万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その232)―京都府宇治市宇治 仏徳山山頂展望台―

 

●歌は、「妹らがり今木の嶺に茂り立つ夫松の木は古人見けむ」である。

 

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京都府宇治市宇治 仏徳山山頂展望台(作者未詳)

●歌碑は、京都府宇治市宇治 仏徳山山頂展望台にある。

 

 宇治上神社をあとにし、さわらびの道を進み、与謝野晶子の歌碑を眺め、巻一三 三二三六歌の万葉歌碑を巡り、そこから折り返すような形で登坂路を行く。つづら折りの登り道である。何回目かの折り返しにこの歌碑がある。歌碑の横からの眺望も素晴らしいものがある。

 

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東海自然歩道案内標

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仏徳山登坂路

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歌碑横の展望台からの眺望



 

●歌をみていこう。

 

◆妹等許 今木乃嶺 茂立 嬬待木者 古人見▼牟

                                  (柿本人麻呂歌集 巻九 一七九五)

                                                       (注)▼「示+(おおざと)」=「け」

 

≪書き下し≫妹らがり今木(いまき)の嶺(みね)に茂り立つ夫松(つままつ)の木は古人(ふるひと)見けむ

 

(訳)いとしい子の家に今来た、という今木の峰に枝葉を茂らせてそそり立つ松、夫の訪れを待つように今も立っている松の木は、いにしえの人もきっと見たことであろう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)いもがり 【妹許】名詞:愛する妻や女性のいる所。◆「がり」は居所および居る方向を表す接尾語。

 

  題詞は、「宇治若郎子宮所歌一首」<宇治若郎子(うぢのわきいらつこ)の宮所(みやところ)の歌一首>である。

(注)うじのわきいらつこ:4世紀頃の皇子。父は応神天皇仁徳天皇の弟にあたる。幼少の頃から書物に親しみ,百済阿直岐王仁などを師に迎え,典籍に通じた。応神天皇に非常に愛され,その 40年に兄大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)が,天皇の問いに答えて「いまだ成人せぬ少子は最もかなし」と薦めたことにより,兄をおいて皇太子となった。翌年父天皇崩御により即位することとなったが,彼はひたすらに兄の大鷦鷯尊(仁徳天皇)を推し,このため空位 3年に及んだ。皇子は苦悩の末に自殺して,仁徳天皇の即位を促したとされる。その墓所は菟道宮,宇治墓といい,京都府宇治市丸山にある(→宇治上神社)。(コトバンク ブリタニカ国際大百科事典)

 

  宇治上神社(うじがみじんじゃ)については、京都府HPに次のように紹介されている。

「△成り立ち

菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)、応神天皇仁徳天皇を祀る。本殿は日本最古の神社建築。

 

△見所

宇治川の東岸の朝日山の山裾には、神社建築では、日本最古の本殿である宇治上神社が鎮座する。拝殿(国宝)は、鎌倉時代前期に伐採された桧が使用されており、鎌倉時代の優れた建物遺構。本殿(国宝)は平安時代後期に伐採された木材が使われて、一間社流造りの三殿からなる。左右の社殿が大きく中央の社殿が小さい。」

 

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宇治上神社宇治拝殿

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宇治上神社

  題詞には、「宇治若郎子宮所歌一首」とあり、歌は、「妹等許 今木乃嶺 茂立 嬬待木」と松の木を見つめ詠っているが、「古人(ふるひと)見けむ」と続けている。題詞と五句目の内容の重さが、一から四句によって一層の重さを強調されているように思える。「柿本朝臣人麻呂之歌集出」の歌であるが、この詠み人の気持ちはいかがなものであったろうかといろいろと思いめぐらされる。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「コトバンク ブリタニカ国際大百科事典」

★「世界遺産世界文化遺産宇治上神社」(京都府HP)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

 

※20230427朝食関連記事削除、一部改訂