●歌は、「世間の繁き仮廬に住み住みて至らむ国のたづき知らずも」である。
●歌をみていこう。
◆世間之 繁借廬尓 住ゝ而 将至國之 多附不知聞
(作者未詳 巻十六 三八五〇)
≪書き下し≫世間(よのなか)の繁(しげ)き仮廬(かりほ)に住み住みて至らむ国のたづき知らずも
(訳)この人の世の、煩わしいことばかり多い仮の宿りに住み続ける我が身とて、願い求める国へ至り着く手立ても、今もってわからないままです。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)至らむ國:至り着きたい国。極楽浄土。
(注)たづき 【方便】名詞:①手段。手がかり。方法。②ようす。状態。見当。
この歌は、題詞「猒世間無常歌二首」<世間の無常を厭(いと)ふ歌二首>のうちの一首である。
左注は、「右歌二首河原寺之佛堂裏在倭琴面之」<右の歌二首は、河原寺の仏堂の裏に、倭琴(やまとごと)の面(おもて)に在り>とある。
河原寺の仏堂の裏に倭琴があって、その面に二首が書かれていたようである。当時の寺の僧ののつれづれのわざなのだろう。
もう一首の方もみていこう。
◆生死之 二海乎 猒見 潮干乃山乎 之努比鶴鴨
(作者未詳 巻十六 三八四九)
≪書き下し≫生き死にの二つの海を厭(いと)はしみ潮干(しほひ)の山を偲(しの)ひつるかも
(訳)生と死の二つの苦海であるこの世の厭わしさに、苦海の干上がった所にあるという山に到り着きたいと、心から思い続けています。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
県道155号線の交差点「岡」の西100mぐらいのところの北側に川原寺跡がある。道をはさんで南南東方向に橘寺が見える。
歌碑は、橘寺へ行く道への南西角にある。「佛法最初聖徳太子御誕生所」の碑と石仏がありその横にある。
●川原寺址の説明
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「犬養孝揮毫万葉歌碑マップ(明日香村)」
★「weblio古語辞典 (学研全訳古語辞典」」
※ 20210513朝食関連記事削除、一部改訂