万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

ザ・モーニングセット190112(万葉の小径シリーズーその7 ははそ)

●今朝はバターロールパンを横切りし、にんにくの芽と牛肉を炒めたものをレタスで挟んで中味にした。サラダボールに配し、トレビスをアクセントに使った

 デザートは中心にみかんを輪切りにしたものを置いて、リンゴのスライスを花弁のように並べた。外周に2色のぶどうを使った。大輪の花のイメージである。

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1月12日のデザート

 

●葉の小径シリーズ-その7 ははそ コナラ

 

山科(やましな)の石田の小野の柞原(ははそはら)見つつか君が山道越ゆらむ

             (藤原宇合<ふじわらのうまかい> 巻九 一七三〇)

 

 「山品之 石田乃小野之 母蘇原 見乍哉公之 山道越良武」

 

山科の石田の小野にあると聞いている柞原を見つつ、あなたは今頃山科の山路を越えていらっしゃるのでしょう。

 

 「柞(ははそ)は、コナラを指すともいい、またクヌギをも含む総称ともいう。コナラもクヌギも落葉高木であるから、その葉の新緑の時か、あるいは黄葉(もみじば)の時に盆地状の山梨を通過したのであろう。松や杉や檜の林をそれぞれ松原、杉原、檜原と呼ぶように、柞原はコナラやクヌギの美しい林を指す。

 作者藤原宇合は、藤原不比等の子で藤原式家を代表する人物である。ところが、歌の内容は明らかに旅に出た主人の帰りを待つ女の心を表している。この矛盾は、旅先の宴の歌にしばしば見られる一人二役と見ることにより解決する。宇合は石田の小野で旅先の自分と都の妻との両方の立場で歌っているのである。宇合は目の前に柞原を眺めつつ、都の妻の立場で主人のいる所を思いやって歌った。さらに、この歌に続いて宇合は、

  山科の 石田の杜に 幣置かば けだし我妹(わぎも)に 直に逢はむかも

                              (巻九 一七三一)

と歌って、今度は男の立場で都の妻を思っているので、まさに宴会での自作自演の歌であるといえよう。」               (万葉の小径 ははその歌碑)

 

 

 一七三一の「妹」は、男から女への愛称である。女から男への愛称は「背」である。恋歌に、「妹」と「背」が使用される場合、愛人か、夫もしくは妻を指すものである。現代の言葉にあてはまるものはない。「いとしいそなた」「いとしいあなた」といったニュアンスに近い。それぞれに「我が」という修飾語がつき、「我が背」「我妹(わぎも)」となる。接尾語の「子」「な」「ろ」がついて「我が背子」「我が背な」「我妹子(わぎもこ)」「背ろ」などと用いられる。

 一七三〇の「君」は、「背」以外に女から男を称する言葉である。男同士の間でも使われるが、女から男を呼ぶ場合が多い。いわば女のコトバであり、「君」に対応する男のコトバは見当たらないという。一方、男にだけあって女にないコトバは、「子」「子ら」「子ろ」である。男がいとしい女の人を呼ぶ場合に用いられ、反対の場合はあまり見当たらないという。男のコトバである

 

 

(参考文献)

★万葉の小径 ははその歌碑

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「萬葉集相聞の世界」 伊藤 博 著 (塙書房