万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その142改)―奈良県高市郡明日香村 川原寺跡前―万葉集 巻十六 三八五〇

●歌は、「世間の繁き仮廬に住み住みて至らむ国のたづき知らずも」である。

 

 

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川原寺跡前万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、奈良県高市郡明日香村 川原寺跡前にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆世間之 繁借廬尓 住ゝ而 将至國之 多附不知聞

                 (作者未詳 巻十六 三八五〇)

 

≪書き下し≫世間(よのなか)の繁(しげ)き仮廬(かりほ)に住み住みて至らむ国のたづき知らずも

 

(訳)この人の世の、煩わしいことばかり多い仮の宿りに住み続ける我が身とて、願い求める国へ至り着く手立ても、今もってわからないままです。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)至らむ國:至り着きたい国。極楽浄土。

(注)たづき 【方便】名詞:①手段。手がかり。方法。②ようす。状態。見当。

 

 この歌は、題詞「猒世間無常歌二首」<世間の無常を厭(いと)ふ歌二首>のうちの一首である。

 左注は、「右歌二首河原寺之佛堂裏在倭琴面之」<右の歌二首は、河原寺の仏堂の裏に、倭琴(やまとごと)の面(おもて)に在り>とある。

 河原寺の仏堂の裏に倭琴があって、その面に二首が書かれていたようである。当時の寺の僧ののつれづれのわざなのだろう。

 

 もう一首の方もみていこう。

◆生死之 二海乎 猒見 潮干乃山乎 之努比鶴鴨

                   (作者未詳 巻十六 三八四九)

 

≪書き下し≫生き死にの二つの海を厭(いと)はしみ潮干(しほひ)の山を偲(しの)ひつるかも

 

(訳)生と死の二つの苦海であるこの世の厭わしさに、苦海の干上がった所にあるという山に到り着きたいと、心から思い続けています。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

 

 

 

 県道155号線の交差点「岡」の西100mぐらいのところの北側に川原寺跡がある。道をはさんで南南東方向に橘寺が見える。

 歌碑は、橘寺へ行く道への南西角にある。「佛法最初聖徳太子御誕生所」の碑と石仏がありその横にある。

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「聖徳皇太子御誕生所」の碑と橘寺遠望

 

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川原寺跡

 

 

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「史蹟川原寺址」の碑

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川原寺(弘福寺

 

 

 

●川原寺址の説明

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史跡 川原寺跡の説明案内板

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「犬養孝揮毫万葉歌碑マップ(明日香村)」

★「weblio古語辞典 (学研全訳古語辞典」」

 

※ 20210513朝食関連記事削除、一部改訂