万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう(その2589の1)―書籍掲載歌を中軸に―

●歌は、「白雲の 龍田の山の 露霜に 色づく時に うち越えて 旅行く君は 五百重山 い行いきさくみ 敵まもる 筑紫に至り・・・(高橋虫麻呂 6-971)」である。

坂出市沙弥島万葉樹木園万葉歌碑(高橋虫麻呂 6-971) 20220714撮影

●歌碑は、坂出市沙弥島万葉樹木園にある。

 

 「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)の「高橋虫麻呂」を読み進んでいこう。

 

 「その地位においては宮廷歌人に似ながら、宮廷歌人たちとは異なった場で作歌したひとりに、高橋虫麻呂がいる。虫麻呂も赤人や金村同様下級の官人であったろうと思われるだけで、閲歴はまったくわからない。ただひとつわかっていることは天平四年(七三二)八月に西海道節度使(せつどし)となって派遣された藤原宇合(うまかい)に一首の長歌(巻六、九七一・九七二)をおくっていることで、そのほか歌から判断すると常陸(ひたち)に赴任していたらしいこと、そのとき『大伴卿』とよばれる人間が同時に存在したこと、またこの時とおぼしく上総(かずさ)・下総(しもうさ)・武蔵(むさし)らの地を踏んでいることがわかる。河内・摂津(せっつ)・住吉(すみのえ)(難波か丹後か)にもいっているが、これは居住したのか、行旅であったかわからない。宇合との関係は、宇合が常陸守であったこと(養老三年七月)から、常陸にあっても関係をもったと思われ、『常陸風土記』の漢文は宇合・虫麻呂らの筆であろうともいわれている。」(同著)

 

 巻六、九七一・九七二歌をみてみよう。

■■巻六 九七一・九七二歌■■

題詞は、「四年壬申藤原宇合卿遣西海道節度使之時高橋連蟲麻呂作歌一首并短歌」<四年壬申(みづのえさる)に、藤原宇合卿(ふぢはらのうまかひのまへつきみ)、西海道(さいかいどう)の節度使(せつどし)に遣(つか)はさゆる時に、高橋連虫麻呂(たかはしのむらじむしまろ)の作る歌一首 并(あは)せて短歌>である。

(注)藤原宇合不比等の三男。(伊藤脚注)

(注)西海道壱岐対馬を含む九州全土。(伊藤脚注)

(注)せつどし【節度使】名詞:①奈良時代、地方の軍事力を整備・強化するために、東海・東山・山陰・西海・南海道などに派遣された、「令外(りやうげ)の官(くわん)」。②中国の唐の時代に辺境の軍政などを管理した職。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

(注)高橋虫麻呂:宇合の庇護を受けた歌人。養老年間、宇合が常陸守であった時その部下であったらしい。(伊藤脚注)

 

 

■巻六 九七一歌■

◆白雲乃 龍田山乃 露霜尓 色附時丹 打超而 客行公者 五百隔山 伊去割見 賊守筑紫尓至 山乃曽伎 野之衣寸見世常 伴部乎 班遣之 山彦乃 将應極 谷潜乃 狭渡極 國方乎 見之賜而 冬木成 春去行者 飛鳥乃 早御来 龍田道之 岳邊乃路尓 丹管土乃 将薫時能 櫻花 将開時尓 山多頭能 迎参出六 公之来益者

     (高橋虫麻呂 巻六 九七一)

 

≪書き下し≫白雲の 龍田(たつた)の山の 露霜(つゆしも)に 色(いろ)づく時に うち越えて 旅行く君は 五百重(いほへ)山 い行いきさくみ 敵(あた)まもる 筑紫(つくし)に至り 山のそき 野のそき見よと 伴(とも)の部(へ)を 班(あか)ち遣(つか)はし 山彦(やまびこ)の 答(こた)へむ極(きは)み たにぐくの さ渡る極み 国形(くにかた)を 見(め)したまひて 冬こもり 春さりゆかば 飛ぶ鳥の 早く来まさね 龍田道(たつたぢ)の 岡辺(をかへ)の道に 丹(に)つつじの にほはむ時の 桜花(さくらばな) 咲きなむ時に 山たづの 迎へ参(ま)ゐ出(で)む 君が来まさば

 

(訳)白雲の立つという龍田の山が、冷たい霧で赤く色づく時に、この山を越えて遠い旅にお出かけになる我が君は、幾重にも重なる山々を踏み分けて進み、敵を見張る筑紫に至り着き、山の果て野の果てまでもくまなく検分せよと、部下どもをあちこちに遣わし、山彦のこだまする限り、ひきがえるの這い廻る限り、国のありさまを御覧になって、冬木が芽吹く春になったら、空飛ぶ鳥のように早く帰ってきて下さい。ここ龍田道の岡辺の道に、赤いつつじが咲き映える時、桜の花が咲きにおうその時に、私はお迎えに参りましょう。我が君が帰っていらっしゃったならば。(同上)

(注)しらくもの【白雲の】分類枕詞:白雲が立ったり、山にかかったり、消えたりするようすから「立つ」「絶ゆ」「かかる」にかかる。また、「立つ」と同音を含む地名「竜田」にかかる。(学研)

(注)つゆしも【露霜】名詞:露と霜。また、露が凍って霜のようになったもの。(学研)

(注)五百重山(読み)いおえやま:〘名〙 いくえにも重なりあっている山(コトバンク精選版 日本国語大辞典

(注)さくむ 他動詞:踏みさいて砕く。(学研)

(注)まもる【守る】他動詞:①目を放さず見続ける。見つめる。見守る。②見張る。警戒する。気をつける。守る。(学研)

(注)そき:そく(退く)の名詞形<そく【退く】自動詞:離れる。遠ざかる。退く。逃れる(学研)➡山のそき:山の果て

(注)あかつ【頒つ・班つ】他動詞:分ける。分配する。分散させる。(学研)

(注)たにぐく【谷蟇】名詞:ひきがえる。 ※「くく」は蛙(かえる)の古名。(学研)

(注)きはみ【極み】名詞:(時間や空間の)極まるところ。極限。果て。(学研)

(注)ふゆごもり【冬籠り】分類枕詞:「春」「張る」にかかる。かかる理由は未詳。(学研)

(注)とぶとりの【飛ぶ鳥の】分類枕詞:①地名の「あすか(明日香)」にかかる。②飛ぶ鳥が速いことから、「早く」にかかる。(学研)

(注)に【丹】名詞:赤土。また、赤色の顔料。赤い色。(学研)

(注)やまたづの【山たづの】分類枕詞;「やまたづ」は、にわとこの古名。にわとこの枝や葉が向き合っているところから「むかふ」にかかる。(学研)

 

 

 

■巻六 九七二歌■

◆千萬乃 軍奈利友 言擧不為 取而可来 男常曽念

      (高橋虫麻呂 巻六 九七二)

 

≪書き下し≫千万(ちよろづ)の軍(いくさ)なりとも言挙(あ)げせずに来(き)ぬべき士(をのこ)とぞ思ふ

 

(訳)我が君は、相手が千万の大軍であろうとも、とやかく言わずに必ず討ち取って来られる、立派な男子だと思っております。(同上)

(注)ことあげ 【言挙げ】( 名 ):言葉に出して言い立てること。言葉に呪力があると信じられた上代以前には、むやみな「言挙げ」は慎まれた。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)し【士】名詞:①男子。②学徳の備わったりっぱな人。③武士。(学研)

 

左注は、「右撿補任文八月十七日任東山ゝ陰西海節度使」<右は、補任(ぶにん)の文(ふみ)に検(ただ)すに、「八月の十七日に、東山・山陰・西海の節度使を任ず」と。

(注)ふにん【補任】名詞:「補任状(じやう)」の略。中世、将軍・大名・荘園領主などが、部下を職に任ずるときに出した辞令。「ぶにん」とも。(学研)

 

 

 この九七一・九七二歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その502)」で紹介している。

 ➡ こちら502

 

 

 

 

 「宇合と虫麻呂との関係は、・・・旅人・憶良の関係にもなぞらえることができる。宇合は当時最高の文人政治家である。『懐風藻』にも六首の詩をとどめ、この集最高の詩の数である。その高貴な血統や地位から来る心のゆとりがある点も旅人に似ている。それに対して虫麻呂は文字どおり下級官人の桎梏をのがれがたく生涯をすごし、その生活環境の中から歌が生れてくる点も憶良に似ている。実は赤人も宇合の父藤原不比等との関係が想像される。このように高官と関係をもった下級官人が歌人として登場してくるところに、当時の万葉歌のひとつの秘密があったのかと思われる。(同著)

 

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「コトバンク精選版 日本国語大辞典