●歌は、「磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君が在りと言はなくに」である。
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その173)」<奈良県香芝市中央公民館>の歌碑「うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟と我が見む」でとりあげている。
ここでは、歌と、書き出し、訳のみ記しておく。
◆磯之於尓 生流馬酔木乎 手折目杼 令視倍吉君之 在常不言尓
(大伯皇女 巻二 一六六)
≪書き下し≫磯(いそ)の上(うえ)に生(お)ふる馬酔木(あしび)を手折(たを)らめど見(み)すべき君が在りと言はなくに
(訳)岩のあたりに生い茂る馬酔木の枝を手折(たお)りたいと思うけれども。これを見せることのできる君がこの世にいるとは、誰も言ってくれないではないか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
「馬酔木」は万葉集では十首掲載されているという。一六六首の他の九首をみてみよう。
◆安志姒成 榮之君之 穿之井之 石井之水者 雖飲不飽鴨
(作者未詳 巻七 一一二八)
≪書き下し≫馬酔木なす栄えし君が掘りし井の石井の水は飲めど飽(あ)かぬかも
(訳)馬酔木の花のように栄えた君が掘られた井戸、石で囲ったその井戸の水は、飲んでも飲んでも飲み飽きることがない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)あしびなす 【馬酔木なす】分類枕詞:あしびの花が咲き栄えているようにの意から「栄ゆ」にかかる。
(注)いしゐ 【石井】名詞:岩の間から湧(わ)く清水。また、石で囲った井戸。[反対語] 板井(いたゐ)。
◆忍照 難波乎過而 打靡 草香乃山乎 暮晩尓 吾越来者 山毛世尓 咲有馬酔木乃 不悪 君乎何時 徃而早将見
(作者未詳 巻八 一四二八)
≪書き下し≫おしてる 難波(なにわ)を過ぎて うち靡(なび)く 草香の山を 夕暮れに 我が越え来(く)れば 山も狭(せ)に 咲ける馬酔木(あしび)の 悪(あ)しからぬ 君をいつしか 行きて早(はや)見む
(訳)おしてる難波を通り過ぎて、風になびく草香の山を、夕暮れ時に私が越えて来ると、山も狭しと咲いている馬酔木(あしび)、その馬酔木の名のように悪(あ)しくなどとはとても思えないお方(かた)、あの懐かしいお方に、いつになったらお逢いできるのか、早く行ってお目にかかりたい。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)おしてる 【押し照る】分類枕詞:地名「難波(なには)」にかかる。かかる理由未詳。「押し照るや」とも。
◆川津鳴 吉野河之 瀧上乃 馬酔之花曽 置末勿勤
(作者未詳 巻十 一八六八)
≪書き下し≫かはづ鳴く吉野の川の滝の上(うへ)の馬酔木の花ぞはしに置くなゆめ
(訳)河鹿の鳴く吉野の川の、滝のほとりに咲いていた馬酔木の花です、これは。粗末にしないでください、けっして。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
◆吾瀬子尓 吾戀良久者 奥山之 馬酔花之 今盛有
(作者未詳 巻十 一九〇三)
≪書き下し≫我(わ)が背子(せこ)に我(わ)が恋ふらくは奥山の馬酔木の花の今盛(さかり)なり
(訳)いとしいあの方に私がひそかに恋い焦がれる思いは、奥山に人知れず咲き栄えている馬酔木の花のように、今が真っ盛りだ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
◆春山之 馬酔花之 不悪 公尓波思恵也 所因友好
(作者未詳 巻十 一九二六)
≪書き下し≫春山の馬酔木(あしび)の花の悪(あ)しからぬ君にはしゑや寄(よ)そるともよし
(訳)春山のあしびの花のあしではないが、あし―悪しきお人とも思えないあなたとなら、えいままよ、できてる仲だと噂されてもかまいません。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)しゑや 感動詞:えい、ままよ。▽物事を思い切るときに発する語。
(注)よそる【寄そる】①自然と引き寄せられる。なびき従う。
②うち寄せる。
③異性との噂(うわさ)を立てられる。
※ここでは③の意
◆三諸者 人之守山 本邊者 馬酔木花開 末邊方 椿花開 浦妙 山曽 泣兒守山
(作者未詳 巻十三 三二二二)
≪書き下し≫みもろは 人の守(も)る山 本辺(もとへ)は 馬酔木(あしび)花咲く、末辺(すゑへ)は椿花咲く うらぐはし 山ぞ 泣く子守山
(訳)みもろの山は、人がたいせつに守っている山だ。麓(ふもと)のあたりには、一面に馬酔木の花が咲き、頂のあたりには、一面に椿の花が咲く。まことにあらたかな山だ。泣く子さながらに人がいたわり守る、この山は。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)うらぐはし 【うら細し・うら麗し】形容詞:心にしみて美しい。見ていて気持ちがよい。すばらしく美しい。
次の三首は、題詞、「属目山齊作歌三首」<山斎(しま)を属目(しょくもく)して作る歌三首>とある四五一一~四五一三歌である。
中臣清麻呂の庭園において、馬酔木の花に焦点をあてて詠ったものである。
(注)しょくもく 【嘱目・属目】
① 人の将来に期待して、目を離さず見守ること。 「万人が-する人材」
② 目に入れること。目を向けること。 「宜しく注意-せざる可からず/民約論 徳」
③ 俳諧で、即興的に目に触れたものを吟ずること。嘱目吟。
◆乎之能須牟 伎美我許乃之麻 家布美礼婆 安之婢乃波奈毛 左伎尓家流可母
(三形王 巻二十 四五一一)
≪書き下し≫鴛鴦(をし)の棲(す)む君がこの山斎(しま)今日(けふ)見れば馬酔木の花も咲きにけるかも
(訳)おしどりの仲良く棲むあなたのすばらしいお庭、今日来てこのお庭を見ると、馬酔木の花までが咲きほこっています。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)をし【鴛鴦】名詞:おしどりの古名。
(注)しま【山斎】:庭園のこと
◆伊氣美豆尓 可氣左倍見要氐 佐伎尓保布 安之婢乃波奈乎 蘇弖尓古伎礼奈
(大伴家持 巻二十 四五一二)
≪書き下し≫池水(いけみづ)に影さへ見えて咲きにほふ馬酔木の花を袖(そで)に扱入(こき)れな
(訳)お庭の水の面に影までくっきり映しながら咲きもこっている馬酔木の花、ああ、このかわいい花をしごいて、袖の中に取り込もうではないか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)こきる【扱きる】:しごいて入れる。
◆伊蘇可氣乃 美由流伊氣美豆氐流麻埿尓 左家流安之婢乃 知良麻久乎思母
(甘南備伊香真人 巻二十 四五一三)
≪書き下し≫礒影(いそかげ)の見ゆる池水(いけみづ)照るまでに咲ける馬酔木の散らまく惜しも
(訳)磯の影がくっきり映っている池の水、その水も照り輝くばかりに咲きほこる馬酔木の花が、散ってしまうのは惜しまれてならない。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
※20210509朝食関連記事削除、一部改訂