万葉歌碑を訪ねて―その127の2―
【日本挽歌】をみていこう。
題詞は「日本挽歌一首」≪日本(にほん)挽歌(ばんか)一首>である。
◆大王能 等保乃朝廷等 斯良農比 筑紫國尓 泣子那須 斯多比枳摩斯提 伊企陀尓母 伊摩陀夜周米受 年月母 伊摩他阿良祢婆 許々呂由母 於母波奴阿比陀尓 宇知那△枳
許夜斯努礼 伊波牟須弊 世武須弊斯良尓 石木乎母 刀比佐氣斯良受 伊弊那良婆 迦多知波阿良牟乎 宇良賣斯企 伊毛乃美許等能 阿礼乎婆母 伊可尓世与等可 尓保鳥能 布多利那良△為 加多良比斯 許ゝ呂曽牟企弖 伊弊社可利伊摩須
※ △:「田+比」=「び」
(山上憶良 巻五 七九四)
≪書き下し≫大君(おほきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と しらぬひ 筑紫(つくし)の国に 泣く子なす 慕(した)ひ来(き)まして 息(いき)だにも いまだ休めず 年月(としつき)も いまだあらねば 心ゆも 思はぬ間(あひだ)に うち靡(なび)き 臥(こ)やしぬれ 言はむすべ 為(せ)むすべ知らに 石木(いはき)をも 問(と)ひ放(さ)け知らず 家(いへ)ならば かたちあらむを 恨めしき 妹(いも)の命(みこと)の 我(あ)れをばも いかにせよとか にほ鳥(どり)の ふたり並び居(ゐ) 語らひし 心背(そむ)きて 家離(ざか)りいます
(訳)都遠く離れた大君の政庁だからと、この筑紫の国に、泣く子のようにむりやり付いて来て、息すら休める間もなく年月もいくらも経たないのに、思いもかけぬ間(ま)にぐったりと臥(ふ)してしまわれたので、どう言ってよいかどうしてよいか手立てもわからず、せめて庭の岩や木に問いかけて心を晴らそうとするがそれもかなわず、途方に暮れるばかりだ ああ、あのまま奈良の家にいたなら、しゃんとしていられたろうに 恨めしい妻が、この私にどうせよという気なのか、かいつぶりのように二人並んで夫婦の語らいを交わしたその心に背いて、家を離れて行ってしまわれた。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)しらぬひ:枕詞 地名「筑紫(つくし)」にかかる。語義・かかる理由未詳。(weblio古語辞書)
(注)にほ鳥:「ふたり並び居」の譬え
◆伊弊尓由伎弖 伊可尓可阿我世武 摩久良豆久 都摩夜左夫斯久 於母保由倍斯母
(山上憶良 巻五 七九五)
≪書き下し≫家に行(ゆ)きていかにか我(あ)がせむ枕付(まくらづ)く妻屋(つまや)寂(さび)しく思ほゆべしも
(訳)あの奈良の家に帰って、何としたら私はよいのか。二人して寝た妻屋がさぞさびしく思われることだろう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)まくらづく【枕付く】枕詞 枕が並んでくっついている意から、夫婦の寝室の意の「妻屋」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)妻屋(つまや):夫婦の寝室
◆伴之伎与之 加久乃未可良尓 之多比己之 伊毛我己許呂乃 須別毛須別那左
(山上憶良 巻五 七九六)
≪書き下し≫はしきよしかくのみからに慕(した)ひ来(こ)し妹(いも)が心のすべもすべなし
(訳)ああ、遠い夷(ひな)の地、筑紫で死ぬ定めだったのに、むりやり私に付いて来た妻の、その心根が何とも痛ましくてならない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)はしきよし【愛しきよし】:「はしきやし」に同じ。ああ、いとおしい。ああ、なつかしい。ああ、いたわしい。「はしけやし」とも。
◆久夜斯可母 可久斯良摩世婆 阿乎尓与斯 久奴知許等其等 美世摩斯母乃乎
(山上憶良 巻五 七九七)
≪書き下し≫悔しかもかく知らませばあをによし国内(くぬち)ことごと見せましものを
(訳)ああ残念だ。ここ筑紫の異郷でこんなはかない身になるとあらかじめ知っていたなら、故郷奈良の山や野をくまなく見せておくのだったのに。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)あをによし:「国内(くぬち)」の枕詞
(注)「国内(くぬち)」:ここでは、故郷奈良の山や野の意
◆巻五 七九八
この歌については、 前稿ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その127-1)で紹介している。
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◆大野山 紀利多知<和>多流 和何那宜久 於伎蘇乃可是尓 紀利多知和多流
(山上憶良 巻五 七九九)
≪書き下し≫大野山(おほのやま)霧(きり)立ちわたる我(わ)が嘆くおきその風に霧立ちわたる
(訳)大野山に今しも霧が立ち込めている。ああ、私の嘆く息吹(いぶき)の風で霧が一面立こめている。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)大野山:大宰府背後に当たる四王子山。
(注)おきそ:息嘯(おきうそ)の意か。嘆息は霧になると考えられた。
左注は、「神龜五年七月廿一日 筑前國守山上憶良上」≪神亀(じんき)五年七月二十一日筑前守(つくしのみちのくちのくにつかみ)
(注)上:奉る、の意。
以上みてきたように、万葉歌碑を訪ねて―その127の1―でも触れたように、巻五は、歌を「一字一音」で書いている。ただし、「大王」「朝廷」「筑紫國」「大野山」などは、訓読みで書かれている。意味が直接的であることからのなせる業であろう。巻五の仮名書記は、漢文・漢詩とある意味言語的に区別して「日本語」を表すものとして働いている。ただ、「日本挽歌」とあるのは、中国の挽歌にたいする、日本の挽歌という意味合いが強いのである。
新元号「令和」の出典となった「梅花宴」の三十二首は巻五であるから、漢文による前文があり、続いて、「短詠を成す」(倭の歌を詠む)のである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界―」 神野志隆光 著 (東京大学出版会)
★「かしはら探訪ナビ」(橿原市HP)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「weblio古語辞書」