●松山千春の「恋」の歌詞ではないが、「それでも恋は恋」。昨日のブログには万葉の小径の話を書いた。今回は、万葉集における「恋は孤悲」である。
定番ですが、今日のサンドイッチから書き記そう。クルミパンを横に3分割し、サニーレタスと焼豚を挟み込んだ。小鹿田焼の丸皿にのせる。3段にして、半分に切って、切り口を写真に撮ろうとすると、崩れるのがおちである。
デザートは、リンゴの横切りの半分を8分割し花弁のように並べた。りんごとりんごの間にキウイを並べ周りのバナナのスライスの半分を使った。干しブドウを中心近くにならべアクセントとした。中心は2色のぶどうの4分割を交互に合わせたものを配した。
●万葉集相聞歌「恋は孤悲」
万葉集における相聞歌とは、恋の歌であり、恋人同士の間でやり取りとして謳われた歌が多い。親子、兄弟姉妹、親族、友人らの間で贈答歌として読まれたものも含まれる。
万葉集の表記で「恋」をあらわすのに「孤悲」と用字したものが30例ほどある。(伊藤 博著 「萬葉集相聞の世界」参照)
「恋ふ」という動作とは、好きな人と独り離れて悲しみもがき苦しむ心情を表しており、「孤悲」と表記したのはいい得て妙である。
相互に送りあった歌と「孤悲」の表記の例を挙げてみる。
★巻九 一七七八 の歌を見てみる。
「藤井連遷任上京時娘子贈歌一首
従明日者(あすよりは) 吾波孤悲牟奈(あれはこひむな) 名欲山(なほりやま) 石踏平之(いはふみならし) 君我越去者(きみがこえいなば)」
訓読:明日よりは我は孤悲むな名欲山石踏みならし君が越え去なば
★同 一七七九
「藤井連和歌一首
命乎志(いのちをし) 麻勢久可願(まさきくもがも) 名欲山(なほりやま) 石踐平之(いはふみならし) 復亦毛来武(またまたもこむ)」
訓読:命をし真幸(まさき)くもがも名欲山石踏みならしまたまたも来む
1778首が、藤井連の異動により都(奈良)に赴任(帰任)した時に娘子(をとめ)が送った歌に対し、1779首で 藤井連がそれに答えた歌である。
意訳1778:「明日からは、私はあなたのことを恋しく思うでしょう。名欲山の岩を踏みしめて(都の任地へ)越えて行ってしまったら」
意訳1779:「命を大切に無事でいてほしい。名欲山の岩を踏みしめて再び帰ってくるでしょう」
名欲山は、大分県にある山で今の「木原山」をさすらしい。この時代に奈良に帰任し、また戻ってくると言うが・・・(小鹿田焼も大分県である)
去って行ってしまい、今はもういない相手を思い独り離れて悲しくこがれる心情はまさに「孤悲」の二文字が物語っている。
(注)伊藤 博著 「萬葉集相聞の世界」(塙書房)を参考にした
原文の表記は 鶴 久・森山 隆 編 「萬葉集」(桜楓社)を参考にした