万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう(その2686)―書籍掲載歌を中軸に(Ⅱ)―

●歌は、「春日野に煙立つ見ゆ娘子らし春野うはぎ摘みて煮らしも(作者未詳 10-1879)」である。

 

【春日野】

 「作者未詳(巻十‐一八七九)(歌は省略) 春日野は春日山地西麓一帯の野で、若草山や御蓋(みかさ)山の裾にかけてこんにち奈良公園となっているところである。次第に高台地になっているので、歌の題詞(巻三‐三七二)に『登春日野』ともある。古くは春日の範囲はいまより広く、高円山麓の方にもおよんでいたらしい。平城京の東郊にあたっていたから、大宮人らの絶好の遊楽逍遥の地となっていたようで、雲・霞・時雨・露・雨の天候や、梅・桜・浅茅・藤・尾花・萩の植物など四季おりおりの風趣につけて、抒情のたねとなって、万葉中に、春日野(二〇)春日の野(三)春日の小野(一)を数える。春日大社は、・・・遷都とともに、すでに春日社の前身ともいうべき社があったらしい。神鹿は春日大社が権威をもつようになってからで、春日野の鹿は万葉中にはただ一首、それも実景ではない恋の譬喩歌にでてくるだけである。

 乙女たちが春の野に若菜をつんで煮るのは若さをたもつための習俗である。春日野のよめなをつむ乙女たちはすでに都会の行楽と化しているようである。野にあがる煙は、それだけのどかな春の喜びだ。」(「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)

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 巻十 一八七九歌をみていこう。

■巻十 一八七九歌■

題詞は「詠煙」<煙(けぶり)を詠む>である。

 

◆春日野尓 煙立所見 ▼嬬等四 春野之菟芽子 採而▽良思文

        (作者未詳 巻十 一八七九)

     ※▼は、「女」+「感」、「『女』+『感』+嬬」=「をとめ」

    ※※▽は、「者」の下に「火」で、「煮る」である。

 

≪書き下し≫春日野(かすがの)に煙立つ見(み)ゆ娘子(をとめ)らし春野(はるの)うはぎ摘(つ)みて煮(に)らしも

 

(訳)春日野に今しも煙が立ち上っている、おとめたちが春の野のよめなを摘んで煮ているらしい。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)うはぎ:よめな。キク科の多年草。その若菜を食用にする。(伊藤脚注)

 

(注)らし [助動]活用語の終止形、ラ変型活用語の連体形に付く。:①客観的な根拠・理由に基づいて、ある事態を推量する意を表す。…らしい。…に違いない。② 根拠や理由は示されていないが、確信をもってある事態の原因・理由を推量する意を表す。…に違いない。[補説] 語源については「あ(有)るらし」「あ(有)らし」の音変化説などがある。奈良時代には盛んに用いられ、平安時代には①の用法が和歌にみられるが、それ以後はしだいに衰えて、鎌倉時代には用いられなくなった。連体形・已然形は係り結びの用法のみで、また奈良時代には「こそ」の結びとして「らしき」が用いられた。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 この歌については、拙稿「万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2378)―」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(プレート)(作者未詳 10-1879)  20230926撮影

 

 

 

 巻三 三七二歌もみてみよう。

■巻三 三七二歌■

 題詞は、「山部宿祢赤人登春日野作歌一首 幷短歌」<山部宿禰赤人、春日野(かすがの)に登りて作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)春日野:春日大社を中心とする一帯。(伊藤脚注)

 

◆春日乎 春日山乃 高座之 御笠乃山尓 朝不離 雲居多奈引 容鳥能 間無數鳴 雲居奈須 心射左欲比 其鳥乃 片戀耳二 晝者毛 日之盡 夜者毛 夜之盡 立而居而 念曽吾為流 不相兒故荷

       (山部赤人 巻三 三七二)

 

≪書き下し≫春日(はるひ)を 春日(かすが)の山の 高座(たかくら)の 御笠(みかさ)の山に 朝さらず 雲居(くもゐ)たなびき 貌鳥(かほどり)の 間(ま)なくしば鳴く 雲居なす 心いさよひ その鳥の 片恋(かたこひ)のみに 昼(ひる)はも 日のことごと 夜(よる)はも 夜(よ)のことごと 立ちて居(ゐ)て 思ひぞ我(あ)がする 逢はぬ子故(ゆゑ)に

 

(訳)春日の山の御笠の山に朝ごとに雲がたなびき、貌鳥(かおどり)が絶え間なく鳴きしきっている。そのたなびく雲のように私の心はとどこって晴れやらず、その鳴きしきる鳥のように片思いばかりしながら、昼は昼で一日中、夜は夜で一晩中、そわそわと立ったり座ったりして、深い思いに私は沈んでいる。逢おうともしないあの子ゆえに。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)はるひを【春日を】分類枕詞:春の日がかすむ意から、同音の地名「春日(かすが)」にかかる。「はるひを春日の山」⇒はるひ(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)たかくらの【高座の】[枕]:高座の上に御蓋(みかさ)がつるされるところから、「みかさ」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)あささらず【朝去らず】[連語]:朝ごとに。毎朝。⇔夕去らず。(goo辞書)

(注)かほとり【貌鳥・容鳥】:鳥の名。 未詳。 顔の美しい鳥とも、「かっこう」とも諸説ある。 「かほどり」とも。(学研)

(注)いさよふ【猶予ふ】自動詞:ためらう。たゆたう。 ※鎌倉時代ごろから「いざよふ」。(学研)

(注)ことごと【事事】名詞:一つ一つのこと。諸事。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1753)」で、反歌とともに紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)に書かれている「春日野の鹿は万葉中にはただ一首、それも実景ではない恋の譬喩歌」は、巻三 四〇五歌である。これもみてみよう。

■巻三 四〇五歌■

題詞は、「佐伯宿祢赤麻呂更贈歌一首」<佐伯宿禰赤麻呂がさらに贈る歌一首>である。

 

◆春日野尓 粟種有世伐 待鹿尓 継而行益乎 社師怨焉

         (佐伯赤麻呂 巻三 四〇五)

 

≪書き下し≫春日野(かすがの)に粟(あは)蒔(ま)けりせば鹿(しし)待ちに継(つ)ぎて行かましを社(やしろ)し恨(うら)めし

 

(訳)あなたが春日野に粟を蒔いたなら、鹿を狙いに毎日行きたいと思いますが、そこに恐ろしい神の社があることが恨めしく思われます。(同上)

(注)「粟蒔く」と「逢はまく」をかけている。逢う気があるならの意をこめる。(伊藤脚注)

(注)鹿待ちに:娘子との逢引の譬え。(伊藤脚注)

(注)社:娘子の愛人の譬え。(伊藤脚注)

 

 この歌については、宴席で楽しまれた虚構の歌(伊藤脚注)と考えられている四〇四~四〇六歌三首とともに、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その360)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

奈良公園の鹿 20230226撮影



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「goo辞書」