●歌は、「吾が行は七日は過ぎじ龍田彦ゆめこの花を風にな散らし (高橋虫麻呂 9-1748)」である。
【龍田彦】
「高橋虫麻呂歌集(巻九‐一七四八)(歌は省略)JRの王子駅の西南三キロ、生駒郡三郷(さんごう)町立野に竜田本宮がある。・・・延喜式にのせた竜田の風の神の祭りの祝詞(のりと)には、神の名を天の御柱(みはしら)の命、国の御柱の命といい、竜田の小野に祭るとある。もともとは風の神の竜田比古(たつたひこ)・竜田比米(たつたひめ)であって、国家形態のととのうにつれて、いかめしい名にかわったものであろう。・・・この歌は、万葉第三期の人、高橋虫麻呂が竜田山の小鞍の峯(おぐらのみね)の桜を見てよんだ歌の反歌で、『私の旅行は七日とはかかるまい。竜田の風の神よ、決してこの花を風に散らさないでください』の意である。同じ作者の竜田の桜をうたった歌(巻九‐一七五一)に『名に負(お)へる社(もり)に風祭(かざまつり)せな』ともあって、農事とは関係のない、平城都人の耽美の心を見せている。・・・いま三郷町高山の大和川の岸に・・・『磐瀬(いはせ)の杜(もり)』の碑を立てているが、これは諸説のあるところだ。」(「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)
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巻九 一七四七・一七四八歌をみていこう。
■■巻九 一七四七・一七四八歌■■
題詞は、「春三月諸卿大夫等下難波時歌二首幷短歌」<春の三月に、諸卿大夫等(まへつきみたち)が難波(なには)に下(くだ)る時の歌二首幷せて短歌>である。
(注)春の三月:この歌の作者と思われる高橋虫麻呂の庇護者、藤原宇合が知造難波宮事として功をなした天平四年(七三二)三月頃か。(伊藤脚注)
■巻九 一七四七歌■
◆白雲之 龍田山之 瀧上之 小▼嶺尓 開乎為流 櫻花者 山高 風之不息者 春雨之 継而零者 最末枝者 落過去祁利 下枝尓 遺有花者 須臾者 落莫乱 草枕 客去君之 及還来
※▼「木+安」=くら
(高橋虫麻呂 巻九 一七四七)
≪書き下し≫白雲の 竜田の山の 滝の上(うへ)の 小「木+安」(おぐら)の嶺(みね)に 咲きををる 桜の花は 山高み 風しやまねば 春雨(はるさめ)の 継(つ)ぎてし降れば ほつ枝(え)は 散り過ぎにけり 下枝(しづえ)に 残れる花は しましくは 散りなまがひそ 草枕 旅行く君が 帰り来るまで
(訳)白雲の立つという名の竜田の山を越える道沿いの、その滝の真上にある小※(をぐら)の嶺、この嶺に、枝もたわわに咲く桜の花は、山が高くて吹き下ろす風がやまない上に、春雨がこやみなく降り続くので、梢の花はもう散り失(う)せてしまった。下枝に咲き残っている花よ、もうしばらくは散りみだれないでおくれ。難波においでの我が君がまたここに帰って来るまでは。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)しらくもの 【白雲の】枕詞:白雲が立ったり、山にかかったり、消えたりするようすから「立つ」「絶ゆ」「かかる」にかかる。また、「立つ」と同音を含む地名「竜田」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)滝:大和川亀の瀬付近の急流か。(伊藤脚注)
(注)ををる 【撓る】自動詞:(たくさんの花や葉で)枝がしなう。たわみ曲がる。 ※上代語。(学研)
(注)ほつえ 【上つ枝・秀つ枝】名詞:上の方の枝。 ※「ほ」は突き出る意、「つ」は「の」の意の上代の格助詞。上代語。[反対語] 中つ枝(え)・下枝(しづえ)。(学研)
(注)君:作者が従っている諸卿大夫の中心人物藤原宇合をさす。(伊藤脚注)
■巻九 一七四八歌■
◆吾去者 七日者不過 龍田彦 勤此花乎 風尓莫落
(高橋虫麻呂 巻九 一七四八)
≪書き下し≫我(わ)が行きは七日(なぬか)は過ぎし竜田彦(たつたひこ)ゆめこの花を風にな散らし
(訳)われらの旅は、いくらかかっても七日を過ぎることはあるまい。竜田彦様、どうか、けっしてこの花を風に散らさないでくださいまし。(同上)
(注)我が行きは:われらの旅は。長歌と違い、自分を中心に歌っている。(伊藤脚注)
(注)七日:日数の多いことをいう。(伊藤脚注)
(注)たつたひこ【龍田彦・龍田比古】:風をつかさどる神。延喜式神名帳にある龍田比古龍田比女神社の祭神。一説に、奈良県生駒郡斑鳩(いかるが)町にある旧県社龍田神社の祭神と同一神とも、また、同三郷町の旧官幣大社龍田大社の祭神を勧請(かんじょう)したものともいう。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
一七四七・一七四八歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その188改)」で奈良県生駒郡三郷町 JR三郷駅近く万葉歌碑とともに紹介している。
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「巻九‐一七五一歌」については、前稿で紹介している。
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「磐瀬の杜」については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その189改)」で紹介している。
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「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)の最終万葉故地名は「小鞍の嶺」である。歌は、上記で紹介しているので、ここでは下記の抜粋分にとどめる。
【小鞍の嶺】
「高橋虫麻呂歌集(巻九‐一七四七)(歌は省略) 大和川の亀の瀬の上方から峠の村にかけては昭和六年に地滑りで大崩壊のあったところ、いまも峠の神社の下方に旧関西線のトンネルが押しつぶされたまま残っている。峠付近は桃林が多いが、それから上は全部ぶどう畑で、登りつめた最初の峯(竜田山南嶺)にはこんにち桜をたくさん植えている。雁多尾畑(かりんどばた)の東方で、土地では留所(とめしょ)の山と称している。この山が「滝(たぎ)の上(うへ)の小鞍(をぐら)の嶺(みね)」ではなかろうか、万葉の竜田山には桜が多いが、こんにちはすべてぶどうばかりで、この付近では桜はこの留所の山だけである。・・・散り流れてくる桜の風の中で、大和の旅を願望し、これからの遠い旅路を思うとき「ゆめこの花を風に散らし」の願いも、昔のことではないような気がしてくる。」(「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)
次稿から「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)である。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」