●天理市を流れる布留(ふる)川、「袖振川之(そでふるかはの)」(巻十二 三〇一三)、「雨零川之(あめふるかわの)」(巻十二 三〇一二)と詠まれている。奈良県天理市には、「布留町(ふるちょう)」がある。「布留」という地名は、「ふる」にかかる枕詞「石上(いそのかみ)」の石上神宮のHPのお話によると、「剣が布に留(と)まった所(ところ)ということから、布留(ふる)という地名が出来たとも言われてい」るそうである。
●今日のサンドイッチは、サニーレタスと焼き豚。フルーツ「フル」デザートは、バナナスライスを中心部に並べ、「雨零川之(あめふるかわの) 左射礼浪(さざれなみ」をイメージし、周りをトンプソンとレッドグローブで飾った。
●万葉歌碑を訪ねて―その49―
「我妹子や我を忘らすな石上袖布留川の絶えむと思へや」
この歌碑は、天理市役所前(西北)にある。
◆吾妹兒哉(わぎもこや) 安乎忘為莫(あをわすらすな) 石上(いそのかみ) 袖振川之(そでふるかはの) 将絶跡念倍也(たえむともへや)
(作者未詳 巻十二 三〇一三)
(訳)いとしい子よ、私をお忘れでないよ。石上の、袖振る川の布留川の水が絶えないように、私の思いがとだえることなどけっしてないのだよ。(伊藤 博著「万葉集 三」角川ソフィア文庫より)
(注)石上(いそのかみ):【地名】奈良県天理市の石上町・布留(ふる)町あたり。
【枕詞】地名「布留(ふる)」に、さらにそれと
同音の「振る」「降る」「古る」などにかかる。
(注)もふ【思ふ】:思う。思うの変化した言葉。
堀内民一氏は、「大和万葉―その歌の風土」のなかで、「わぎもこや、あをわすらすな。ちょっと甘美な歌いくちだ。なめらかな語感には、今にひびく哀切さがある。二人の仲の不安を、とり鎮めるための、「石上袖布留川」が、効果的である。焦燥感をじっとこらえている。」と書いておられる。
なぜ、布留という地名が生まれたについては、石上神宮のHPに、次のようなお話が載っている。
「昔、布留川(ふるがわ)の上流から、一(ひと)ふりの剣(つるぎ)が美しい水の流れとともに、泳ぐように流れてきました。そして、流れながら剣に触れるものを、次から次へと2つに切っていきました。
そのとき、その川の下流では、1人のうら若い娘が洗濯をしていました。
ふと、娘は頭を上げて川上を見ると、川上から岩や木を切りながら、流れてくる剣が目につきました。すばやく避けようとした瞬間、洗いすすがれた白い布の中に剣が流れ込んだのです。あわや布が切れたかと思いましたが、そのまま剣は布の中にぴたりと留(と)まっているではありませんか。娘はびっくりしました。こんなに鋭(するど)い剣が布をも切らずにその中に留(と)まったことへの驚きようは、言いようもありません。ふと、われにかえって、この不思議さにつくづく感心しました。
これはただごとではない、神様のされる事だと、早速その見事な剣(つるぎ)を神宮に奉納(ほうのう)しました。
そして、剣が布に留(と)まった所(ところ)ということから、布留(ふる)という地名が出来たとも言われています。
石上神宮の鎮座地はこの布留町(ふるちょう)です。」
天理市役所の前をこの川は流れているので、歌碑が設置されたのだろう。
布留川を詠んだ万葉集の歌をあげてみる。
◆古毛(いにしえも) 如此聞乍哉(かくききつつか) 偲兼(しのひけむ) 此古河之(このふるかわの) 清瀬之音矣(きよきせのおとを)
(作者未詳 巻七 一一一一)
(訳)今からは遠い遠い時代にも、このように耳傾けながら賞(め)でたことであろうか。この布留川の清らかな川瀬の音を。(伊藤 博著「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)
◆登能雲入(とのぐもり) 雨零川之(あめふるかわの) 左射礼浪(さざれなみ) 間無毛君者(まもなくもきみは) 所念鴨(ほもほゆるかも)
(作者未詳 巻十二 三〇一二)
(訳)一面にかき曇って雨が降る、その布留川のさざ波のように、絶え間もなくしきりに、あなたは恋しくて思われてなりません。(伊藤 博著「万葉集 三」角川ソフィア文庫より)
(注)とのぐもり<との曇る【との曇る】:空一面に曇る。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社)
★「weblio古語辞書」
★「石上神宮HP」