万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

ザ・モーニングセット181229(有間皇子の歌そして乾谷瓦窯跡)

●万葉の小径の歌碑の一つに「しい(椎)」に関わる有間皇子の歌がある。

 今日は、この歌と乾谷瓦窯跡について記す。

 恒例により、まず今日のサンドイッチから。クルミとアーモンド入りのパンにサニーレタスと焼豚を挟み備前の丸皿に盛り付けた。 

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12月29日のモーニングセット

 デザートは、中央1列にみかんとキウイの半切りをスライスしたものを交互に並べ両端にぶどうとバナナのスライスを飾り付けた。あとは2色のぶどうと干しブドウを使った。

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12月29日のデザート

 

●「家にあれば 笥(け)に盛る飯(いい)を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」

 意訳:家にいると器に盛る飯を、今は(捕らわれの)旅の途中であるから、それもできず、ただ、椎の葉に盛ることよ。

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椎と有間皇子の歌の説明案内碑

 

 有間皇子が捕らわれの身となり、自分の死を覚悟しながら、無念の気持ちを抑えて詠んだ19歳の歌。19という歳で、死を覚悟しながらこのように冷静な気持ちでこの様な歌が詠めるのだろうか。この歌に初めて接したとき、衝撃を受け真っ先にこのことが頭の浮かんだのである。

 

●「うつそみの人にある我や明日よりは

   二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)と我が見む」

 萬葉集で他にも強烈な印象が残っている歌は、大伯皇女が、反逆者として処刑された弟の大津皇子が眠る二上山に思いを馳せ詠んだ歌である。

  意訳:現世の人である私は明日からは二上山を弟と思って偲んでみていきます

 会いたくても会えない、ニ上山をあなた(弟)と思って暮らしていくとの思いは、「孤悲(こひ)」に近い心情であろう。(孤悲については昨日のブログを参照してください)

 

●乾谷瓦窯跡

 有間皇子の歌碑を見て万葉の小径を下っていく。押熊瓦窯跡の建屋を左手に見ながらさらに乾谷西交差点まで下っていく。

 奈良山瓦窯跡群に関していろいろと調べてみた。関西文化学術研究都市木津地区所在遺跡 平成19年度発掘調査報告(京都府埋蔵文化っ剤調査研究センター発行 京都府遺跡調査報告集 第131冊)に「乾谷瓦窯跡」の地図が載っていた。

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29:押熊瓦窯跡 30:乾谷瓦窯跡

 ちょうど「30」と書かれている辺りが、乾谷西交差点である。交差点に南西角あたりである。丘陵の傾斜に竹藪と田んぼが広がっている。写真は山田川をはさんで撮影している。手前のススキの穂が見えるのが山田川の土手である。

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乾谷瓦窯跡があると思しき丘陵

 写真上部のこんもりとした丘陵の斜面にあったのではと思う。

 写真の中央あたりの白く見える小屋の奥まで歩いて行った。なんとなく瓦窯跡と思しきような感じがしたが定かではない。

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窯跡と思しき風情が

 

 国道163号線と交差している府道52号線をけいはんなプラザ方面に上り、さらに行くと精華大通りと交差する。この交差点東南サイドに、国立国会図書館関西館がある。

 この辺り一帯は広くけいはんな学研都市と呼ばれているが、機会をみて紹介していきたい。