●歌は、「紫は灰さすものぞつば市の八十のちまたに逢へる児や誰(作者未詳 12-3101)」ならびに「たらちねの母が呼ぶ名を申さめど道行く人を誰れと知りてか(作者未詳 12-3102)」である。
「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)の「海石榴市」の項である。
【海石榴市】
「作者未詳(巻十二-三一〇一・三一〇二)(歌は省略) 大三輪町金屋は、いまでこそ、わびしい村にすぎないが、古代には北からの山の辺の道、東からの初瀬道、飛鳥からの磐余(いわれ)の道・山田の道、それに西、二上山裾の大坂越えからの道がここで一つにあつまって、四通八達、まさに『八十(やそ)の衢(ちまた)』となっていた。したがって、ここに古代物品交易の市(いち)ができ、椿の街路樹を植えて、海石榴市といわれていた。三諸(みもろ)の神(三輪山)の麓(ふもと)ではあり、人のあつまりやすいところだけに・・・歌垣(うたがき)が行われた。・・・この歌も、おそらくここの歌垣でうたわれた民謡であって、古代では女性に名をきくのは、求婚の心をあらわすことを知れば、前の歌は男の問歌であり、後の歌は、女がいちおう拒んだ答歌である。・・・」(同著)
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巻十二-三一〇一・三一〇二歌をみてみよう。
◆紫者 灰指物曽 海石榴市之 八十衢尓 相兒哉誰
(作者未詳 巻十二 三一〇一)
≪書き下し≫紫(むらさき)は灰(はい)さすものぞ海石榴市(つばきちの)の八十(やそ)の衢(ちまた)に逢(あ)へる子や誰(た)れ
(訳)紫染めには椿の灰を加えるもの。その海石榴市の八十の衢(ちまた)で出逢った子、あなたはいったいどこの誰ですか。(伊藤 博著「万葉集 三」角川ソフィア文庫より)
(注)上二句は懸詞の序。「海石榴市」を起こす。紫染めには、媒染材に椿の灰を使う。(伊藤脚注)
(注)はひさす【灰差す】分類連語:紫色を染めるのに椿(つばき)の灰を加える。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)海石榴市(つばいち):古代,大和の三輪山の南西山麓に設けられた市。
「つばきいち」とも読む。現在の桜井市金屋付近。古来より交通の要地で,6世紀ごろから開市。7世紀には最も盛んとなり,歌垣 (うたがき) も行われた。(コトバンク 旺文社日本史事典 三訂版)
(注)衢(ちまた):分かれ道や交差点のことで、道がいくつにも分かれている所は「八衢(やちまた)」と呼ばれていた。海石榴市は四方八方からの主要な街道が交差している場所なので、「八十(やそ)の衢(ちまた)」と表現された。(「万葉のうた 第3回 海石榴市(つばいち)」 奈良県HP)
(注)逢へる子や誰れ:歌垣での、男の女への求婚。(伊藤脚注)
■巻十二 三一〇二歌■
◆足千根乃 母之召名乎 雖白 路行人乎 孰跡知而可
(作者未詳 巻十二 三一〇二)
≪書き下し≫たらちねの母が呼ぶ名を申(まを)さめど道行く人を誰と知りてか
(訳)母さんの呼ぶたいせつな私の名を申してよいのだけれど、道の行きずりに出逢ったお方を、どこのどなたと知って申し上げたらよいのでしょうか。(同上)
(注)母が呼ぶな名:母が呼ぶ本名。(伊藤脚注)
(注)む 助動詞:《接続》活用語の未然形に付く。〔意志〕…(し)よう。…(する)つもりだ。(学研)
(注)誰れと知りてか:誰と知って答えたらいいのか。(伊藤脚注)
この問答歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1184)」で紹介している。
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奈良県桜井市金屋 海拓榴市観音に通ずる道の三叉路万葉歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その59改)」で紹介している。
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「桜井市 記・紀 万葉歌碑(第六版)」 (一社 桜井市観光協会)の巻十二‐三一〇一(万葉歌碑番号十六)には、次のような内容が記されている。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「コトバンク 旺文社日本史事典 三訂版」
★「万葉のうた 第3回 海石榴市(つばいち)」 (奈良県HP)