あの花は、この春雨に散ってゆくことだろうか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その933)」で紹介している。
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「さくら」について、「ソメイヨシノ、ヤマザクラ、オオシマザクラ、ヒガンザクラ、ヤエザクラなどがよく知られています。さくらの語源「むらがって咲く」が、転じて「サクラ」になったといわれています。サクラがよく歌に出てくるのは万葉以後になります。・・・昔から花といえば桜のことを言います。日本人の性質や日本文化を象徴する花なのでしょう。(後略)」と書かれている。(「万葉植物物語」より)
―その1629―
●歌は、「我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも」である。
●歌碑は、福山市春日町 広島大学附属福山中・高等学校校庭(4)にある。
●歌をみていこう。
◆和何則能尓 宇米能波奈知流 比佐可多能 阿米欲里由吉能 那何列久流加母 [主人] (大伴旅人 巻八 八二二)
≪書き下し≫我(わ)が園(その)に梅の花散るひさかたの天(あめ)より雪の流れ来(く)るかも 主人
(訳)うちの庭に梅の花が散っててね。この景色は天から雪が流れて来るのかって感じだな。ちょっと感動しちゃった。(「万葉植物物語」より)
(注)天(あめ)より雪の流れ来(く)るかも:梅花を雪に見立てている。六朝以来の漢詩に多い。
(注)主人:宴のあるじ。大伴旅人。
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その900)」で紹介している。
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「うめ」について、「万葉集には、『ハギ』の次に多く詠まれています。ほとんどは、白梅と思われます。・・・梅雨時に、まだ熟さない実を取って、煙でいぶしたものを『烏梅(うばい)」といい、漢方薬では、発熱、咳にこれを使います。(後略)』と書かれている。(「万葉植物物語」より)
―その1630―
●歌は、「岩代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた返り見む」である。
●歌碑は、福山市春日町 広島大学附属福山中・高等学校校庭(5)にある。
●歌をみていこう。
◆磐白乃 濱松之枝乎 引結 真幸有者 亦還見武
(有間皇子 巻二 一四一)
≪書き下し≫岩代(いはしろ)の浜松が枝(え)を引き結びま幸(さき)くあらばまた帰り見む
(訳)磐代(いわしろ)の浜の松の枝を引き結んで、この地の神に祈って行く。私は護送先で処刑されるかもしれないが。幸い無事でいられたら、またここにたち帰ってみよう。(同上)
この歌についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その1193、番外岩代)」で紹介している。
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「まつ」については、「日本にはアカマツ、クロマツ(二葉)、ヒメコマツ、チョウセンゴヨウマツ(五葉)の六種類があります。チョウセンゴヨウマツの種子は大きく、食用にします。・・・万葉集の中には、松を詠んだ歌がたくさんありますが、浜辺の松が中核をなしています。」と書かれている。(同上)
■つれしおの石ぶみ(文学の散歩道)⇒広島大学附属福山中・高等学校
次の目的地である広島大学附属福山中・高等学校に向かう。
校門の守衛室で、万葉歌碑を見たい旨申し出、入門手続きを取る。教えていただいた事務室に行く。
事務室の受付の所で、校内にある万葉歌碑を見せていただきたいと申し出る。窓口の方が事務所奥の部屋に入って行かれた。応対に来られた方に再度お願いをしてみると、快くしかも案内しましょう、とおっしゃっていただく。
構内のあちこちに散らばっているとのことである。1基目、2基目と巡ったところで、案内していただいている方が、昼食後の休憩している学生4人のグループに「現役生徒諸君、万葉歌碑の場所、分かるかな?」とその方が尋ねられた。一人は、確か〇〇にあったはず、といきなり飛び出して行く。軽やかな走りに感動してしまう。
一度授業で、歌碑を探せというのがあったそうである。もう一人の学生さんは携帯に写真を撮ってあり、背景から場所を思い出し特定しようと、レンガの向きが横だからここではないとか、推理を巡らしてくれている。
みんなの情報が集められ、学生さんたちの協力を得てスムーズに5基を巡ることが出来たのである。有り難いことである。
お礼を申し上げ車に戻ろうとすると、なんと、ご案内いただいた方から「広島大学附属福山中・高等学校/編著「万葉植物物語」(中国新聞社発行)の本を頂いたのである。
「読んでいただける方にもらっていただけるのが一番です」と。
案内までしていただき、本まで頂戴する、何という幸せ、感謝、感謝、感謝そして感動である。しかも歌碑探しに協力していただいた学生さんたち、ブログ紙面を借りて厚く、厚く、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。
後日、FBで、広島万葉歌碑巡りを投稿したら、FB友達から、「自分は、福山出身で、広島大学附属福山中・高等学校は母校です。しかし万葉歌碑があるとは知りませんでした。機会があれば行って見たいと思います」とのメッセージを頂いた。
繋がる感動である。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」