万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その55改、56改)―天理市西長柄町長柄運動公園、山辺御縣坐神社

奈良公園大神神社に出かける時、なら山大通りを進み、奈良阪町北を右折し旧ドリームランド前を通るが、右折して次の信号の手前に、バス停「奈保山御陵」がある。この道の東側に奈保山東陵(なほやまひがしのみささぎ)がある。元明天皇の陵である。ちなみに奈保山西陵は、元正(げんしょう)天皇の陵である。第四三代、四四代と続いた女帝の陵が、奈保山東陵、奈保山西陵である。

 

●万葉歌碑を訪ねて―その55、56―                                         

「飛ぶ鳥明日香の里を置きて去なば君があたりは見えずかもあらむ」

 

この歌碑は、天理市西長柄町長柄運動公園にある。

 

 

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天理市西長柄町長柄運動公園万葉歌碑(元明天皇

 また、山辺御縣坐神社(やまべみあがたいます神社)にもこの歌の歌碑がある。

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山辺御縣坐神社万葉歌碑(元明天皇

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山辺御縣坐神社鳥居と神社碑

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山辺御縣坐神社社殿

歌をみていこう。

 

◆飛鳥 明日香能里乎 置而伊奈婆 君之當者 不所見香聞安良武

                 (元明天皇 巻一 七八)

≪書き下し≫飛ぶ鳥 明日香の里を置きて去(い)なば 君があたりは見えずかもあらむ 

(訳)飛ぶ鳥鎮め給う明日香の里よ、この里をあとにして行ってしまったなら、君のいらっしゃるあたりは、見えなくなってしまうのではなかろうか。<大切な君のいらっしゃるあたりなのに、ここをもう見ないで過ごすことになるというのか>(伊藤 博著「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

(注)とぶとりの【飛ぶ鳥の】枕詞:①地名の「あすか(明日香)」にかかる。

                 ②飛ぶ鳥が速いことから、「早く」にかかる。

 

題詞は、「和銅三年庚戌春二月従藤原宮遷于寧楽宮時御輿停長屋原廻望古郷作歌 一書云太上天皇御製」

≪書き下し≫和銅三年庚戌(かのえいぬ)の春の二月に、藤原の宮より寧楽(なら)の宮に遷(うつ)る時に、御輿(みこし)を長屋原(ながやのはら)に停(とど)め、古郷(ふるさと)を廻望(かへりみ)て作らす歌 一書には太上天皇御製といふ

 

(注)長屋原:天理市南部。藤原・平城両京の東京極を結ぶ中つ道の中間。

   ここで旧都への手向けの礼が行われた。

 

左注は、「一云君之當乎不見而香毛安良牟」

 

 第 43代の天皇 (在位 707~715) 。奈良朝第1代の女帝。名は阿閇 (あべ) 。天智天皇の第4皇女。母は蘇我姪娘 (そがのめいいらつめ) 。天武天皇の皇太子草壁皇子の妃となり氷高皇女 (→元正天皇) ,軽皇子 (→文武天皇 ) を産んだ。草壁皇子文武天皇が夭折し,その皇子 (のちの聖武天皇) が幼少であったため即位した。おもな事績は,和銅1 (708) 年の和同開珎の鋳造、同3年の平城京遷都,同5年の『古事記』,および翌年の風土記の編纂などである。霊亀1 (715) 年,位を氷高皇女に譲る。陵墓は奈良市奈良坂町の奈保山東陵。(コトバンク ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

(注)氷高皇女:ひたかのひめみこ

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「コトバンク ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」

★「Weblio古語辞書」

 

※20240306朝食記事削除一部改訂