万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その485)―奈良市神功4丁目 万葉の小径(21)―万葉集 巻五 八二九

●歌は、「梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにてあらずや」である。

 

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奈良市神功4丁目 万葉の小径(21)万葉歌碑(張氏福子 さくら)

●歌碑は、奈良市神功4丁目 万葉の小径(21)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆烏梅能波奈 佐企弖知理奈波 佐久良婆那 都伎弖佐久倍久 奈利尓弖阿良受也

               (張氏福子 巻五 八二九)

 

≪書き下し≫梅の花咲きて散りなば桜花(さくらばな)継(つ)ぎて咲くべくなりにてあらずや

 

(訳)梅の花が咲いて散ってしまったならば、桜の花が引き続き咲くようになっているではないか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 

 「歌の意のように、ウメもサクラもモモも相次いで咲く春を彩る名花である。『植物図鑑』の類には、ウメの項もモモの項もあるけれど、サクラの項は見当たらない。サクラはヤマザクラサトザクラシダレザクラ、ヒガンザクラ、ソメイヨシノなどの総称で、後世の改良品種を対象外とすると、万葉のサクラはヤマザクラの類を指すとするのが一般的である。万葉集に詠まれる回数は約四〇回で、ウメの約三分の一に過ぎないが、ただ、ウメがほとんど庭木として詠まれているのに対し、サクラは各地の山野で歌われていて、当時広く一般に親しまれていた木といえよう。

 この歌は、咲き揃った梅を見つつの宴、それも都遠く離れた大宰府の師(そち)宅の宴で歌われたもので、一座の人たちが、ひとしきり梅を愛でたのを受けて、いやいや梅だけでなく、梅の後には桜が咲くから、その時には再び楽しい宴を持ちましょうと歌ったものだ。さらに、桜が終わると藤、続いて卯の花と次から次への想像を許す楽しい歌である。

 張氏福子は、薬師(くすりし:大宰府の医師)であるから、あるいは、梅や桜に薬師としての興味も抱いていたかとも思われる。」 (万葉の小径 さくらの歌碑)

 

 

 題詞は、「梅花歌卅二首幷序」<梅花(ばいくわ)の歌三十二首幷せて序>とあり、八一五~八四六の三二首が収録されている。

 

 この序文が、「令和」の典拠、いわゆる出典元である。序文をみてみよう。

 

 「天平二年正月一三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲松掛羅而傾盖 夕岫結霧 鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故雁 於是盖天坐地 促膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異牟 宜賦園梅聊成短詠」<天平二年の正月の十三日に、帥老(そちろう)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会(うたげ)を申(の)ぶ。時に、初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぐ。 梅は鏡前(きやうぜん)の粉(ふん)を披(ひら)く、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(くゆ)らす。しかのみにあらず、曙(あした)の嶺(みね)に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きぬがさ)を傾(かたぶ)く、夕(ゆふへ)の岫(くき)に霧結び、鳥は縠(うすもの)に封(と)じらえて林に迷ふ。庭には舞ふ新蝶(しんてふ)あり、空には帰る故雁(こがん)あり。ここに天(あめ)を蓋(やね)にし地(つち)を坐(しきゐ)にし、膝(ふざ)を促(ちかづ)け觴(さかづき)を飛ばす。言(げん)を一室の裏に忘れ、 衿(きん)を煙霞(えんか)の外に開く。淡然(たんぜん)自(みづか)ら放(ゆる)し、快然(くわいぜん)自ら足る。もし翰苑(かんゑん)にあらずは、何をもちてか情(こころ)を攄(の)べむ。詩に落梅(らくばい)の篇(へん)を紀(しる)す、古今それ何ぞ異(こと)ならむ。よろしく園梅(ゑんばい)を賦(ふ)して、いささかに短詠(たんえい)を成すべし。>

 

(序の訳)天平二年正月十三日、帥の老の邸宅に集まって、宴会をくりひろげた。折しも、初春の佳(よ)き月で、気は清く澄みわたり風はやわらかにそよいでいる。梅は佳人の鏡前の白粉(おしろい)のように咲いているし、蘭は貴人の飾り袋の香のように匂っている。そればかりか、明け方の峰には雲が往き来して、松は雲の薄絹をまとって蓋(きぬがさ)をさしかけたようであり、夕方の山洞(やまほら)には霧が湧き起こり、鳥は霧の帳(とばり)に閉じ込められながら林に飛び交うている。庭には春生まれた蝶がひらひら舞い、空には秋来た雁が帰って行く。そこで一同、天を屋根とし地を座席とし、膝を近づけて盃(さかずき)をめぐらせる。一座の者みな恍惚(こうこつ)として言を忘れ、雲霞(うんか)の彼方(かなた)に向かって胸襟を開く。心は淡々としてただ自在、思いは快然としてただ満ち足りている。ああ、文筆によるのでなければ、どうしてこの心を述べ尽くすことができよう。漢詩にも落梅の作がある。昔も今も何の違いがあろうぞ。さあ、この園梅を題として、しばし倭(やまと)の歌を詠むがよい。(同上)

(注)天平二年:730年

(注)れいげつ 【令月】① 何事をするのにもよい月。めでたい月。よい月。② 陰暦二月の異名。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)おびもの【佩物・珮】①身につけるもの。腰にさげる装飾品。②奈良時代、礼服(らいふく)に用いた装飾品。組み糸に玉を通し、胸の下から沓(くつ)のところまで垂らし、歩くときに鳴るようにしたもの。おんもの。玉佩(ぎよくはい)。(三省堂

(注)ら【羅】名詞:薄く織った絹布。薄絹(うすぎぬ)。薄物(うすもの)。(学研)

(注)くき【岫】①山のほら穴。②山の峰。 (三省堂

(注)かんゑん【翰苑】①文章や手紙。② 「翰林院」に同じ。③中国、唐初の類書。張楚金の撰。日本に蕃夷部一巻が現存。(三省堂

 

 ※帥老=大伴卿=大伴宿祢旅人

 

 大伴旅人宅に集まって宴を催し、梅を愛でて歌を詠ったのである。多種多様の人が集まったようである。名前は次の通りである。(注:役職の読みは省略している)漢数字は万葉集の歌番号である。

 

 ① 大貮紀卿(きのまへつきみ)(八一五)

 ② 小貳小野大夫(八一六)=小野老朝臣(おののおゆあそみの)

 ③ 小貳粟田大夫(あはたのまへつきみ)(八一七)

 ④ 筑前守山上大夫(やまのうえのまへつきみ)(八一八)=山上憶良

 ⑤ 築後守大伴大夫(八一九)

 ⑥ 築後守葛井大夫(八二〇)

 ⑦ 笠沙弥(かさのさみ)(八二一)

 ⑧ 主人(八二二)=大伴旅人

 ⑨ 大監伴氏百代(八二三)=大伴宿祢百代(おほとものすくねももよ)

 ⑩ 小監阿氏奥嶋(あじのおきしま)(八二四)

 ⑪ 小監土氏百村(とじのももむら)(八二五)

 ⑫ 大典史氏大原(しじのおほはら)(八二六)

 ⑬ 小典山氏若麻呂((さんじのわかまろ)八二七)

 ⑭ 大判事丹氏麻呂(たんじのまろ)(八二八)

 ⑮ 薬師張氏福子(八二九)

 ⑯ 筑前介佐氏子首(さじのこびと)(八三〇)

 ⑰ 壹岐守板氏安麻呂(八三一)

 ⑱ 神司荒氏稲布(こうじのいなしき)(八三二)

 ⑲ 大令史野氏宿奈麻呂(八三三)

 ⑳ 小令史田氏肥人(でんじのうまひと)(八三四)

 ㉑ 薬師高氏義通((かうじのよしみち)八三五)

 ㉒ 陰陽師磯氏法麻呂(八三六)

 ㉓ 笇師志氏大道(しじのおほみち)(八三七)

 ㉔ 大隅目榎氏鉢麻呂(八三八)

 ㉕ 筑前目田氏真上((でんじのまかみ)八三九)

 ㉖ 壹岐目村氏彼方(そんじのをちかた)(八四〇)

 ㉗ 對馬目高氏老(かうじのおゆ)(八四一)

 ㉘ 薩摩目高氏海人(かうじのあま)(八四二)

 ㉙ 土師氏御道(はにしうじのみみち)(八四三)

 ㉚ 小野氏國堅(をのにしくにかた)(八四四)

 ㉛ 筑前拯門氏石足(もんじのいそたり)(八四五)

 ㉜ 小野氏淡理((をののうじたもり)(八四六)

 

 「花見」といえば、桜を見ることである。梅や菊については、「梅見」「菊見」と言う言葉があるが、「桜見」とはいわない。日本人が春といえば、花であり、桜であったのである。古来から桜が日本の代表花であったのである。ちなみに梅は、万葉時代に中国から渡来した植物である。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲丘 耕二 著 (學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「万葉の小径 さくらの歌碑」