万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

ザ・モーニングセット190202(万葉の小径シリーズ―その26つばき)

 

 

●FACEBOOKでの過去の思い出と題し「FACEBOOKでシェアした7年前の投稿を振り返ってみよう」というメッセージと写真が今日、掲載された。7年前もサンドイッチとデザートは作っていた。当時の作風が参考になる。記憶は消えるが記録は残る。本日の写真などは未来の己へのメッセージでもある。サンチュと焼豚を挟み、4つ切りにし、小鹿田焼の丸皿に盛り付けた。サンチュの緑が生き生きしている。

 

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2月2日のモーニングセット

  デザートは、リンゴの飾り切りである。伊予柑は楔のように飾り、2色のぶどうを周辺に配した。

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2月2日のデザート

 

 今日の万葉の小径の歌碑の紹介は「つばき」である。

 

●万葉の小径シリーズ-その26 つばき ヤブツバキ

 

巨勢山(こせやま)の つらつら椿 つらつらに 

            見つつ思(しの)はな 巨勢の春野を

                        (坂門人足 巻一 五四)

 

巨勢山乃 列ゝ椿 都良ゝゝ尓 見乍思奈 許湍乃春野乎

 

有名な巨勢山のつらつら椿を見て、今は秋で椿の季節ではないけれど、その名の通りつらつら椿が連なって咲き誇る巨勢の春野を偲ぼうよ。

 

「ツバキはヤブツバキの類であろうが、「つらつら椿」については定まっていない。花が連なるようにたくさん咲いているとするのが一般であるが、花ではなく葉がつやつやとしているからだともいう。

 大宝(たいほう)元年(七〇一)秋九月、持統上皇紀伊国行幸のお供をした坂門人足(さかとのひとたり)は、藤原京を出て最初の峠越えである巨勢にさしかかった時、その地が、

 河上の つらつら椿 つらつらに 見れど飽かず 巨勢の春野は (巻一 五六)

と歌った春日蔵首老(かすがのくらびとのおゆ)のつらつら椿で名高い所であることを思い出して、秋の景色をの上に春の景色を重ねて歌った。

 どのような節かは分からないが、当時、歌は確実に歌われていた。この歌でも第一句と第五句に巨勢(こせ)を繰り返し、第二句、第三句、第四句で、いずれもツの音を二度も繰り返して、実に流暢なリズムがある、音という点では、椿にも二重の意味があり、椿(ツバキ)は妻来(つまき)の意味をも持っている。椿は家の庭木としてはあまり好まれないが、万葉の椿も概ね山野に自生する椿が歌われ、一木一草を愛でるよりは、全体として咲き誇る椿が好まれている。その意味でつらつら椿は、連なって咲く多くの花の意であろうか。」

                       (万葉の小径 つばきの歌碑)

 

 この歌の題詞は、「大寳元年辛丑秋九月太上天皇幸于紀伊國詩歌」(大宝元年辛丑の秋九月 太上天皇<おほきすめらみこと:持統天皇>の紀伊の国に幸しし時の歌)

 持統天皇紀伊行幸の時、大和の巨勢路を通り真土山を越えていかれたが、今の奈良県御所市古瀬あたりの巨勢山の椿を見て、この辺の春の景色を見たいものだと歌ったのである。

 

 小生も、ウォーキングと称し1日8,000歩を目標にして頑張っているが、この歌の紀伊行幸や、家持の越中国赴任や、防人等々、万葉人の移動を考えると頭が下がる。けもの道ではないが、道なき道から、ルートが定まっていくこと自体不思議な気がする。

                                                                                                                                                                       

(参考文献) 

★万葉の小径 つばきの歌碑

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社

★「別冊國文学 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社