●中味はサンチュと焼豚。サンドイッチは4分割し信楽焼の長方皿に縦、横、横、縦に長方形に盛り付けた。
デザートは、伊予柑を敷き詰め、さらに、リンゴの縦切りスライスを4つ、それを半分にしたものを4つ、それぞれ上から見て十字に並べた。リンゴのスライスが倒れないようにブドウで挟んだ。真ん中には2色のぶどうの切り合わせを配した。干しブドウでアクセントをつけた。
今日の万葉の小径の歌碑の紹介は「ゆずるは」である。
●万葉の小径シリーズ-その25 ゆずるは ユズリハ
古(いにしえ)に 恋ふる鳥かも ゆずるはの 御井の上より 鳴き渡りゆく
(弓削皇子 巻二 一一一)
古尓 戀流鳥鴨 弓絃葉乃 三井能上従 鳴濟遊久
今鳴いている鳥は、昔を恋慕う鳥であろうか。ここ弓絃葉(ゆずるは)の御井(みゐ)の辺りから、鳴きながらそちらの方へ飛んで行くよ。
「ユズリハは、今日ではユズリハと呼ぶのが普通であるが、万葉の頃には「ゆずるは」と呼んでいた。本州中部より西の山野に生育する木で、約二〇センチの長さになる葉に特色がある。初夏、大判の古葉と新葉が、いかにも目立って交代するので、その様子からゆずりはというと言われている。
弓削皇子は持統女帝の供人ととして吉野にいる。持統にとって吉野は壬申の乱(六七二)前夜、約八か月主人天武天皇とともに立てこもった思い出の土地である。乱の平定後、約二〇年の後訪れた吉野で、一行の者すべてに共通する昔を思う心であったにちがいない、その懐古の情を込めて、弓削皇子は今鳴いている鳥が昔をしきりに思い出させることよと都にいる額田王に歌を贈った。
ホトトギスは万葉集中もっとも多く歌われている鳥で、約一六〇首の歌がある。夏の卯の花、橘、藤などとともに歌われ、一般には白いイメージの中で鳴く鳥であるが、高木のユズリハとともに詠われるのは、実に稀なことである。」
(万葉の小径 ゆずるはの歌碑)
この歌の題詞は、「幸于吉野宮時 弓削皇子贈与額田王歌一首」(吉野の宮に幸しし時 弓削皇子 額田王に賜与(おく)る歌一首)である。
天武天皇第六皇子の弓削皇子が、持統女帝吉野行幸に従い、行幸に老年のため参加できなかった額田王に贈った歌である。旅の夜明けにホトトギスの声を聞いて、ふと額田王のことが思い出されたのである。額田王の魂が我々と一緒についてきたと皇子は考えたのであろう。
古尓 戀良武鳥者 霍公鳥 蓋哉鳴之 吾念流碁騰 (額田王 巻二 一一二)
古に恋ふらむ鳥は 時鳥(ほととぎす) けだしや鳴きし わが恋ふるごと
このように、ホトトギスは自分の生魂だと認めて、正面から「古に恋ふらむ鳥は時鳥」と歌ったのである。昔を恋したって鳴いている鳥は、(私の魂の)時鳥ですよ。私が先の天皇を慕っているように、鳴いていませんでしたか。と皇子の歌に和(あわ)せたのである。
この歌の題詞は、「額田王奉和歌一首 従倭京進入」(額田王 和へ奉る歌一首 大和の都より奉り入る)とある。
(参考文献)
★万葉の小径 ゆずるはの歌碑
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社)