万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

ザ・モーニングセット190109(万葉の小径シリーズーその4かえるで)

●今朝のサンドイッチは、デザートを含め立体的に飾ろうと考え、デザートのグラスを

置くために、いつものデザート皿を伏せた形で飾り鉢に。高台部にグラスを置き、皿の周りにサンドイッチを配した。

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1月9日のモーニングセット

 デザートはグラスの内側にみかんの輪切りをひとつづつばらして貼り付けた。その上に2色のぶどうを薄切りにして飾り、ヨーグルトにリンゴのスライスを盛り付け、ブドウで周囲を固めた。

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1月9日のデザート

 

●今日は、万葉の小径シリーズは、その4 かえるで、である。

 

子持山(こもちやま) 若鶏冠木(わかかへるて)の 黄葉(もみつ)まで 寝もと我は思(も)ふ 汝(な)は何(あ)どか思(も)う

(作者未詳 巻十四―三四九四)

 

「兒毛知夜麻 和可加敝流弖能 毛美都麻弖 宿毛等和波毛布 汝波安杼可毛布

 

子持山の楓(かえで)が萌え木色(きいろ)に色美しい。この若緑の葉が紅や黄色に変わるまで、長い間ずっと、私はお前と共寝していようと思う。どうかお前の本心を聞かせてほしい。

 

鶏冠木(かへるて)は、その葉がまるで掌の指のように五~八の切れ込みによって分かれている。古く蛙の手のようだというので文字で示すと蝦手とか加敝流弖とか書かれ、かえるてと呼ばれていた。今日では、それはヤマモミジであるとか、タカオモミジ、オオモミジなどとの説があるが、もっと広く解釈してかえでの総称であるととるのが良い。その木の美しさは、春の浅緑と秋の紅葉に極まっている。

巻十四はすべて東歌(あずまうた)であって、異論はあるものの多くの民謡を含んでいる。東国の土と結びついた歌に於いては、見るもの聞くものにつけて愛や恋の率直な表現を生み、菅の根を見ては「寝(ね)」を思い、高山を見ては高嶺から「寝(ね)」を思うというように、何はさておいても「寝(ね)」を連想して共寝への憧れが歌われている。都の貴族ではとても表現できないことを、いとも簡単に言ってのける。

緑の葉が赤や黄に変わるまで共寝をしようなどとは、大げさな、ありえない表現であって、軽い笑いをさえ誘う表現である。それが、内容は直接的ではあるが、健康的な響きを宿しているのである。

 

田子の浦ゆうち出て見れば真白にそ不尽の高嶺に雪は降りける」

山辺赤人 巻三-三一八)    

 このように都人である赤人の富士山に対する感動、感嘆を見る。小生も、新幹線で出張するときも指定席は、富士山を見るがために「E」席をねらう。新幹線でもいい加減疲れが出るころである。まして万葉の時代の都人の移動はいかばかりなものか。

 一方、東国人にとって富士山はどのようなものであったか。

 

「天の原富士の柴山木の暗(このくれ)の時移りなば逢はずかもあらむ(巻十四-三三五五)

「富士の嶺のいや遠長き山路をも妹がりとへばけによばず来ぬ(巻十四-三三五六)

 

東国人にとって富士山は、生活圏にあり、生活のために柴を集める場であり、恋人のところへ逢うためにも「いや遠長き山路」でしかなかったのである。

 

 およそ都人とかけ離れた東国の素朴な直接的な歌が、巻十四に東歌として万葉集は成り立っている。文化的ギャップを超越した万葉集のすごさが伝わってくる。 

 

(参考文献)

★万葉の小径 かへるでの歌碑

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集東歌論」 加藤静雄 著 (桜楓社)

 

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万葉の小径の頂からカラト古墳側の径の景色

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万葉の小径の頂から押熊瓦窯跡方面の径の景色