■あせび■
●歌は、「磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君が在りと言はなくに」である。
●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。
●歌をみていこう。
◆磯之於尓 生流馬酔木乎 手折目杼 令視倍吉君之 在常不言尓
(大伯皇女 巻二 一六六)
≪書き下し≫磯(いそ)の上(うえ)に生(お)ふる馬酔木(あしび)を手折(たを)らめど見(み)すべき君が在りと言はなくに
(訳)岩のあたりに生い茂る馬酔木の枝を手折(たお)りたいと思うけれども。これを見せることのできる君がこの世にいるとは、誰も言ってくれないではないか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
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この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1209)」で、皇女の歌を時系列的に解説し、大津皇子の辞世の句もあわせて紹介している。
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馬酔木の歌は万葉集では十首収録されている。これらについては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その204)」で紹介している。
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三重県明和町HPに、斎王(さいおう)について、「天皇に代わって伊勢神宮の天照大神に仕えるために選ばれた、未婚の皇族女性のことである。歴史に見られる斎王制度は、天武二年(674年)、壬申(じんしん)の乱に勝利した天武天皇が、勝利を祈願した天照大神に感謝し、大来皇女(おおくのひめみこ)を神に仕える御杖代(みつえしろ)として伊勢に遣わしたことに始まる・・・)と書かれている。
斎王宮阯については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その429)」で紹介している。
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一六三から一六六歌の歌群は、「大津皇子の挽歌群」と言われる。
そして、この歌群に続く一六七から一七〇歌の歌群の題詞は、「日並皇子尊(ひなみしみこのみこと)の殯宮(あらきのみや)の時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首 幷(あわ)せて短歌」であり、さらに一七一から一九三歌の歌群「皇子尊(みこのみこと)の宮の舎人等(とねりら)、慟傷(かな)しびて作る歌二十三首」と続いている。
大津皇子はいわば謀反の罪で刑死させられているにもかかわらず収録され、日並皇子尊の挽歌の前に位置している。
これについて高橋睦郎氏は、「万葉集の詩性」(中西 進編著 角川新書)の「いや重(し)く謎」の稿で「持統皇太子草壁(くさかべ)皇子、別名日並(ひなし)皇子の挽歌成立のためには、草壁の立皇子のために持統が死なせしめた大津皇子の挽歌が成立しなければならない。・・・(草壁皇子の挽歌群は)草壁に献(ささ)げられるとともに草壁立太子の犠牲になった大津にも、時代を遡って有間皇子にも・・・献げられていると考えるべきではなかろうか。原万葉集に大津挽歌群や有間挽歌群、そして雄略御製が増補され元明万葉が編集された意味はそこにあった、と考えるべきではないだろうか。」と書かれている。
同氏は、万葉集は、下命・庇護者によって、持統万葉、元明万葉、元正万葉、早良(さわら)万葉と仮称されているとし、「現『万葉集』(の)・・・第二首から第五十三首まで(が)持統王朝讃歌といえるものだ。」と書かれている。
さらに、「・・・持統王朝を正統化するための持統王朝讃歌である原万葉集が、編集完了後に讃歌だけではじゅうぶんに有効ではないと意識されてくる。そこで讃歌成立のために排除された王統挽歌群を増補する。つぎに王統挽歌群を成立させるためには王統成立のために排除された敗者側の挽歌の増補が必須であることが認識されてくる。」と書かれている。
さらに、このような過程を経て、「挽歌」という部立ができ、挽歌に対応する「相聞」が立てられ、「そこから翻って王朝讃歌が挽歌でも相聞でもないということで雑歌と名付けられる。こうして『万葉集』の三大部立、雑歌・相聞・挽歌が生まれた。」と書かれている。
挽歌の冒頭にくる有間皇子の歌について、「元明万葉で重要なのは相聞よりむしろ挽歌。挽歌の冒頭に来るのは第三十六代孝徳の子で。三十七代斉明の代に殺された有間皇子の自傷歌である。」とし、添えられたのが一四三から一四六歌の「後人の唱和」の歌群である。
「何のためかといえば、その直後に並ぶ天智天皇の挽歌群(一四七から一四九歌)を有効ならしめるためか、と思われる。・・・天智天皇の挽歌を成立させるためには、天智が死に追いやった有間皇子の鎮魂としての挽歌が成立しなければならない、ということだろう。」と書かれている。
藤原広継の乱、橘奈良麻呂の変などの時の権力者への反旗の首謀者や連座した人たちの歌も万葉集は収録している。真の意図は計り知れないが、歌を核とする万葉集の懐の深さもうかがい知れぬ魅力のひとつである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集の詩性」 中西 進 編著 (高橋睦郎 稿 角川新書)
★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)