万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう(その2626)―書籍掲載歌を中軸に(Ⅱ)―

●歌は、「やすみしし 我が大君の 夕されば 見したまふらし 明け来れば 問ひたまふらし 神岳の 山の黄葉を 今日もかも 問ひたまはまし 明日もかも 見したまはまし その山を 振り放け見つつ 夕されば あやに悲しみ 明け来れば うらさび暮らし 荒栲の 衣の袖は 干る時もなし(持統天皇 2-159)」である。

 

【檜隈大内陵】

 「(持統天皇 巻二‐一五九)(歌は省略) 岡寺駅から東へ橘寺への道をゆくと、中ほどで道の右側の檜前側に、こんもりよく茂ったまるい小山を望む。これが天武・持統両天皇の合葬陵、檜隈大内(ひのくまのおおち)陵である。・・・この陵が直接に万葉の歌にうたわれているわけではないが、両天皇の存在は、万葉の歌を理解する上でもっとも重要な方といってよい。・・・壬申の乱の時だけをとらえても野越え山越え苦労をともにしてきた一対の夫婦。天武の事業の背後に、深沈大器量の人と伝えられる皇后の力が大きかったといわれているのも、もっともである。この歌は、夫天武の崩御のおり、殯(あらき)宮(かりのとむらい)での妻持統の挽歌である。背の君たる天皇が朝夕にごらんになるだろう飛鳥の上岡のもみじを、もし御在世なら、今日も明日もおたずねになるだろうに、その山を、いまひとりでながめねばならぬ悲しさ、とりとめのなさ、ああ、衣の袖はかわくこともないという、幽明境を異にした中から、切々と、夫君への思慕の思いをうったえた歌である。」(「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)

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 一五九歌をみていこう。

■巻二 一五九歌■

題詞は、「天皇崩之時大后御作歌一首」<天皇の崩(かむあが)りましし時に、大后(おほきさき)の作らす歌一首>である。

(注)天皇天武天皇。朱鳥元年(686)九月九日崩。年五六か。(伊藤脚注)

(注)大后:後の持統天皇。(伊藤脚注)

 

◆八隅知之 我大王之 暮去者 召賜良之 明来者 問賜良志 神岳乃 山之黄葉乎 今日毛鴨 問給麻思 明日毛鴨 召賜萬旨 其山乎 振放見乍 暮去者 綾哀 明来者 裏佐備晩 荒妙乃 衣之袖者 乾時文無

       (持統天皇 巻二 一五九)

 

≪書き下し≫やすみしし 我(わ)が大君(おほきみ)の 夕(ゆふ)されば 見(め)したまふらし 明け来(く)れば 問(と)ひたまふらし 神岳(かみをか)の 山の黄葉(もみち)を 今日(けふ)もかも 問ひたまはまし 明日(あす)もかも 見(め)したまはまし その山を 振(ふ)り放(さ)け見つつ 夕されば あやに悲しみ 明け来れば うらさび暮らし 荒栲(あらたへ)の 衣(ころも)の袖は 干(ふ)る時もなし

 

(訳)八方を知らしめす我が大君の御魂は、夕方になるときっとご覧になっている、明け方になるときっとお尋ねになっている。この世の人であられたら、その神岳(かみおか)の山の黄葉を、今日もお尋ねになることであろうに。明日もご覧になることであろうに。その山をはるかに振り仰ぎ見ながら、夕方になるとむしょうに悲しく思い、明け方になると心寂しく時を過ごして、粗(あら)い喪服の袖(そで)は乾く時とてない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)夕されば:以下四句は、亡き天皇がいつも「見し」「問ふ」ものと見た表現。(伊藤脚注)

(注)神岳:橘寺の東南にあるミハ山か。(伊藤脚注)

(注)振り放け見つつ:空を振り仰いで魂呼ばいをする儀礼を反映した表現か。(伊藤脚注)

(注)くらす【暮らす】他動詞:①日が暮れるまで時を過ごす。昼間を過ごす。②(年月・季節などを)過ごす。月日をおくる。生活する。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)荒栲:藤や葛で織った粗い着物。ここでは喪服。(伊藤脚注)

(注の注)あらたへ【荒妙・荒栲・粗栲】名詞:織り目の粗い粗末な織物。[反対語] 和栲(にきたへ)。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その117改)」で持統天皇の歌6首とともに紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

奈良県橿原市醍醐町 醍醐池東畔(藤原京跡北)万葉歌碑(持統天皇 1-28) 20190604撮影



 

 

 

前稿に書いたが、本稿の「檜隈大内陵」執筆にあたり、昨日、陵に赴き、その写真を掲載するつもりであった。また、犬養万葉記念館で新しく発行されたパンフレット「明日香村の万葉歌碑を歩く」を戴き、行っていない3か所の歌碑巡りもしようと意気込んでいたのであった。しかし、気温の上昇と写真の参道の長さを見ているうちに、秋にしようという弱気な気持ちに制圧されてしまったので、本日も引用写真である。


 

 

 あらためてじっくり地図を見ていて、万葉歌碑を撮りたい、ブログに掲載したいとの思いに駆られ、数に捕らわれ、歌碑の周辺を見ていない2019年の自分の姿が浮かび上がって来た。当然、「檜隈大内陵」には焦点をあててはいなかった。

マップにある「万葉歌碑(1~32)」のマークをつぶすことを考えていたのである。ちなみに、その時は、6月30日に、犬養万葉記念館に飛び込み、マップをいただき、その日のうちに14基の歌碑巡りを行っている。ついで7月5日は7基、8日に17日は6基と・・・。

このエネルギーがあったから今日があり、また同著を軸に客観的に、万葉歌碑とは、万葉集とは、と、見直す機会も得ることができたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「犬養孝揮毫万葉歌碑マップ(明日香村)」 (犬養万葉記念館)