万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう(その2704)―書籍掲載歌を中軸に(Ⅱ)―

●歌は、「難波潟潮干のなごりよく見てむ家なる妹が待ち問はむため(神社忌寸老麻呂 6-977)」である。

 

 本稿から「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)の掲載歌になります。

 近畿(大阪府和歌山県三重県京都府滋賀県)、東海(愛知県・静岡県)、東国(神奈川県・東京都・埼玉県・千葉県・茨城県岐阜県・長野県・山梨県群馬県・栃木県・福島県宮城県)の順での紹介となります。

 

 近畿のトップバッター「草香の直越」からみていこう。

【草香の直越】

 「神社老麻呂(かみこそのおゆまろ)(巻六‐九七七)(歌は省略) 奈良から難波(なにわ)(大阪)へは、こんにちでは生駒山の隧道を数分でぬけてしまうが、万葉のむかしには、生駒の山越えをするか、南方の竜田越え(たつたごえ)をするかしなければならなかった、生駒越えは、奈良からまっすぐ越える直越(ただごえ)の近道ではあっても、けわしい山路のところへ山の西側の河内平野は、往古は“草香江(くさかえ)”などの大きな入江であり、万葉のころも沼沢の多い湿潤の地であったから、いっぱんには迂回路の竜田越の道がとられていた。・・・この歌は、題詞に天平五年(七三三)草香(くさか)山を越える時の歌とある。草香山は生駒山の西側一帯(枚岡(ひらおか)市)の山で、神武天皇の伝説をはじめ、雄略記にも『日下之直越道(くさかのただこえのみち)』とある。山越えの道は、生駒山頂の南に暗(くらがり)峠、北に辻子(ずし)越、善根寺(ぜんこんじ)越・・・どの道ともこんにち定められない。作者は、当時から意味の不明になっていた枕詞の『おしてる』(は感動の助詞)の語を、直越の道から遠く難波の海のいちめんに光り輝くのを望見して“なるほど押し照るはよくいったものだ”と理解し好風を讃嘆したものである。」(「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー))

 

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 巻六 九七六・九七七歌をみていこう。

■■巻六 九七六歌・九七七歌■■

題詞は、「五年癸酉超草香山時神社忌寸老麻呂作歌二首」<五年癸酉(みづのととり)に、草香山(くさかやま)を越ゆる時に、神社忌寸老麻呂(かむこそのいみきおゆまろ)が作る歌二首>である。

(注)草香山:生駒山の西の一部、東大阪市日下町付近の山地。(伊藤脚注)

 

■巻六 九七六歌■

◆難波方 潮干乃奈凝 委曲見 在家妹之 待将問多米

       (神社忌寸老麻呂 巻六 九七六)

 

≪書き下し≫難波潟(なにはがた)潮干(しほひ)のなごりよく見てむ家なる妹(いも)が待ち問はむため

 

(訳)難波潟の潮干のなごりのさまをよく見ておこう。家にいるいとしい子が待ち受けていてあれやこれやたずねるであろうから。(同上)

(注)なごり:潮の引いた後の砂地の水たまり。(伊藤脚注)

 

 

 

■巻六 九七七歌■

◆直超乃 此徑尓弖師 押照哉 難波乃海跡 名附家良思蒙

       (神社忌寸老麻呂 巻六 九七七)

 

≪書き下し≫直越(ただこえ)のこの道にしておしてるや難波の海と名付(なづ)けけらしも

 

(訳)直越のこの道においてこそ、昔の人は、“おしてるや難波の海”と名付けたのであるらしい。(同上)

(注)直越:難波と大和を直線的に結ぶ道。竜田山を越える本道に対していう。(伊藤脚注)

(注の注)ただこえ【直越】:〘 名詞 〙 まっすぐに越えて行くこと。特に、大和の平群郡から生駒山の南を越えて難波に至る道にいう。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)おしてる:ここは、日の一面押し照るの意。(伊藤脚注)

(注の注)おしてるや 【押し照るや】分類枕詞:地名「難波(なには)」にかかる。かかる理由未詳。「おしてるや難波の海と」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 巻六 九七六・九七七歌については、拙稿ブログ「万葉集の世界に飛び込もう(その2376)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 枕詞「おしてるや」について上述のように「『難波(なには)」にかかる。かかる理由未詳。(学研)』とあるが、朴炳植氏は、「万葉集の発見」(学研)で、次の様に書かれている。

 

 「まずこの歌語の分析をすると、『オシ』『テル』の二つに分けることが出来る。『テル=照る』の語源は何だろうか。それは『(日がサス)の変形で「サ行→タ行変化」をしたもので、韓国語の『(ビ)チャリ』(註:現代語では、これは未来形<日さすだろう>と解されている)の『チャ』なのである。『ビ』は勿論『ヒ(日)』の濁音化したもの。すると、『サス=チャリ=テル』は異形同意の言葉であることが明らかになる。さて、次は『オシ』だが、これは『大いに』という意味で『オオイニ=オオヒニ』だから、『オヒ→オシ(ハ行→サ行変化)』と変わったことを知りうる。つまり『オシテル』は『大いに日の照る』ということなのである。これが『難波』にかかるのは、『宮・都』に『尊い日のさす』・『輝かしい日の照りさす』がかかるのと同じ理由、つまり、難波が都だから『大いに日の照りそそぐ』というふうになるのである。』

 

 

 

山越えの道の地名、草香(日下)、暗峠、北に辻子越、善根寺は下記の地図を参照してください。

グーグルマップより引用・加筆させていただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー

★「万葉集の発見」 朴炳植 著 (学研)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「グーグルマップ」