●歌は、「たち変り古き都となりぬれば道の芝草長く生ひにけり(田辺福麻呂 6-1048)」、「山高く川の瀬清し百代まで神しみゆかむ大宮ところ(田辺福麻呂 6-1052)」、「咲く花の色は変らずももしきの大宮人ぞたち変りける(田辺福麻呂 6-1061)」である。
「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)を読み進んでいこう。「・・・人麻呂・赤人・金村への継承というところに、宮廷派をつごうとする福麻呂の自覚があった。そこで歌われるものは、当然新都賛美、旧都悲傷の歌である。・・・天平十二年以降の恭仁(くに)・難波(なにわ)への都うつりがそれを詠ませる。(巻六、一〇四八)、(巻六、一〇五二)、(巻六、一〇六一)(いずれも歌は省略)
奈良から恭仁へ、恭仁から難波へという推移が右の三首である。しかもそれがつい一、二年で行われたのだから、荒廃の実感は、ただ都だけではない、大宮人がいないことが大きい。しかも・・・芝草・山河・花との対比の中にそれが詠まれる。・・・まさに天平の詩情であろう。家持は天平時代に赤人らの伝統をつごうと希(ねが)った歌人であった。そこに福麻呂との親しさもあっただろう。この伝統を忠実に具現したのが福麻呂であり、それを希いながら逸脱したところに名声を得たのが家持であった。」(同著)
古代史で楽しむ万葉集 (角川ソフィア文庫) [ 中西 進 ] 価格:836円 |
一〇四八、一〇五二、一〇六一歌をみてみよう。
■■巻六 一〇四七~一〇四九歌■■
題詞は、「悲寧楽故郷作歌一首并短歌」<寧楽の故郷を悲しびて作る歌一首 并(あは)せて短歌>である。
(注)故郷:古京の意。(伊藤脚注)
(注)天平十三年(七四一)七月十日、元正天皇が新都久邇に移る折りの詠か。(伊藤脚注)
■巻六 一〇四七歌■
◆八隅知之 吾大王乃 高敷為 日本國者 皇祖乃 神之御代自 敷座流 國尓之有者 阿礼将座 御子之嗣継 天下 所知座跡 八百萬 千年矣兼而 定家牟 平城京師者 炎乃 春尓之成者 春日山 御笠之野邊尓 櫻花 木晩牢■鳥者 間無數鳴 露霜乃 秋去来者 射駒山 飛火賀▲丹 芽乃枝乎 石辛見散之 狭男壮鹿者 妻呼令動 山見者 山裳見皃石 里見者 里裳住吉 物負之 八十伴緒乃 打經而 思煎敷者 天地乃 依會限 萬世丹 榮将徃迹 思煎石 大宮尚矣 恃有之 名良乃京矣 新世乃 事尓之有者 皇之 引乃真尓真荷 春花乃 遷日易 村鳥乃 旦立徃者 刺竹之 大宮人能 踏平之 通之道者 馬裳不行 人裳徃莫者 荒尓異類香聞
■は「白」に「八」である→「■鳥」=「かほとり」
▲はやまへんに鬼である→「飛火賀▲丹」=「とぶひがたけに」
(田辺福麻呂 巻六 一〇四七)
≪書き下し≫やすみしし 我が大君の 高敷(たかし)かす 大和の国は すめろきの 神の御代(みよ)より 敷きませる 国にしあれば 生(あ)れまさむ 御子の継ぎ継ぎ 天(あめ)の下(した) 知らしまさむと 八百万(やほよろづ) 千年(ちとせ)をかねて 定めけむ 奈良の都は かぎろひの 春にしなれば 春日山 三笠の野辺(のへ)に 桜花(さくらばな) 木(こ)の暗隠(くれがく)り 貌鳥(かほどり)は 間(ま)なくしば鳴く 露霜の 秋去り来れば 生駒山 飛火(とぶひ)が岳に 萩の枝(え)を しがらみ散らし さを鹿は 妻呼び響(とよ)む 山見れば 山も見が欲(ほ)し 里見れば 里も住みよし もののふの 八十伴(やそとも)の男(を)の うちはへて 思へりしくは 天地の 寄り合ひの極(きは)み 万代(よろづよ)に 栄え行かむと 思へりし 大宮すらを 頼めりし 奈良の都を 新代(あらたよ)の ことにしあれば 大君の 引きのまにまに 春花(はるはな)の うつろひ変はり 群鳥(むらとり)の 朝立ち行けば さす竹の 大宮人の 踏み平(なら)し 通ひし道は 馬もいかず 人も行かねば 荒れにけるかも
(訳)あまねく天下を支配されるわれらの大君が治められている日の本の国は、皇祖の神の御代以来ずっとお治めになっている国であるから、この世に現れ給う代々の御子が次々にお治めになるべきものとして、千年にも万年にもわたるとこしえの都としてお定めになったこの奈良の都は、陽炎の燃える春ともなると、春日山の麓の御笠の野辺で、桜の花の木陰に隠れて、貌鳥(かほどり)はとくに絶え間なく鳴き立てる。露が冷たく置く秋ともなると、生駒山の飛火が岳で、萩の枝をからませ散らして、雄鹿は妻呼び求めて声高く鳴く。山を見れば山も見飽きることがないし、里を見れば里も住み心地がよい。もろもろの大宮人がずっと心に思っていたことには、天地の寄り合う限り、万代ののちまでも栄え続けるであろうと、そう思っていた大宮であるのに、そのように頼りにしていた奈良の都であったのに、新しい御代(みよ)になったこととて、大君のお指図のままに、春の花が移ろうように都が移り変わり、群鳥が朝立ちするように人びとがいっせいに去って行ってしまったので、今まで大宮人たちが踏み平(な)らして往き来していた道は、馬も行かず人も通わないので、今はまったく荒れ放題になってしまった。(伊藤 博著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)やすみしし 【八隅知し・安見知し】分類枕詞:国の隅々までお治めになっている 意で、「わが大君」「わご大君」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)たかしく【たかしく】他動詞:立派に治める(学研)
(注)すめろき【天皇】名詞:天皇(てんのう)。「すめろぎ」「すめらぎ」「すべらき」とも。(学研)
(注)かほとり【貌鳥・容鳥】名詞:鳥の名。未詳。顔の美しい鳥とも、「かっこう」とも諸説ある。「かほどり」とも。(学研)
(注)とぶひがたけ【飛火が岳】:合図のための烽火台のある峰。(伊藤脚注)
(注)しがらむ【柵む】他動詞:①からみつける。からめる。②「しがらみ」を作りつける。(学研)
(注)やそ【八十】名詞:八十(はちじゅう)。数の多いこと。(学研)
(注)とも【伴】名詞:(一定の職能をもって朝廷に仕える)同一集団に属する人々。(学研)
■巻六 一〇四八■
◆立易 古京跡 成者 道之志婆草 長生尓異煎
(田辺福麻呂 巻六 一〇四八)
≪書き下し≫たち変り古き都となりぬれば道の芝草(しばくさ)長く生(お)ひにけり
(訳)打って変わって、今や古びた都となってしまったので、道の雑草、ああこの草も、丈高く生(お)い茂ってしまった。(同上)
(注)たちかわり〔‐かはり〕【立(ち)代(わ)り】[副]:代わる代わる。たびたび。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
■巻六 一〇四九歌■
◆名付西 奈良乃京之 荒行者 出立毎尓 嘆思益
(田辺福麻呂 巻六 一〇四九)
≪書き下し≫なつきにし奈良の都の荒れゆけば出(い)で立つごとに嘆きし増(ま)さる
(訳)すっかり馴染となった奈良の都が日ごとにあれすさんでゆくので、外に出で立って見るたびに、嘆きはつのるばかりだ。(同上)
(注)なつきにし:慣れ親しんだ。以下、荒都への率直な感慨で、全体の結び。(伊藤脚注)
(注)出で立つごとに:道に出で立ってそのさまを見るたびに。(伊藤脚注)
一〇四八歌では「つぎつぎと旧都となりつづけるので道ばたの芝草も高くのびたことだ」(同著)と荒廃の実感を「芝草」に焦点をあてている。
■■巻六 一〇五〇~一〇五二歌■■
題詞は、「讃久邇新京歌二首 幷短歌」<久邇(くに)の新京を讃(ほ)むる歌二首 幷(あは)せて短歌>である。
(注)歌二首:第一群は天平十四年(七四二)一月十六日、大安殿で群臣に宴を賜うた折、第二群は同年三月二十日、天皇が皇后宮に幸して五位以上を宴した折の詠らしい。(伊藤脚注)
◆明津神 吾皇之 天下 八嶋之中尓 國者霜 多雖有 里者霜 澤尓雖有 山並之 宜國跡 川次之 立合郷跡 山代乃 鹿脊山際尓 宮柱 太敷奉 高知為 布當乃宮者 河近見 湍音叙清 山近見 鳥賀鳴慟 秋去者 山裳動響尓 左男鹿者 妻呼令響 春去者 岡邊裳繁尓 巌者 花開乎呼理 痛A怜 布當乃原 甚貴 大宮處 諾己曽 吾大王者 君之随 所聞賜而 刺竹乃 大宮此跡 定異等霜
≪書き下し≫現(あき)つ神 我(わ)が大君(おほきみ)の 天(あめ)の下(した) 八島(やしま)の内(うち)に 国はしも さはにあれども 里はしも さはにあれども 山なみの よろしき国と 川なみの たち合ふ里と 山背(やましろ)の 鹿背山(かせやま)の際(ま)に 宮柱 太(ふと)敷(し)きまつり 高知(たかし)らす 布当(ふたぎ)の宮は 川近み 瀬の音(おと)ぞ清き 山近み 鳥が音(ね)響(とよ)む 秋されば 山もとどろに さを鹿(しか)は 妻呼び響(とよ)め 春されば 岡辺(をかへ)も繁(しじ)に 巌(いはほ)には 花咲きををり あなあはれ 布当(ふたぎ)の原 いと貴(たひと) 大宮(おほみや)ところ うべしこそ 我(わ)が大君は 君ながら 聞かしたまひて さす竹の 大宮ここと 定めけらしも
(訳)現人神であられるわれらの大君が治め給う天の下大八島の中に、国は国としてたくさんあるけれど、里は里としてたくさんあるけれど、中でもとくに、並び立つ山の姿のふさわしい国であるとて、川の流れの集まってくる立派な里とて、山背の鹿背の山のほとりに、宮柱をしっかとお立てして、高々とお治めになる布当の宮は、川が近いので瀬の音が清らかである。山が近いので鳥の声が響きわたる。秋ともなると山もとどろくばかりに雄鹿は妻を呼び求めて鳴き叫び、春ともなると岡辺いっぱいに岩という岩に花が咲き乱れて・・・、ああすばらしい、布当の原は。何とも尊い、この大宮の地は。なるほど、だからこそ、われらが大君は、いかにも大君らしく、臣下の言葉をよしとせられて、輝く大宮をこことお定めになったのであるらしい。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)現つ神:現実に姿を現している天皇。ここは聖武天皇。(伊藤脚注)
(注)やしま【八州・八洲・八島】名詞:日本。日本国。 ※数多くの島の意から。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)山なみのよろしき国:山の連なりの結構な国。(伊藤脚注)
(注)川なみのたち合う里:川の流れの集まる立派な里。(伊藤脚注)
(注)鹿背山:京都府木津川市木津町東北、木津川南岸の山。(伊藤脚注)
(注)布当の宮:久邇京の皇居。(伊藤脚注)
(注)春されば:秋に対して春の叙述を後に据えたのは、歌が春に詠まれたからか。(伊藤脚注)
(注)さきををる【咲き撓る】自動詞:(枝がたわむほど花が)たくさん咲く。咲きこぼれる。(学研)
(注)あな 感動詞:ああ。あれ。まあ。(学研)
(注)あわれ〔あはれ〕【哀れ】[名]しみじみ心に染みる感動、また、そのような感情を表す。:①(「憐れ」とも書く)強い心の動き。特に悲哀・哀憐の感情。不憫 (ふびん) と思う気持ち。「人々の—を誘った」「—をかける」「そぞろ—を催す」②かわいそうな状態。無惨な姿。「—をとどめる」③ 底知れないような趣。情趣。ものがなしさ。➃どうすることもできないような心の動き。感慨。⑤しみじみとした情愛・人情。慈愛の気持ち。(goo辞書)ここでは➃の意
(注)うべし【宜し】副詞:いかにももっとも。なるほど。 ※「し」は強意の副助詞。(学研)
(注)君ながら:いかにも大君らしく。人麻呂なら「神ながら云々」というところ。(伊藤脚注)
(注)聞かしたまひて:臣下の言葉をお聞き遊ばされて。久邇京の営まれた地は諸兄の別荘があった地。久邇遷都は諸兄の進言によるらしい。(伊藤脚注)
(注)さすたけの【刺す竹の】分類枕詞:「君」「大宮人」「皇子(みこ)」「舎人男(とねりをとこ)」など宮廷関係の語にかかる。「さすだけの」とも。竹の旺盛(おうせい)な生命力にかけて繁栄を祝ったものか。「さすたけの大宮人」(学研)
■巻六 一〇五一歌■
◆三日原 布當乃野邊 清見社 大宮處 <一云 此跡標刺>定異等霜
(田辺福麻呂 巻六 一〇五一)
≪書き下し≫三香(みか)の原布当(ふたぎ)の野辺(のへ)を清みこそ大宮(おほみや)ところ<一には「ここと標刺し」といふ>定めけらしも
(注)三香(みか)の原:京都府木津川市加茂町。木津川沿岸の盆地の称。(伊藤脚注)
■巻六 一〇五二歌■
◆山高来 川乃湍清石 百世左右 神之味将徃 大宮所
(田辺福麻呂 巻六 一〇五二)
≪書き下し≫山高く川の瀬清し百代(ももよ)まで神(かむ)しみゆかむ大宮ところ
(訳)山は高く、川の流れも清らかだ。百代ののちまでも神々しく栄えてゆくことであろう。この大宮所は。(同上)
(注)上二句に、長歌の「山」「川」の叙述を承けながら全体をまとめている。
(注)神しみゆかむ:神々しくなって行くだろう。「神しみ」は「神さび」に同じか。(伊藤脚注)
第二群については、拙稿「万葉集の世界に飛び込もう(その2541)」で紹介している。
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一〇五二歌では「山も高く川音も清らかだ。百代の後までもこうごうしくなっていくだろう。この大宮所は。」(同著)と新都賛美を「山河」に焦点をあてている。
■■巻六 一〇五九~一〇六一歌■■
題詞は、「春日悲傷三香原荒墟作歌一首 并短歌」<春の日に、三香(みか)の原の荒墟(くわうきよ)を悲傷(かな)しびて作る歌一首 并せて短歌>である。
(注)三香の原の荒墟:天平十六年二月難波遷都と共に、未完成のまま旧都となる。(伊藤脚注)
■巻六 一〇五九歌■
◆三香原 久邇乃京師者 山高 河之瀬清 在吉迹 人者雖云 在吉跡 吾者雖念 故去之 里尓四有者 國見跡 人毛不通 里見者 家裳荒有 波之異耶 如此在家留可 三諸著 鹿脊山際尓 開花之 色目列敷 百鳥之 音名束敷 在杲石 住吉里乃 荒樂苦惜哭
(田辺福麻呂 巻六 一〇五九)
≪書き下し≫三香の原 久邇(くに)の都は 山高み 川の瀬清み 住みよしと 人は言へども ありよしと 我(わ)れは思へど 古(ふ)りにし 里にしあれば 国見れど 人も通(かよ)はず 里見れば 家も荒れたり はしけやし かくありけるか みもろつく 鹿背山(かせやま)の際(ま)に 咲く花の 色めづらしく 百鳥(ももとり)の 声なつかしく ありが欲(ほ)し 住みよき里の 荒るらく惜(を)しも
(訳)三香の原の久邇の都は、山が高く川の瀬が清らかななので、住みよい所だと人は言うけれど、居やすい所だと私は思うけれど、もう今では古さびた里となってしまったので、国を見るけれど人の往来もなく、里を見ても家も荒れ果てている。ああ、この都はこんなにもはかない定めであったのか。神座(かみくら)の設けられた鹿背山のあたり一帯に咲く花の色はすばらしく、さまざまの鳥の鳴き声も心にしみて、いつまでも居たいと思うこの住みよい里が、日に日に人気(ひとけ)なくなっていくのは、何とも残念でたまらない。(同上)
(注)はしけやし かくありけるか:ああ、この都はかくもはかない定めであったのか。(伊藤脚注)
(注)みもろつく:御社を設けた。「みもろ」は祭壇。(伊藤脚注)
(注)ありが欲し:いつまでも住んでいたいと思う。(伊藤脚注)
■巻六 一〇六〇歌■
◆三香原 久邇乃京者 荒去家里 大宮人乃 遷去礼者
(田辺福麻呂 巻六 一〇六〇)
≪書き下し≫三香の原久邇の都は荒れにけり大宮人(おほみやびと)のうつろひぬれば
(訳)三香の原の久邇の都は人気なくなってしまった。大宮人が次々と移り去って行ってしまったので。(同上)
(注)うつろひぬれば:移り去ってしまったので。(伊藤脚注)
■巻六 一〇六一歌■
◆咲花乃 色者不易 百石城乃 大宮人叙 立易奚流
(田辺福麻呂 巻六 一〇六一)
≪書き下し≫咲く花の色は変らずももしきの大宮人ぞたち変りける
(訳)咲く花の色は以前とちっとも変わらない。しかし、ここを行き来していた大宮人はいなくなって都の様子はすっかり変わってしまった。(同上)
(注)大宮人ぞたち変りける:大宮人の心はすっかり変わってしまった。大宮人がいなくなってさびれたさまをいう。(伊藤脚注)
この歌群ならびに上述の一〇四七~一〇四九歌は、直近では、拙稿「万葉集の世界に飛び込もう(その2592の2)」で紹介している。
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一〇六一歌では「咲く花の色は同じだのに、大宮の人ばかり変っていく」(同著)と荒廃の実感を「花」に焦点をあてている。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「goo辞書」