万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2386)―

■いぬびわ

「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)より引用させていただきました。

●歌は「ちちの実の父の命ははそ葉の母の命おほろかに・・・語り継ぐべく名を立つべしも」である。

千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(プレート)(大伴家持) 20230926撮影

●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。

 

●歌をみていこう。

 

四一五九歌から四一六五歌までの歌群の総題は、「季春三月九日擬出擧之政行於舊江村道上属目物花之詠并興中所作之歌」<季春三月の九日に、出擧(すいこ)の政(まつりごと)に擬(あた)りて、古江の村(ふるえのむら)に行く道の上にして、物花(ぶつくわ)を属目(しょくもく)する詠(うた)、并(あは)せて興(きよう)の中(うち)に作る歌>である。

 

題詞は、「慕振勇士之名歌一首 并短歌」<勇士の名を振(ふる)はむことを慕(ねが)ふ歌一首 幷(あは)せて短歌」である。

 

◆知智乃實乃 父能美許等 波播蘇葉乃 母能美己等 於保呂可尓 情盡而 念良牟 其子奈礼夜母 大夫夜 無奈之久可在 梓弓 須恵布理於許之 投矢毛知 千尋射和多之 劔刀 許思尓等理波伎 安之比奇能 八峯布美越 左之麻久流 情不障 後代乃 可多利都具倍久 名乎多都倍志母

      (大伴家持 巻十九 四一六四)

 

≪書き下し≫ちちの実の 父の命(みこと) ははそ葉(ば)の 母の命(みこと) おほろかに 心尽(つく)して 思ふらむ その子なれやも ますらをや 空(むな)しくあるべき 梓弓(あづさゆみ) 末(すゑ)振り起し 投矢(なげや)持ち 千尋(ちひろ)射(い)わたし 剣(つるぎ)大刀(たち) 腰に取り佩(は)き あしひきの 八(や)つ峰(を)踏(ふ)み越え さしまくる 心障(さや)らず 後(のち)の世(よ)の 語り継ぐべく 名を立つべしも

 

(訳)ちちの実の父の命も、ははそ葉の母の命も、通り一遍にお心を傾けて思って下さった、そんな子であるはずがあろうか。されば、われらますらおたる者、空しく世を過ごしてよいものか。梓弓の弓末を振り起こしもし、投げ矢を持って千尋の先を射わたしもし、剣太刀、その太刀を腰にしっかと帯びて、あしひきの峰から峰へと踏み越え、ご任命下さった大御心のままに働き、のちの世の語りぐさとなるよう、名を立てるべきである。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)ちちのみの【ちちの実の】分類枕詞:同音の繰り返しで「父(ちち)」にかかる。(学研)

(注)ははそばの【柞葉の】分類枕詞:「ははそば」は「柞(ははそ)」の葉。語頭の「はは」から、同音の「母(はは)」にかかる。「ははそはの」とも。(学研)

(注)おほろかなり【凡ろかなり】形容動詞:いいかげんだ。なおざりだ。「おぼろかなり」とも。(学研)

(注)や 係助詞《接続》種々の語に付く。活用語には連用形・連体形(上代には已然形にも)に付く。文末に用いられる場合は活用語の終止形・已然形に付く。 ※ここでは、文中にある場合。(受ける文末の活用語は連体形で結ぶ。):①〔疑問〕…か。②〔問いかけ〕…か。③〔反語〕…(だろう)か、いや、…ない。(学研) ここでは、③の意

(注)空しくあるべき:無為に過ごしてよいものであろうか。ここまで前段、次句以下後段。(伊藤脚注)

(注)さしまくる心障(さや)らず:御任命下さった大御心に背くことなく。「さし」は指命する意か。「まくる」は「任く」の連体形。(伊藤脚注)

(注の注)まく【任く】他動詞:①任命する。任命して派遣する。遣わす。②命令によって退出させる。しりぞける。(学研) ここでは①の意

(注の注)さやる【障る】自動詞:①触れる。ひっかかる。②差し支える。妨げられる。(学研)

 

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 四一六五歌もみてみよう。

 

◆大夫者 名乎之立倍之 後代尓 聞継人毛 可多里都具我祢

       (大伴家持 巻十九 四一六五)

 

≪書き下し≫ますらをは名をし立つべし後の世に聞き継ぐ人も語り継ぐがね

 

(訳)ますらおたる者は、名を立てなければならない。のちの世に聞き継ぐ人も、ずっと語り伝えてくれるように。(同上)

 

 

 四一五九歌から四一六五歌までの歌群についてはブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その867)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

四一六四歌の「ちち」については、「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)に、「イヌビワとイチョウの2説がある。イヌビワは、葉や枝を折ったり、実を傷つけたりすると乳液が出ることから、イチョウもその木が古くなると幹に乳房状の突起ができることから共にチチノキと呼ばれてきた。両植物ともに有史以前から日本に自生していたとされてきたが、近年はイチョウ室町時代になって中国から渡来したとする説が有力になっており、イヌビワ説の方が妥当であると思われる。」と書かれている。

 

一方「ははそ」については、「万葉神事語辞典(國學院大學デジタルミュージアム)」に「同音の『はは』の繰り返しで『母』にかかる枕詞。『ははそば』とは『ははその葉』のことで、ははそは、コナラおよびそれと似たクヌギの総称。万葉集には藤原宇合の歌に『山科の 石田の小野の ははそ原』とあり(9-1730)、ははその木が多く生えた原があったらしい。『ははそ葉の母の命』は大伴家持の歌2首にみられ(19-4164、20-4408)、『ちちの実の 父の命』と対にしてよまれている。この歌において父母を『父の命』『母の命』といった神名のごとき呼称でよむにあたって冠された語であることが知られる。」と書かれている。

 

「ちち」を詠んだ家持の四四〇八歌については、四四〇八から四四一二歌の歌群の題詞は「防人が悲別の情(こころ)を陳(の)ぶる歌一首 幷(あは)せて短歌」の長歌で、この歌群については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その548)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 「ははそ」を詠んだ藤原宇合の一七三〇歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その553)」で、題詞「宇合卿(うまかひのまへつきみ)が歌三首」の他の二首とともに紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)

★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)

★「万葉神事語辞典」 (國學院大學デジタルミュージアム

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」