万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

磐余神社の西側には曽我川が流れている。神社のある中曽司町の南に隣接するのは曽我町である。大化の改新で滅亡した蘇我氏一族と縁が深い土地である。(万葉歌碑を訪ねて―その130―)

●磐余神社の西側には曽我川が流れている。神社のある中曽司町の南に隣接するのは曽我町である。大化の改新で滅亡した蘇我氏一族と縁が深い土地である。飛鳥で勢力を伸ばした蘇我氏の大和の国における誕生の地であったのだ。歌から調べていって広がる世界、ますます万葉集の魅力にひかれる思いである。

 

●サンドイッチは、サンチュと焼き豚である。焼き豚が少し厚めであったので、トマトをはさむのをやめた。デザートは、りんごの縦切りの半分を8切れ立ててみた。周りをトンプソンとクリムゾンシードレス、バナナで加飾。干しぶどうでアクセントをつけた。

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7月10日のザ・モーニングセット

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7月10日のフルーツフルデザート

●万葉歌碑を訪ねて―その130―

 「ま菅よし宗我の川原に鳴く千鳥間なし我が背子我が恋ふらくは」

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奈良県橿原市中曽司町磐余神社参道万葉歌碑(作者未詳)


 この歌碑は、奈良県橿原市中曽司町 磐余神社にある。

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磐余神社鳥居と参道

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磐余神社拝殿


 

歌をみていこう。

◆真菅吉 宗我乃河原尓 鳴千鳥 間無吾背子 吾戀者

               (作者未詳 巻十二 三〇八七)

 

≪書き下し≫ま菅よし宗我(そが)の川原に鳴く千鳥(ちどり)間(ま)なし我(わ)が背子(せこ)我(あ)が恋ふらくは

 

(訳)ま菅の名の宗我の川原に鳴きしきる千鳥、その声のようにのべつまくなしです、あなた。私の恋心は。(伊藤 博 著 「万葉集 三」角川ソフィア文庫より)

(注)ま菅よし:「宗我」にかかる枕詞。類音。

(注)宗我川:曽我川(そががわ)は、奈良県中西部を流れる大和川水系一級河川

奈良盆地西部を多く北流する大和川の支流の一つで、中流域では最大の支流

である。古代には宗我川と綴った。また重阪川(上流渓谷部)、百済川などの

異称もある。(出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

 

 私の恋心は、千鳥の声のようにのべつまくなしですよ。あなた、と、いう強い気持ちは、ますが、そが、わが、あがと強いリズムに裏打ちされているように感じる。

 

●磐余神社があるのは橿原市中曽司町(なかぞしちょう)でるが、南に隣接して曽我町がある。この歌の「真菅」については、南都銀行ポータルサイト「ええ古都なら」によると、「現在の橿原市曽我町は、旧真菅(ますげ)村の村域に入りますが、いまも真菅(ますが)駅や真菅(ますげ)小学校など、同じ字で読み方の異なる名称が並存しています。この枕詞の読みにも、「ますがよし」「ますげよし」の2つの説があります。地名や名称の中に、いまも万葉の世界が生きているとは、なんともロマンチックです。」とある。

 磐余神社の西側には曽我川が流れている。橿原市曽我町は、蘇我氏と縁の深い土地だという。「ええ古都なら」によると、「河内から移ってきた石川宿祢(いしかわのすくね)が居館を構え、そのときに当時の地名表記であった『蘇我』を、一族の姓としたといわれています。のちに飛鳥で勢力を伸ばしていく前の、いわば大和国における蘇我氏の誕生の地といえるでしょう。真菅駅の南側には蘇我氏の祖神を祀り、曽我さんと親しまれる宗我坐宗我都比古(そがにいますそがつひこ)神社が、また大和八木駅の西には、蘇我入鹿を祀る入鹿神社が鎮座しています。」とある。この入鹿神社については、明治時代、「歴史上『逆臣』の蘇我氏を祀るのはやめるよう政府から命令が下されましたが、地元の人々が断固反対したといいます。約1500年も前の人々でありながら、いまも地元民に愛される蘇我一族」と言われているそうである。

 歌の「真菅」「宗我の川原」から手繰っていくと、蘇我氏一族のルーツまで紐解けたのは驚きであった。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「ええ古都なら」 (南都銀行ポータルサイト

★「フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」