万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その761)―海南市下津町 立神社・仁義児童館前―万葉集 巻六 一〇二二

●歌は、「父君に 我れは愛子ぞ 母刀自に 我れは愛子ぞ 参ゐ上る 八十氏人の 手向する 畏の坂に 弊奉り 我れはぞ追へる 遠き土佐道を」である。

 

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海南市下津町 立神社・仁義児童館前万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、海南市下津町 立神社・仁義児童館前にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆父公尓 吾者真名子叙 妣刀自尓 吾者愛兒叙 参昇 八十氏人乃 手向為等 恐乃坂尓 幣奉 吾者叙追 遠杵土左道矣

              (作者未詳 巻六 一〇二二)

 

≪書き下し≫父君(ちちぎみ)に 我(わ)れは愛子(まなご)ぞ 母(はは)刀自(とじ)に 我(わ)れは愛子ぞ 参(ま)ゐ上(のぼ)る 八十氏人(やそうぢひと)の 手向(たむけ)する 畏(かしこ)の坂に 弊(ぬさ)奉(まつ)り 我(わ)れはぞ追へる 遠き土佐道(とさぢ)を

 

(訳)父君にとって私はかけがえのない子だ。母君にとってわたしはかけがえのない子だ。なのに、都に上るもろもろの官人たちが、手向(たむ)けをしては越えて行く恐ろしい国境(くにざかい)の坂に、幣(ねさ)を捧(ささ)げて無事を祈りながら、私は一路進まなければならぬのだ。遠い土佐への道を。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ははとじ【母刀自】名詞:母君。母上。▽母の尊敬語。(学研)

(注)畏の坂:恐ろしい神のいる国境の坂

 

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歌の解説案内板

 

 立神社(たてがみしゃ)・仁義児童館前の歌碑の説明解説板に「昔から仁義百垣内から田殿村田角への坂は「賢の坂」「賢越え」と呼ばれ、仁義と吉備を結ぶ重要な街道であった」と書かれている。

 

 

 一〇一九から一〇二三歌の歌群の題詞は、「石上乙麻呂卿配土左國之時歌三首幷短歌」<石上乙麻呂卿(いそのかみのおとまろのまへつきみ)土佐の国(とさのくに)に配(なが)さゆる時の歌三首 幷せて短歌>である。

 

 すべての歌をみてみよう。

 

◆石上 振乃尊者 弱女乃 或尓縁而 馬自物 縄取附 肉自物 弓笶圍而 王 命恐 天離 夷部尓退 古衣 又打山従 還来奴香聞

              (作者未詳 巻六 一〇一九)

 

≪書き下し≫石上(いそのかみ) 布留(ふる)の命(みこと)は たわや女(め)の 惑(まど)ひによりて 馬じもの 綱(つな)取り付け 鹿(しし)じもの 弓矢囲(かく)みて 大君(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み 天離(あまざか)る 鄙辺(ひなへ)に罷(まか)る 古衣(ふるころも) 真土山(まつちやま)より 帰り来(こ)ぬかも

 

(訳)石上布留の命は、たわやかな女子(おなご)の色香に迷ったために、まるで、馬であるかのように縄をかけられ、鹿であるかのように弓矢で囲まれて、大君のお咎(とが)めを恐れ畏んで遠い田舎に流されて行く。古衣をまた打つという真土山、その国境の山から、引き返して来ないものだろうか。(同上)

(注)いそのかみ【石の上】分類枕詞:今の奈良県天理市石上付近。ここに布留(ふる)の地が属して「石の上布留」と並べて呼ばれたことから、布留と同音の「古(ふ)る」「降る」などにかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)石上乙麻呂であるから「石上布留の命」(石上布留の殿様)と詠い出し、見送る都人の気持ちで詠った形である。

(注)うまじもの【馬じもの】副詞:(まるで)馬のように。(学研)

(注)ししじもの【鹿じもの・猪じもの】分類枕詞:鹿(しか)や猪(いのしし)のようにの意から「い這(は)ふ」「膝(ひざ)折り伏す」などにかかる。(学研)

(注)ふるごろも【古衣】〔「ふるころも」とも〕( 枕詞 ):古衣をまた打って柔らかくすることから、「また打つ」の類音の地名「まつちの山」にかかる。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

 

石上乙麻呂は、藤原宇合の未亡人久米若売に通じた罪で土佐に流されたのである。歌群は、都から紀伊そして土佐と流されるルートに沿って物語風に作られている。

 

「古衣 又打山従」と詠んだのは、浮気なんかするんじゃねーよ、古女房が一番というこの歌をふまえているのだろう。

 

◆橡之 衣解洗 又打山 古人尓者 猶不如家利

               (作者未詳 巻十二 三〇〇九)

 

≪書き下し≫橡(つるはみ)の衣(きぬ)解(と)き洗ひ真土山(まつちやま)本(もと)つ人にはなほ及(し)かずけり

 

(訳)橡(つるばみ)染めの地味な衣を解いて洗って、また打つという、真土(まつち)山のような、本つ人―古馴染の女房には、やっぱりどの女も及ばなかったわい。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

 

 

次をみてみよう。

 

◆王 命恐見 刺並 國尓出座 愛哉 吾背乃公矣 繋巻裳 湯ゝ石恐石 住吉乃 荒人神 船舳尓 牛吐賜 付賜将 嶋之埼前 依賜将 礒乃埼前 荒浪 風尓不令遇 莫管見 身疾不有 急 令變賜根 本國部尓

                (作者未詳 巻六 一〇二〇/一〇二一)

 

≪書き下し≫大君(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み さし並ぶ 国に出でます はしきやし 我(わ)が背の君(きみ)を かけまくも ゆゆし畏(かしこ)し 住吉(すみのえ)の 現人神(あらひとがみ) 船舳(ふなのへ)に うしはきたまひ 着きたまはむ 島の崎々(さきざき) 寄りたまはむ 磯の崎々 荒き波 風にあはせず 障(つつ)みなく 病(やまひ)あらせず 速(すむや)けく 帰(かへ)したまはね もとの国辺(くにへ)に

 

(訳)大君のお咎めを恐れ畏んで、隣り合わせ土佐の国にお出ましになるいとしいわが背の君、ああこの君を、御名(みな)を口にするもの恐れ多い住吉の現人神よ、君のみ船の舳先(へさき)に鎮座ましまし、着き給う島の崎々で、荒い波や風に遭わせないで、故障もなく、病気もさせずに、どうか一日も早くお帰し下さい。もとの国大和の方に。(同上)

(注)はしきやし【愛しきやし】分類連語:ああ、いとおしい。ああ、なつかしい。ああ、いたわしい。「はしきよし」「はしけやし」とも。 ※上代語。 ※参考:愛惜や追慕の気持ちをこめて感動詞的に用い、愛惜や悲哀の情を表す「ああ」「あわれ」の意となる場合もある。「はしきやし」「はしきよし」「はしけやし」のうち、「はしけやし」が最も古くから用いられている。 なりたち⇒形容詞「は(愛)し」の連体形+間投助詞「やし」(学研)

(注)かけまくも 分類連語:心にかけて思うことも。言葉に出して言うことも。 なりたち⇒動詞「か(懸)く」の未然形+推量の助動詞「む」の古い未然形「ま」+接尾語「く」+係助詞(学研)

(注)うしはく【領く】他動詞:支配する。領有する。 ※上代語。

 

 浮気して流罪に問われた夫を紀州まで見送りに行き、神に祈り「急 令變賜根 本國部尓」と願う妻のいじらしさ。夫はどのように思っているいるのだろう。

 本人の立場での歌とはいえ、「父公尓 吾者真名子叙 妣刀自尓 吾者愛兒叙」と詠うも、妻に対しては一言もないのである。次の反歌をみてもしかり。

 反歌もみてみよう、

 

◆大埼乃 神之小濱者 雖小 百船純毛 過迹云莫國

               (作者未詳 巻六 一〇二三)

 

≪書き下し≫大崎(おほさき)の神の小浜(をばま)は狭(せば)けども百舟人(ももふなびと)も過ぐと言はなくに

 

(訳)ここ大崎の神の小浜は狭い浜ではあるけれど、どんな舟人も楽しんで、この港を素通りするとは言わないのに。(同上)

(注)大崎:和歌山県海南市下津町大崎。近世までここから四国に渡った。

 

 

 歌物語的な形をとっている。なお一〇二〇歌は国歌大観編者が一〇二〇、一〇二一の二首に誤って計算したことによる。

 一〇一九歌:見送る都人の気持ちで詠った形である。

 一〇二〇歌/一〇二一歌:紀伊まで見送った妻の立場で詠った形

 一〇二二歌ならびに一〇二三歌:本人の立場で詠った形

 

 

 ここ立神社(たてがみしゃ)に来るまでに、有田市野(野という地名である)の立神社(たてじんじゃ)に寄って来たのである。こう書くと格好いいが、カーナビ入力時、有田市の住所の方を選択してしまったようだ。

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立神社(有田市

神社の名前は同じものが多いので確認が必要とはわかっているが、珍しい名前でヒットすると舞い上がり確認せずに設定してしまったのである。

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立神社(有田市)社殿

 立神社(たてじんじゃ)の境内を探索するも歌碑が見当たらず、社務所に行くも不在で、「御用の方は下記番号におかけ下さい」と張り紙がしてある。電話で問い合わせる。「こちらには歌碑はありません」との返事であった。仕方なく、駐車場に戻ろうと歩いていると前の方から老婦人が歩いてこられ、「先ほどお電話をいただいた方ですか?」と。

 万葉歌碑を巡って京都から来た旨お話しする。遠い所をわざわざと、コロナ禍であるが、親切にいろいろお話をしていただく。海南市下津町の立神社(たてがみしゃ)、地元では、「たてがみさん」と呼んでいる神社の方ではと教えていただく。おまけに、道も結構ややこしいから「嫁に案内させます。」とまでおっしゃっていただく。もちろん丁寧にお断りする。万葉歌碑に関してこれまでもお尋ね等した方々はどなたも非常に親切で、恐縮することばかりである。ありがたいことである。ルート的にはオンラインであるので、ほとんどロスなく予定通り歌碑を見ることができた。

 

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立神社参道と奇岩

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立神社社殿

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立神社鳥居



 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」