●サンドイッチは半分に切り、それぞれ対角線上をカット、三角形を4つ作り小鹿田焼の丸皿に十字に盛り付けた。サニーレタスが結構暴れている。
デザートはリンゴの縦切りを扇子のように開き、蝶の羽をイメージして飾った。胴体部分はブドウを使った。翅の模様はブドウで演出した。
今朝は、雪が舞い、デッキの上などは少し白くなったが、日の出とともに消えてしまった。春になると蝶が舞う。待ち遠しいものだ。そして桜も!
今日の万葉の歌碑の紹介は「さくら」である。
●万葉の小径シリーズ-その21 さくら ヤマザクラ
梅の花 咲きて散りなば 桜花(さくらばな)継ぎて咲くべく なりにてあらずや
(張氏福子<ちょうじのふくし> 巻五 八二九)
烏梅能波奈 佐企弖知理奈波 佐久良婆那 都伎弖佐久倍久 奈利尓弖阿良受也
薬師 張氏福子
待ちに待った梅の花が満開になった。この梅が散る頃、桜の花は咲こうとして準備しているではないか。
「歌の意のように、ウメもサクラもモモも相次いで咲く春を彩る名花である。「植物図鑑」の類には、ウメの項もモモの項もあるけれど、サクラの項は見当たらない。サクラはヤマザクラ、サトザクラ、シダレザクラ、ヒガンザクラ、ソメイヨシノなどの総称で、後世の改良品種を対象外とすると、万葉のサクラはヤマザクラの類を指すとするのが一般的である。万葉集に詠まれる回数は約四〇回で、ウメの約三分の一に過ぎないが、ただ、ウメがほとんど庭木として詠まれているのに対し、サクラは各地の山野で歌われていて、当時広く一般に親しまれていた木といえよう。
この歌は、咲き揃った梅を見つつの宴、それも都遠く離れた大宰府の師(そち)宅の宴で歌われたもので、一座の人たちが、ひとしきり梅を愛でたのを受けて、いやいや梅だけでなく、梅の後には桜が咲くから、その時には再び楽しい宴を持ちましょうと歌ったものだ。さらに、桜が終わると藤、続いて卯の花と次から次への想像を許す楽しい歌である。
張氏福子は、薬師(くすりし:大宰府の医師)であるから、あるいは、梅や桜に薬師としての興味も抱いていたかとも思われる。」
(万葉の小径 さくらの歌碑)
題詞は、「梅花歌卅二首幷序」とあり、八一五~八四六の三二首が収録されている。
序は次の通りである。
「天平二年正月一三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲松掛羅而傾盖 夕岫結霧 鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故雁 於是盖天坐地 促膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異牟 宜賦園梅聊成短詠」
※帥老=大伴卿=大伴宿祢旅人
大伴旅人宅に集まって宴を催し、梅を愛でて歌を詠ったのである。多種多様の人が集まったようである。名前は次の通りである。(注:役職の読みは省略している)
① 大貮紀卿(きのまへつきみ)(八一五)
② 小貳小野大夫(八一六)=小野老朝臣(おののおゆあそみの)
③ 小貳粟田大夫(あはたのまへつきみ)(八一七)
④ 筑前守山上大夫(やまのうえのまへつきみ)(八一八)=山上憶良
⑤ 築後守大伴大夫(八一九)
⑥ 築後守葛井大夫(八二〇)
⑦ 笠沙弥(かさのさみ)(八二一)
⑧ 主人(八二二)=大伴旅人
⑨ 大監伴氏百代(八二三)=大伴宿祢百代(おほとものすくねももよ)
⑩ 小監阿氏奥嶋(あじのおきしま)(八二四)
⑪ 小監土氏百村(とじのももむら)(八二五)
⑫ 大典史氏大原(しじのおほはら)(八二六)
⑬ 小典山氏若麻呂((さんじのわかまろ)八二七)
⑭ 大判事丹氏麻呂(たんじのまろ)(八二八)
⑮ 薬師張氏福子(八二九)
⑯ 筑前介佐氏子首(さじのこびと)(八三〇)
⑰ 壹岐守板氏安麻呂(八三一)
⑱ 神司荒氏稲布(こうじのいなしき)(八三二)
⑲ 大令史野氏宿奈麻呂(八三三)
⑳ 小令史田氏肥人(でんじのうまひと)(八三四)
㉑ 薬師高氏義通((かうじのよしみち)八三五)
㉒ 陰陽師磯氏法麻呂(八三六)
㉓ 笇師志氏大道(しじのおほみち)(八三七)
㉔ 大隅目榎氏鉢麻呂(八三八)
㉕ 筑前目田氏真上((でんじのまかみ)八三九)
㉖ 壹岐目村氏彼方(そんじのをちかた)(八四〇)
㉗ 對馬目高氏老(かうじのおゆ)(八四一)
㉘ 薩摩目高氏海人(かうじのあま)(八四二)
㉙ 土師氏御道(はにしうじのみみち)(八四三)
㉚ 小野氏國堅(をのにしくにかた)(八四四)
㉛ 筑前拯門氏石足(もんじのいそたり)(八四五)
㉜ 小野氏淡理((をののうじたもり)八四六)
(参考文献)
★万葉の小径 さくらの歌碑
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)