●歌は、「御食向かふ 南淵山の 巌には降りしはだれか 消え残りたる」である。
●歌碑は、奈良県高市郡明日香村 石舞台古墳前売店傍にある。 「犬養孝揮毫万葉歌碑マップ(明日香村)」に万葉歌碑(25)が、信号機のある交差点の北、明日香の夢市・夢市茶屋の北側にあることになっている 。ウロウロ探し回るが手掛かりが得られない。あきらめて石舞台の方の別の歌碑を探すことにする。のどが渇いてきた。売店の自動販売機 が目に入った。同時に、売店の傍らに歌碑がある。 やっと見つけた。スポーツドリンクでのどを潤しながら歌碑を見る。
●歌をみてみよう。
◆御食向 南淵山之 巖者 落波太列可 削遺有
(柿本人麻呂歌集 巻九 一七〇九)
≪書き下し≫御食(みけ)向(むか)ふ南淵山(みなぶちやま)の巌(いはほ)には降りしはだれか消え残りたる
(訳)南淵山の山肌には、いつぞや降った薄ら雪が消え残っているのであろうか。
(注)みけむかふ【御食向かふ】分類枕詞:食膳(しよくぜん)に向かい合っている「䳑(あぢ)」「粟(あは)」「葱(き)(=ねぎ)」「蜷(みな)(=にな)」などの食物と同じ音を含むことから、「味原(あぢふ)」「淡路(あはぢ)」「城(き)の上(へ)」「南淵(みなぶち)」などの地名にかかる。
(注)はだれ 【斑】名詞:「斑雪(はだれゆき)」の略。(うっすらと積る状態)
題詞は、「獻弓削皇子歌一首」<弓削皇子に献る歌一首>である。
左注は、「右柿本朝臣人麻呂之歌集所出」<右は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づるところなり>である
万葉集では、もう一首、初句に「御食向かう」と詠われている。
こちらの歌もみていこう。
◆御食向 淡路乃嶋二 直向 三犬女乃浦能 奥部庭 深海松採 浦廻庭 名告藻苅 深見流乃 見巻欲跡 莫告藻之 己名惜三 間使裳 不遣而吾者 生友奈重二
(山部赤人 巻六 九四六)
≪書き下し≫御食(みけ)向(むか)ふ 淡路(あはじ)の島に 直(ただ)向(むか)ふ
敏馬(みぬめ)の浦の 沖辺(おきへ)には 深海松(ふかみる)採(と)り 浦(うら)みには なのりそ刈る 深海松の 見まく欲(ほ)しけど なのりその おのが名惜しみ 間使(まつかひ)も 遣(や)らずて我(わ)れは 生けりともなし
(訳)大御食(おほみけ)に向かう粟(あわ)ではないが、その淡路(あわじ)の島にまともに向き合っている敏馬の浦、その浦の、沖の方では深海松(ふかみる)を採り、浦のあたりではなのりそを刈っている。その深海松の名のように、あの方を見たいと思うけれど、なのりその名のように、わが名の立つのが惜しいので、使いの者すら遣(や)らずにいて、私はまったく生きた心地もしない。
(注)敏馬(みぬめ):神戸市東部、灘(なだ)区の西郷(さいごう)川河口付近の古地名。埋立てによる摩耶埠頭(まやふとう)一帯の地で、国道2号沿い(岩屋中町)に汶売(みぬめ)(敏馬)神社がある。
『万葉集』には「玉藻(たまも)刈る敏馬を過ぎて夏草の野島が崎に舟近づきぬ」(柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ))のほか、「敏馬の浦」「敏馬の崎」として多く詠まれている。敏馬神社の境内には柿本人麻呂の万葉歌碑がある。かつては難波津(なにわづ)と淡路島の中間にある港であったのであろう(コトバンク 日本大百科全書「ニッポニカ」)
(注)なのりそ:褐藻植物であるホンダワラ類の古称。『万葉集』巻三には「みさご居(い)る 磯廻(いそみ)に生(お)ふる なのりその 名を告(の)らしてよ 親は知るとも」の歌がみえるが、この「なのりそ(莫告藻)」とはホンダラワ類とされる。(コトバンク 同)
(注)深海松(ふかみる):海底深く生えている海藻。(コトバンク デジタル大辞泉)
序詞は、「過敏驚浦時、山部宿祢赤人作謌一首并短謌」<敏馬の浦を過ぐる時に、山部宿禰赤人が作る歌一首>である。
他に二首、「御食向かう」が歌中に出て来る。
◆・・・御食向ふ 城上(きのへ)の宮を・・・(長歌 巻二 一九六)
◆・・・御食向ふ 味経(あぢふ)の宮は・・・(長歌 巻六 一〇六二)
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社
★「犬養孝揮毫万葉歌碑マップ(明日香村)」
★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
●本日のザ・モーニングセット&フルーツフルデザート
サンドイッチは、サンチュと焼き豚。小鹿田焼の皿に盛り付けた。デザートは、切子の器を使った。グレープフルーツ(ルビー)の房が壊れやすいく、真ん中にかろうじて何とかひとつ形になった。トンプソンとクリムゾンシードレスで加飾。