●歌は、「あぢさゐの八重咲くごとく八つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ」である。
●歌碑(プレート)は、奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(53)にある。
●歌をみていこう。
◆安治佐為能 夜敝佐久其等久 夜都与尓乎 伊麻世和我勢故 美都ゝ思努波牟
(橘諸兄 巻二十 四四四八)
≪書き下し≫あぢさいの八重(やへ)咲くごとく八(や)つ代(よ)にをいませ我が背子(せこ)見つつ偲ばむ
(訳)あじさいが次々と色どりを変えてま新しく咲くように、幾年月ののちまでもお元気でいらっしゃい、あなた。あじさいをみるたびにあなたをお偲びしましょう。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)八重(やへ)咲く:次々と色どりを変えて咲くように
(注)八(や)つ代(よ):幾久しく。「八重」を承けて「八つ代」といったもの。
(注)います【坐す・在す】[一]自動詞:①いらっしゃる。おいでになる。▽「あり」の尊敬語。②おでかけになる。おいでになる。▽「行く」「来(く)」の尊敬語。(学研)
左注は、「右一首左大臣寄味狭藍花詠也」≪右の一首は、左大臣、味狭藍(あじさゐ)の花に寄せて詠(よ)む。>である。
題詞は、「同月十一日左大臣橘卿宴右大辨丹比國人真人之宅歌三首」<同じき月の十一日に、左大臣橘卿(たちばなのまへつきみ)、右大弁(うだいべん)丹比國人真人(たぢひのくにひとのまひと)が宅(たく)にして宴(うたげ)する歌三首>である。
他の二首もみてみよう。
◆和我夜度尓 佐家流奈弖之故 麻比波勢牟 由米波奈知流奈 伊也乎知尓左家
(丹比國人真人 巻二十 四四四六)
≪書き下し≫我がやどに咲けるなでしこ賄(まひ)はせむゆめ花散るないやをちに咲け
(訳)我が家の庭に咲いているなでしこよ、贈り物はなんでもしよう。決して散るなよ。いよいよ若返り続けて咲くのだぞ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)まひ【幣】依頼や謝礼のしるしとして神にささげたり、人に贈ったりする物。「まひなひ」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)ゆめ【努・勤】副詞:①〔下に禁止・命令表現を伴って〕決して。必ず。②〔下に打消の語を伴って〕まったく。少しも。(学研)
(注)をち【復ち】名詞:もとに戻ること。若返ること。(学研)
左注は、「右一首丹比國人真人壽左大臣歌」<右の一首は、丹比國人真人、左大臣を寿(ほ)ぐ歌>である。
◆麻比之都ゝ 伎美我於保世流 奈弖之故我 波奈乃未等波無 伎美奈良奈久尓
(橘諸兄 巻二十 四四四七)
≪書き下し≫賄(まひ)しつつ君が生(お)ほせるなでしこが花のみ問(と)はむ君ならなくに
(訳)贈り物をしてはあなたがたいせつに育てているなでしこ、あなたは、そのなでしこの花だけに問いかけるようなお方ではないはずです。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
「あぢさい」については、古来、いろいろな文字があてられてきた。味狭藍、安治作為、安豆作為、安地佐井などである。七変化、加久波奈、四葩(よひら)、額の花などとも呼ばれていたのである。原種は日本のガクアジサイである。
(注)四片・四葩(読み)よひら①花弁が四枚あること。また、その花弁。②(「四葩」と書く)アジサイの異名。(コトバンク 三省堂大辞林 第三版)
万葉集のなかで「あぢさい」を詠んだ歌は、意外に少なく二首だけである。
もう一首もみておこう。
◆事不問 木尚味狭藍 諸弟等之 練乃村戸二 所詐来
(大伴家持 巻四 七七三)
≪書き下し≫言(こと)」とはぬ木すらあぢさゐ諸弟(もろと)らが練(ね)りのむらとにあざむかえけり
(訳)口のきけない木にさえも、あじさいのように色の変わる信用のおけないやつがある。まして口八丁の諸弟らの練りに練った託宣(たくせん)の数々にのせられてしまったのはやむえないことだわい。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)あぢさゐ:あじさいのように色の変わる信用のおけないものの譬え
(注)諸弟:使者の名か
(注)練のむらと:練に練った荘重な言葉の意か。「むらと」は「群詞」か。
「あぢさゐ」も色の変わる信用のおけないものに喩えられるとは。
七七三歌は、大伴家持が久邇の京より坂上大嬢に贈った五首のうちの一首である。
題詞は、「大伴宿祢家持従久迩京贈坂上大嬢歌五首」<大伴宿禰家持、久邇の京より坂上大嬢に贈る歌五首>である。
他の四首もみてみよう。
◆人眼多見 不相耳曽 情左倍 妹乎忘而 吾念莫國
(大伴家持 巻四 七七〇)
≪書き下し≫人目多み逢はなくのみぞ心さへ妹(いも)を忘れに我(あ)が思はなくに
(訳)人目が多いので逢(あ)いにいけわないだけです。心根までも貴女を忘れてしまったとは、私は思ってもいません。(同上)
(注)五首の冒頭歌から、大嬢を思う気持ちを訴えている。
◆偽毛 似付而曽為流 打布裳 真吾妹兒 吾尓戀目八
(大伴家持 巻四 七七一)
≪書き下し≫偽(いつは)りも似つきにぞするうつしくもまこと吾妹子(わぎもこ)我(わ)れに恋ひめや
(訳)嘘だって本当らしく言うものです。本心からほんとうに、あなたが、そんなに私に恋い焦がれているとはとても思えません。(同上)
(注)うつし【現し・顕し】形容詞:①実際に存在する。事実としてある。生きている。②正気だ。意識が確かだ。 ◇「うつしけ」は上代の未然形。(学研)
◆夢尓谷 将所見常吾者 保杼毛友 不相志思者 諾不所見有武
(大伴家持 巻四 七七二)
≪書き下し≫夢(いめ)にだに見えむと我(あ)れはほどけども相(あひ)し思はねばうべ見えずあらむ
(訳)せめて夢にだけでも見えてくれるであろうと、私は着物の紐(ひも)をほどいて寝たけれども、こちらほどには思ってくれていないのだもの、あなたの姿が見えないのは当然です。(同上)
(注)うべ【宜・諾】副詞:なるほど。もっともなことに。▽肯定の意を表す。 ※中古以降「むべ」とも表記する。(学研)
◆百千遍 戀跡云友 諸苐等之 練乃言羽者 吾波不信
(大伴家持 巻四 七七四)
≪書き下し≫百千(ももち) たび恋ふと言ふとも諸苐(もろと)らが練(ねり)のことばは我(あ)れは頼(たの)まじ
(訳)百度も千度も、あなたが私に、「恋い焦がれる」と言っても、諸弟めの練りに練ったうまい言葉は、私はもう二度とあてにはすまい。(同上)
大嬢が時折は帰って欲しいと家持に言ってきたことを踏まえての歌のようである。七七一歌から七七四歌までは、大嬢の薄情さを怨むような歌になっている。
これから受けるであろう歴史の試練が予想もつかない時代の、しかも若い時の歌であり、なにかしら「ゆとり」さえ覚える歌である。次項でふれる予定の「春愁絶唱三首」のようなピーンと張りつめた緊張感、歌の内容の重さはみじんもない。
それだけに家持が歩んだ道は、ある意味壮絶なのである。機会をみてこういった視点からも家持に迫ってみたいものである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」