●歌は、「明日香川瀬々の玉藻のうちなびき情は妹に寄りにけるかも」である。
この日(7月5日)は、石舞台古墳前売店の万葉歌碑(ブログ160)の探索に時間を費やしてしまったので、帰ることにする。走っていると、明日香支店の特徴のある建物が目に入った。近くの空き地に車を止める。グーグルマップで明日香支店の前の道路をストリートビューしていたが道路沿いに歌碑を見つけることはできなかった。しかし、何度もストリートビューを繰り返していたので、銀行の建物の特徴が頭にインプットされていたのである。
支店前あたりから飛鳥川沿いにいく小径がある。この小径沿いにあると確信して探索する。しばらく行くと左手に歌碑があった。その横には、「飛鳥川」の碑も立っていた。
●歌をみてみよう
◆明日香河 瀬湍之珠藻之 打靡 情者妹尓 因来鴨
(作者未詳 巻十三 三二六七)
≪書き下し≫明日香川瀬々(せぜ)の玉藻のうち靡き心は妹(いも)に寄りにけるかも)
(訳)明日香川の瀬という瀬に生い茂って靡いている玉藻のように、ただひたすらに、私の心はあなたに靡き寄ってしまったよ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
巻十三は長歌集である。この歌も長歌(三二六六歌)の反歌である。
長歌の方もみていこう。
◆春去者 花咲乎呼里 秋付者 丹之穂尓黄色 味酒乎 神名火山之 帶丹為留 明日香之河乃 速瀬尓 生玉藻之 打靡 情者因而 朝露之 消者可消 戀久毛 知久毛相 隠都麻鴨
(作者未詳 巻十三 三二六六)
≪書き下し≫春されば 花咲きををり 秋づけば 丹(に)のほにもみつ 味酒(うまさけ)を 神(かむ)なび山の 帯(おび)にせる 明日香の川の 早き瀬に 生(お)ふる玉藻の うち靡(なび)き 心は寄りて 朝露(あさつゆ)の 消(け)なば消(け)ぬむべく
恋ひしくも しるくも逢(あ)へる 隠(こも)り妻(づま)かも
(訳)春がやって来ると花が枝もたわわに咲き乱れ、秋になると木の葉が真っ赤に色づく。その神なび山が帯にしている明日香川、この川の早瀬の中に生い茂る玉藻が、流れのままに靡くように、心はひたすら靡き寄り、朝霧がはかなく消えるように、身も消え果てるなら消え果ててしまえばとばかりに、恋焦がれた甲斐(かい)があって、今こうしてやっと逢うこと叶った我が忍び妻よ、ああ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)ををる【撓る】:(たくさんの花や葉で)枝がしなう。たわみ曲がる。
(注)に【丹】:赤土。また、赤色の顔料。赤い色。
(注)こもりづま【隠り妻】:人の目をはばかって家にこもっている妻。人目につくと困る関係にある妻や恋人。
万葉集目録によると巻十三は、
雑歌 二十七首
相聞歌五十七首
問答歌 十八首
比喩歌 一首
挽歌 二十四首
となっている。この歌は、部立て「相聞歌」に入っている。
堀内民一氏は、その著「大和万葉―その歌の風土」(創元社)のなかで、「万葉びとが川の瀬の靡くさまに執着したのは、『霊呼ばい』の信仰」が働いているからだと述べられている。「川の藻のなびくのを見ると、むかしの人がそれに心をそそられたことがわかるような気がする。川の流れにもてあそばれて、なびく」様相に、超自然的な力を感じたのかもしれない。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社)
★「万葉の大和路」 犬養 孝/文 入江泰吉/写真 (旺文社文庫)
★「犬養孝揮毫万葉歌碑マップ(明日香村)」
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
●本日のザ・モーニングセット&フルーツフルデザート
サンドイッチは、10枚切りを3枚使い、中味は、ロメインレタスと焼き豚である。デザートは、キウイの縦スライスを十字に立て、周囲をバナナ、トンプソンとクリムゾンシードレスの切合わせで加飾した。