●歌は、「秋されば春日の山の黄葉見る奈良の都の荒るらく惜しも(大原真人今城 8-1604)」である。
【春日山】
「大原真人今城(おおはらのまひといまき)(巻八‐一六〇四)(歌は省略)奈良の市街地の東方に老杉の蒼黒く茂った山が春日山である。三条通りを東へすすむと手前の御蓋(みかさ)山と重なってそのうしろに空をくぎっている山で、最高峯は花(はな)山(四九八メートル)といわれ、南は地獄谷、石切峠をへだてて高円(たかまど)山につづいている。平城京の東郊の山だけに、大宮人の朝夕に親しんだ山で、わけて貴族生活の爛熟にむかうにつれて、風雅の対象ともなっていた。春の霞・雲・鶯の声、秋の時雨・もみじの色・雁・月など季節や天候の変化に応じて、恋につけ、景観につけ、抒情のたねとなっており、万葉中『春日の山』は一〇、『春日山』は九を数え、しかもほとんど平城遷都後の歌である。かつて日々の生活の中に親しんだ飛鳥藤原の山河の時代とは異なって、次第に美的生活の対象として、時には歌枕的な趣さえ見せてくるようになるのは、時代のおもむくところといわねばならない。『秋になるといつも春日の山のもみじを見る』という上三句の言葉の中にも、たくましい対象の中にはいってゆくよりも、味わいながめる余裕を見せている。この歌は恭仁(くに)京遷都後の荒廃をいたんだもので、天平一五年(七四三)秋ごろのものと推定される。
なお、もみじはこんにち紅葉と書くが、万葉中の用字では一字一音式のもののほかは、紅葉(一)赤葉(二)で赤系統は計四例のみ、他は黄葉(七六)黄変(六)黄(三)黄色(二)黄反(一)で黄系統に計八八例を数えるのは注目される。これは木々の葉の黄に紅に変ずるのにすべて関心をもった証である。また、当時『もみち』と清音にようだとみられる。」(「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)
万葉の旅(上)改訂新版 大和 (平凡社ライブラリー) [ 犬養孝 ] 価格:1320円 |
■一六〇四歌■
題詞は、「大原真人今城傷惜寧樂故郷歌一首」<大原真人今城(おほはらのまひといまき)、寧楽(なら)の故郷を傷惜(いた)む歌一首>である。
(注)大原真人今城:もと今城王。家持の歌友。(伊藤脚注)
(注)寧楽の故郷:天平十二年(740年)、久邇京に遷都。奈良は古京となる。(伊藤脚注)
◆秋去者 春日山之 黄葉見流 寧樂乃京師乃 荒良久惜毛
(大原真人今城 巻八 一六〇四)
≪書き下し≫秋されば春日(かすが)の山の黄葉(もみち)見る奈良の都の荒るらく惜しも
(訳)秋ともなると春日の山のもみじが見られる奈良の都、その奈良の都が荒れてゆくのは何ともせつなくてしかたがない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)黄葉(もみち)見る:黄葉を見ては遊んだ。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2521)」で、大原真人今城の歌を通して、家持との関係とともに紹介している。
➡
ちなみに、「春日野」、「春日の野」について詠った歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1821)」で紹介している。
➡
また「御笠山」、「三笠山」については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その151)」で紹介している。
➡
上記「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)」にあった、「紅葉(一)」は、巻十 二二〇一歌である。
巻十 二二〇一歌をみてみよう。
■巻十 二二〇一歌■
◆妹許跡 馬▼置而 射駒山 撃越来者 紅葉散筒
(作者未詳 巻十 二二〇一)
▼は「木へんに安」である。
≪書き下し≫妹がりと馬に鞍置きて生駒山うち越え来れば黄葉(もみぢ)散りつつ
(訳)いとしい子のもとへと、馬に鞍を置いて、生駒山を鞭打ち越えてくると、もみじがしきりと散っている。(同上)
(注)いもがり【妹許】:愛する妻や女性のいる所。「がり」は居所および居る方向を表す接尾語。(学研)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その85改)」で生駒市体育協会総合S.C.(旧名称 生駒市総合公園)万葉歌碑とともに紹介している。
➡
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」